夜空を見上げると、星々がゆっくりと東から西へ動いていきますよね。
太陽も月も、毎日のように空を横切っていく。
「地球を中心に宇宙が回っている」——そう考えるのは、ある意味とても自然なことです。
実際、人類はおよそ1400年以上もの間、この考え方を信じてきました。
この記事では、かつて世界の常識だった「天動説」について、その仕組みや歴史をわかりやすく解説します。
天動説の基本——「地球が宇宙の中心」という考え方
天動説は、英語では「Geocentric model(地球中心説)」と呼ばれます。
その名のとおり、地球が宇宙の中心にあって動かず、太陽や月、惑星、星々がその周りを回っているという宇宙観です。
この考え方は古代ギリシャで生まれました。
哲学者アリストテレス(紀元前384年〜紀元前322年)は、天上の世界は完璧で永遠不変だと考えました。
だから天体は「最も完璧な図形」である円を描いて運動しているはずだ、と。
そして2世紀ごろ、エジプトのアレクサンドリアで活躍した天文学者プトレマイオスが、この天動説を数学的に体系化しました。
彼の著書『アルマゲスト』は、その後1400年以上も天文学の教科書として使われることになります。
プトレマイオスが考えた「天の仕組み」
プトレマイオスの天動説で面白いのは、「惑星の逆行」をどう説明したかです。
夜空を観察していると、火星や木星が普段は西から東へゆっくり動いていくのに、ときどき逆方向(東から西)に動くことがあります。
これが「逆行」と呼ばれる現象。
古代の人々は、惑星がふらふらと迷い歩くように見えることから「惑う星」と名付けました。
単純に「惑星は地球の周りを円運動している」だけでは、この逆行を説明できません。
そこでプトレマイオスが考えたのが「周転円」という仕組みでした。
周転円と導円(従円)
プトレマイオスのモデルでは、惑星は2つの円運動を組み合わせて動きます。
大きな円を「導円」(または従円)と呼び、これが地球の周りを回ります。
そして、その導円の円周上に小さな円「周転円」があり、惑星はこの周転円の上を回っています。
イメージとしては、メリーゴーラウンドに乗りながら、さらにその上でコーヒーカップのように回転しているような感じです。
この仕組みのおかげで、惑星が周転円の内側を通過するときは、見かけ上、逆方向に動いているように見えます。
逆行現象を見事に説明できたわけです。
エカント(等化点)の導入
さらにプトレマイオスは「エカント」という概念も導入しました。
惑星の動きは、地球を中心に見ると速さが一定ではありません。
速くなったり遅くなったりする。
そこで、地球から少しずれた位置に「エカント」という点を設定し、その点から見れば惑星は等速で動いているとしたのです。
この工夫によって、惑星の位置を驚くほど正確に予測できるようになりました。
なぜ天動説は1400年以上も信じられたのか
「地球が宇宙の中心」という考えは、今では完全に否定されています。
でも、なぜこれほど長い間、天動説は支持され続けたのでしょうか。
日常感覚と一致していた
まず、私たちの日常感覚と天動説はぴったり合っていました。
地面は動いている感じがしませんし、太陽が東から昇って西に沈むのを毎日見ています。
「地球が回っている」と言われても、実感できないのは当然です。
観測結果をうまく説明できた
プトレマイオスの天動説は、当時の観測技術で測れる範囲では、惑星の位置をかなり正確に予測できました。
「ちゃんと当たる理論」だったのです。
精度は1〜2度程度の誤差。
望遠鏡のない時代には、これで十分すぎるほどでした。
宗教的な世界観と調和した
中世ヨーロッパでは、キリスト教の教えが社会の基盤でした。
「神が人間のために地球を創り、その周りに天を配置した」という考え方と、天動説は相性が良かったのです。
聖書には「ヨシュアが太陽に止まれと命じた」という記述があります。
これは太陽が動いている証拠だ、と解釈されました。
天動説の終焉——コペルニクスからガリレオへ
1400年以上続いた天動説の時代は、16世紀に転換点を迎えます。
コペルニクスの地動説
ポーランドの天文学者コペルニクス(1473年〜1543年)は、イタリア留学中にギリシャ文化に触れ、プトレマイオスの体系に疑問を持ちました。
彼は「太陽を中心に地球が回っている」という地動説を提唱。
1543年、死の直前に『天体の回転について(De revolutionibus)』を出版しました。
興味深いことに、コペルニクスが地動説を選んだ理由は、観測精度が上がったからではありません。
むしろ「宇宙はもっとシンプルで美しいはずだ」という、ある種の美的・哲学的な動機が大きかったのです。
周転円やエカントを使って複雑になりすぎた天動説に比べ、地動説なら惑星の逆行を自然に説明できました。
ガリレオの望遠鏡観測
転機となったのは、イタリアの科学者ガリレオ・ガリレイ(1564年〜1642年)の望遠鏡観測です。
1609年、ガリレオは自作の望遠鏡で木星を観察し、その周りを回る4つの衛星を発見しました。
地球以外にも「回転の中心」があるという証拠です。
さらに金星の満ち欠けを観測。
天動説では説明できないパターンで、金星が満ち欠けしていることを確認しました。
ガリレオ裁判
しかし、ガリレオの主張はカトリック教会と衝突します。
1616年、教会はコペルニクスの著書を禁書目録に載せ、ガリレオにも地動説を「事実」として教えないよう警告しました。
それでもガリレオは1632年に『天文対話』を出版。
天動説と地動説を対話形式で比較しましたが、明らかに地動説を支持する内容でした。
1633年、ガリレオは異端審問にかけられ、「異端の強い嫌疑」で有罪となりました。
彼は地動説を撤回させられ、終身の自宅軟禁を命じられます。
ただし、よく言われるような拷問は行われていません。
ガリレオは自宅で研究を続け、1642年に77歳で亡くなりました。
最終的な決着——ケプラーとニュートン
天動説に最終的な終止符を打ったのは、ケプラーとニュートンの功績です。
ドイツの天文学者ケプラー(1571年〜1630年)は、ティコ・ブラーエの精密な観測データを分析し、惑星は太陽の周りを「楕円軌道」で回っていることを発見しました(ケプラーの法則、1609年〜1619年)。
そしてイギリスのニュートン(1642年〜1727年)が万有引力の法則を発見(1687年)。
なぜ惑星が太陽の周りを回るのか、物理学的に説明できるようになりました。
これにより、地動説は単なる「計算に便利なモデル」ではなく、物理的な事実として確立されたのです。
天動説に関連する人物・概念一覧
| 名前・概念 | 読み方 | 説明 |
|---|---|---|
| アリストテレス | — | 紀元前4世紀のギリシャ哲学者。地球中心の宇宙観を体系化 |
| プトレマイオス | — | 2世紀のアレクサンドリアの天文学者。天動説を数学的に完成 |
| アルマゲスト | — | プトレマイオスの天文学書。1400年以上使われた |
| 周転円 | しゅうてんえん | 惑星の逆行を説明するための小さな円軌道 |
| 導円(従円) | どうえん(じゅうえん) | 周転円の中心が回る大きな円軌道 |
| エカント | — | 惑星の速度変化を説明するための仮想的な点 |
| コペルニクス | — | 16世紀ポーランドの天文学者。地動説を提唱 |
| ガリレオ・ガリレイ | — | 17世紀イタリアの科学者。望遠鏡観測で地動説を支持 |
| ケプラー | — | 17世紀ドイツの天文学者。惑星の楕円軌道を発見 |
| ニュートン | — | 17世紀イギリスの科学者。万有引力の法則を発見 |
| 逆行 | ぎゃっこう | 惑星が通常と逆方向に動いて見える現象 |
まとめ
この記事では、天動説について解説しました。
- 天動説は「地球が宇宙の中心」という考え方
- 2世紀のプトレマイオスが数学的に体系化
- 周転円やエカントの工夫で惑星の動きを説明
- 日常感覚・観測精度・宗教観と合致していたため1400年以上支持された
- 16世紀のコペルニクス、17世紀のガリレオ・ケプラー・ニュートンによって地動説に取って代わられた
今の私たちから見れば「間違った理論」ですが、当時の知識と観測技術の中では極めて合理的な体系でした。
天動説の歴史は、科学がどのように発展していくかを教えてくれる、とても興味深い物語です。


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