「夜叉」と聞くと、どんなイメージが浮かびますか?
恐ろしい鬼のような存在を想像する方が多いかもしれません。
ところが、その起源をたどると、夜叉は森や泉を守る自然の精霊だったんです。
人間に福をもたらす神として崇められる一方で、旅人を襲う恐ろしい鬼としても恐れられていました。
この記事では、そんな二面性を持つヤクシャ(夜叉)について、インド神話での姿から仏教への取り込み、日本での信仰まで幅広く解説します。
ヤクシャ(夜叉)の概要

ヤクシャ(サンスクリット語:यक्ष / yakṣa)は、古代インド神話に登場する半神半鬼の精霊です。
日本では「夜叉」「薬叉(やくしゃ)」という漢字が当てられています。
男性はヤクシャ、女性はヤクシー(またはヤクシニー)と呼ばれ、夫婦や男女のペアで描かれることも多いです。
ヤクシャは水・森・木・山・宝物と深く結びついた自然の精霊。
地中に隠された財宝を守る番人でもあり、豊穣や富をもたらす神として古代インドで広く信仰されていました。
ヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教のすべてに登場し、それぞれの宗教で独自の役割を与えられています。
ヤクシャの姿と特徴
善と悪、二つの顔を持つ存在
ヤクシャの最大の特徴は、その二面性にあります。
善の側面:
- 森や木、泉を守る穏やかな精霊
- 人々に富と繁栄をもたらす福の神
- 村や町の守護神として祀られる存在
悪の側面:
- 荒野をさまよい、旅人を襲う鬼神
- 人間の精気を吸い取る、あるいは人を食らう恐ろしい存在
- ラクシャーサ(羅刹)に似た凶暴な性質
つまり、お供え物をして敬えば福をもたらしてくれるけれど、粗末に扱えば災いをもたらす——そんな「八百万の神」に近い性格を持っているんですね。
姿かたち
インドの古い彫刻や絵画では、ヤクシャは以下のような姿で描かれることが多いです。
- ふくよかな体型(特に大きなお腹)
- 宝石をちりばめた装飾品
- 武器や財布、宝珠を手にしている
- 鮮やかな肌の色(緑や赤などで描かれることも)
女性のヤクシー(ヤクシニー)は、豊満な体つきの美女として表現されます。
樹木の下に立つ姿で描かれることが多く、豊穣と生命力のシンボルとされてきました。
変身能力と魔術
ヤクシャは強力な魔術師でもあり、自在に姿を変える能力を持つとされています。
ジャイナ教の経典では、ヤクシャは好きな姿に変身できると記されています。
名前の意味
「ヤクシャ」という言葉の語源には諸説あります。
| 説 | 意味 |
|---|---|
| 「ヤジュ(yaj)」から派生 | 「崇拝する」「祀る」の意味。崇拝される存在を指す |
| 「ヤクシュ」から派生 | 「素早い」「敏捷な」の意味 |
| 「不思議なもの」の意 | 超自然的で神秘的な存在を表す |
日本語の「夜叉」は音訳で、「薬叉」とも書かれます。
漢訳仏典では「暴悪」「捷疾鬼(しょうしつき=素早い鬼)」「威徳」などと訳されることもあります。
クベーラ:ヤクシャの王にして財宝の神
富の神であり北方の守護者
ヤクシャを語るうえで欠かせないのが、彼らの王であるクベーラです。
クベーラは富と財宝の神であり、同時に北方を守護する四方神(ロカパーラ)の一柱でもあります。
ヒマラヤの神秘の都市アラカー(アラカプリ)に住み、そこには黄金の宮殿がそびえ立つとされています。
シヴァ神の住むカイラス山のすぐそばにあることから、シヴァとも親しい間柄だったと伝えられています。
クベーラの姿
クベーラは一般的に以下のような姿で描かれます。
- 大きなお腹を持つふくよかな体型
- 宝石を身につけ、財布や宝珠を手にしている
- マングースを乗り物(ヴァーハナ)とすることがある
マングースが宝石を吐き出すという伝承もあり、これは富を象徴しています。
ラーヴァナとの因縁
クベーラにはドラマチックな過去があります。
もともとクベーラはランカー島(スリランカ)を治める王でした。
しかし、異母弟の魔王ラーヴァナに王位を奪われ、ランカーを追われてしまいます。
その後、ヒマラヤのアラカーに移り住み、神々の財宝を管理する役目を担うことになりました。
ラーヴァナといえば、インドの大叙事詩『ラーマーヤナ』でラーマ王子の敵として登場する有名な魔王。
クベーラはその兄にあたるわけです。
仏教ではヴァイシュラヴァナ(毘沙門天)
仏教に取り入れられると、クベーラはヴァイシュラヴァナという名で呼ばれるようになります。
日本では毘沙門天(びしゃもんてん)として広く知られる存在です。
毘沙門天は四天王の一柱として北方を守護し、多くのヤクシャを従えています。
仏教における夜叉の役割
釈迦の説法に帰依した鬼神たち
仏教では、夜叉はもともと人を害する恐ろしい鬼神でした。
しかし、釈迦の説法を聞いて心を入れ替え、仏法を守護する善神になったとされています。
これは仏教の特徴的な考え方で、どんな悪しき存在でも仏の教えに触れれば改心できるという教えを示しています。
八部衆の一員として
夜叉は八部衆(はちぶしゅう)の一員に数えられます。
八部衆とは、釈迦如来の眷属(けんぞく=従者)として仏法を守護する8種類の存在のこと。
『法華経』などに登場し、以下のメンバーで構成されています。
| 名前 | 読み方 | 特徴 |
|---|---|---|
| 天(デーヴァ) | てん | 天界の神々 |
| 龍(ナーガ) | りゅう | 蛇を神格化した存在。雨をもたらす |
| 夜叉(ヤクシャ) | やしゃ | 自然の精霊。毘沙門天の眷属 |
| 乾闘婆(ガンダルヴァ) | けんだつば | 天界の音楽神 |
| 阿修羅(アスラ) | あしゅら | 戦いの神。帝釈天と戦い続ける |
| 迦楼羅(ガルーダ) | かるら | 鳥の姿をした神。龍を食べる |
| 緊那羅(キンナラ) | きんなら | 半人半獣の音楽神 |
| 摩睺羅伽(マホラガ) | まごらが | 蛇の神 |
奈良の興福寺には、この八部衆を表した有名な仏像があります。
特に阿修羅像は三面六臂の少年の姿で、国宝として広く知られていますね。
三種類の夜叉
仏教経典によると、夜叉には三つの種類があるとされています。
| 種類 | 特徴 |
|---|---|
| 天夜叉 | 天界に住み、空を飛ぶことができる |
| 地夜叉 | 地上に住む。唯一飛行できない |
| 虚空夜叉 | 虚空(空間)を自由に飛び回る |
天夜叉と虚空夜叉は空を飛べますが、地夜叉だけは飛行能力を持ちません。
十二神将:薬師如来を守る12の夜叉大将
薬師如来(やくしにょらい)の眷属として有名なのが十二神将(じゅうにしんしょう)です。
「十二夜叉大将」とも呼ばれるこの12体の武神は、もとはすべて夜叉でした。
釈迦が『薬師経』を説いていたとき、12の夜叉たちがその教えを聞いて感銘を受け、薬師如来をサポートすることを誓ったのが始まりです。
各神将は7,000の部下(眷属)を率いており、合計で8万4千の軍団になります。
この数は人間の持つ煩悩の数に対応しているといわれています。
| 神将名 | 読み方 | 対応する干支 |
|---|---|---|
| 宮毘羅 | くびら | 亥(いのしし) |
| 伐折羅 | ばさら | 戌(いぬ) |
| 迷企羅 | めきら | 酉(とり) |
| 安底羅 | あんてら | 申(さる) |
| 頞儞羅 | あにら | 未(ひつじ) |
| 珊底羅 | さんてら | 午(うま) |
| 因達羅 | いんだら | 巳(へび) |
| 波夷羅 | はいら | 辰(たつ) |
| 摩虎羅 | まこら | 卯(うさぎ) |
| 真達羅 | しんだら | 寅(とら) |
| 招杜羅 | しょうとら | 丑(うし) |
| 毘羯羅 | びから | 子(ねずみ) |
※干支の割り当ては経典や寺院によって異なる場合があります
奈良の新薬師寺には、奈良時代(8世紀)に作られた十二神将像があり、国宝に指定されています。
特に伐折羅(ばさら)大将の像は、怒りの表情が迫力満点で、仏像関連の本の表紙によく採用されています。
世界各地のヤクシャ信仰
インド:最古の石像彫刻
インドでは、ヤクシャ像は最も古い石造彫刻のひとつとされています。
マウリヤ朝時代(紀元前3世紀~紀元前1世紀頃)には、高さ2メートルを超える巨大なヤクシャ像が作られました。
特に有名なのが、マトゥラー近郊のパルカムで発見されたパルカム・ヤクシャ像です。
この像は高さ約2.6メートル。
「マニバドラ」という財宝の守護者であるヤクシャを表しており、商人たちの守り神として崇拝されていたとされています。
パトナやヴィディシャーでも同様の巨大像が発見されており、当時のヤクシャ信仰の広がりを示しています。
タイ:寺院を守る巨大な門番
タイでは、ヤクシャはヤック(ยักษ์)と呼ばれています。
タイの仏教寺院では、門の両側に立つ巨大な守護像としてヤックが描かれています。
緑と赤の派手な色彩で、大きな牙をむき出しにした威圧的な姿が特徴です。
バンコクの王宮内にあるワット・プラケオ(エメラルド寺院)のヤック像は特に有名。
実はスワンナプーム国際空港にも同様のヤック像が設置されており、観光客を出迎えています。
スリランカ:病魔としてのヤカ
スリランカでは、ヤクシャはヤカ(Yaka)と呼ばれ、病魔として恐れられています。
その王はマハーコーラ・サンニ・ヤカーといい、様々な病気を引き起こす存在とされています。
古代のスリランカには「ヤカ族」と呼ばれる先住民がいたとも伝えられており、彼らがヤクシャ伝説の元になったという説もあります。
ヤクシャの種類一覧
| 名前 | 読み方 | 特徴・役割 |
|---|---|---|
| クベーラ(毘沙門天) | くべーら | ヤクシャの王。財宝の神、北方の守護者 |
| マニバドラ | まにばどら | クベーラの腹心。商人や旅人の守護者 |
| プールナバドラ | ぷーるなばどら | マニバドラと並ぶ重要なヤクシャ |
| ヴァジュラパーニ | ヴぁじゅらぱーに | 金剛杵を持つヤクシャ。仏教では菩薩に |
| パーンチカ | ぱーんちか | クベーラの将軍。妻はハーリーティー |
| アーターヴァカ | あーたーゔぁか | 元は人を食らう凶暴なヤクシャ。仏教に帰依 |
| ハーリーティー(鬼子母神) | はーりーてぃー | パーンチカの妻。子供の守護神となった |
まとめ
ヤクシャ(夜叉)について、改めてポイントを整理します。
- 起源:古代インド神話の自然の精霊。水・森・財宝と深く結びつく
- 二面性:福をもたらす善神と、人を害する鬼神の両面を持つ
- クベーラ:ヤクシャの王であり、仏教では毘沙門天として知られる
- 仏教での役割:八部衆の一員、十二神将(薬師如来の守護者)
- 各地の信仰:タイの寺院の門番、スリランカの病魔など多様な姿で伝承される
日本では「夜叉」というと怖い鬼のイメージが強いですが、その根底には自然への畏敬と、人々を守ってほしいという願いが込められていたんですね。
興福寺の八部衆像や新薬師寺の十二神将像を見る機会があれば、ぜひ「もとは古代インドの精霊だったんだな」と思い出してみてください。
きっと、これまでとは違った視点で楽しめるはずです。


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