お祭りの屋台で食べる、あの長くて美味しいソーセージ。パリッとした食感とジューシーな肉汁が口の中に広がる瞬間は、なんとも言えない幸せな気持ちになりますよね。
でも、このフランクフルトソーセージがいつ、どこで生まれたかご存知でしょうか?
実は、フランクフルトソーセージには500年以上の歴史があり、神聖ローマ帝国の皇帝の戴冠式で振る舞われていたという由緒ある食べ物なんです。そして、このソーセージがドイツからオーストリアへ、さらにアメリカへと渡り、私たちがよく知る「ホットドッグ」の原型となりました。
この記事では、フランクフルトソーセージの起源から現代までの歴史、そしてウィンナーソーセージとの意外な関係まで、詳しくご紹介していきます。
フランクフルトソーセージとは?

フランクフルトソーセージは、ドイツのフランクフルト・アム・マイン市で生まれた伝統的なソーセージです。
ドイツ語では「フランクフルター・ヴュルストヒェン(Frankfurter Würstchen)」と呼ばれ、「フランクフルトの小さなソーセージ」という意味があります。
特徴
- 原材料:豚肉100%で作られるのが本場の伝統
- ケーシング(皮):羊の腸を使用
- 調理法:低温で燻製した後、茹でて仕上げる
- 食感:きめ細かくなめらかな舌触り
- 見た目:細長く、黄金色の外観
本場ドイツでは、フランクフルトソーセージは茹でてから、パンとマスタード、ホースラディッシュ(西洋わさび)を添えて食べるのが定番です。シンプルな食べ方だからこそ、ソーセージ本来の味が楽しめるんですね。
フランクフルトソーセージの起源と中世の歴史
13世紀から存在した伝統の味
フランクフルトソーセージの歴史は、なんと13世紀にまで遡ります。
中世の文献には、フランクフルト市の名物として肉のソーセージが記録されています。当時から市民に愛される食べ物だったようです。
神聖ローマ皇帝の戴冠式で提供
フランクフルトソーセージが特別な存在になった背景には、神聖ローマ帝国の歴史があります。
フランクフルト市は、1562年のマクシミリアン2世の戴冠式から、神聖ローマ皇帝の戴冠式が行われる重要な都市でした。現在も観光名所となっているレーマー広場で、盛大な祝宴が催されていたんです。
この戴冠式の祝宴で振る舞われたのが、フランクフルトソーセージでした。皇帝の即位という最も格式高い儀式で提供されるソーセージとして、その名声は確固たるものとなっていきます。
1487年:フランクフルトソーセージ誕生の記録
フランクフルト市の主張によると、フランクフルトソーセージが正式に誕生したのは1487年とされています。
これはコロンブスがアメリカ大陸に到達する5年前のことで、大航海時代が始まる直前の話。つまり、フランクフルトソーセージは500年以上もの歴史を持つ、由緒正しい伝統食品なんです。
2024年には、フランクフルト市がホットドッグ500周年を祝うイベントを開催したほど、その歴史は地元の誇りとなっています。
職人組合による品質管理と伝統の継承
精肉店の厳格な区分け
中世から19世紀半ばまで、フランクフルトの精肉店は牛肉屋と豚肉屋が厳格に区分けされていました。
フランクフルトソーセージは豚肉屋から生まれたため、現在でも本場のフランクフルトソーセージは100%豚肉で作られます。牛肉を混ぜることは伝統的には認められていなかったんですね。
16世紀:職人組合の結成
16世紀になると、ニュルンベルクやフランクフルトといった都市でソーセージ職人の組合が結成されます。
この組合によって、ソーセージ作りの技術と伝統が体系化され、品質管理も徹底されるようになりました。職人たちは厳しい修行を経てマイスター(親方)の資格を取得し、その技術を次の世代へと継承していったのです。
1860年頃:地理的表示保護の始まり
フランクフルトソーセージの人気が高まるにつれ、各地で模倣品が作られるようになります。
そこで1860年頃、「フランクフルター・ヴュルストヒェン」という名称がドイツで地理的表示保護を受けることになりました。これは、特定の地域で伝統的な製法で作られた製品だけが、その名称を使用できるという制度です。
さらに1929年には、この保護がより厳格になり、フランクフルト市およびその周辺地域(主にノイ・イーゼンブルクとドライアイヒ)で製造されたソーセージだけが「フランクフルター・ヴュルストヒェン」を名乗れるようになりました。
現在でもこの規制は続いており、本物のフランクフルトソーセージは限られた地域でしか作られていないんです。
ヨハン・ゲオルク・ラーナー:フランクフルトとウィーンをつなぐ男
一人の職人がソーセージの歴史を変えた
フランクフルトソーセージの歴史を語る上で、絶対に外せない人物がいます。
それがヨハン・ゲオルク・ラーナー(Johann Georg Lahner、1772-1845年)です。
ラーナーはドイツのバイエルン地方出身の肉職人で、フランクフルトでソーセージ作りの修行を積みました。その後、1804年にオーストリアの首都ウィーンに移住し、新たな挑戦を始めます。
1805年:ウィーンでの革新
1805年5月、ラーナーはウィーンのショッテンフェルト地区に自分の肉屋を開業しました。
当時の新聞記事には、彼の店に「奇妙な創作品」が並んでいたと記録されています。それこそが、後に世界を席巻することになる新しいスタイルのソーセージだったんです。
フランクフルトとウィーンの融合
ラーナーが革新的だったのは、フランクフルト流の製法にウィーンの食文化を融合させた点にあります。
フランクフルトでは精肉店が厳格に区分けされていたため、ソーセージは豚肉だけで作られていました。しかし、ウィーンにはそのような制限がなかったんです。
そこでラーナーは、豚肉と牛肉をブレンドし、さらにウィーン流のきめ細かい挽き方を採用しました。こうして生まれた新しいソーセージは、よりなめらかな食感と深い味わいを持つものになったのです。
ラーナーは自分のソーセージを「フランクフルター」と呼び続けましたが、ウィーンの人々からは大評判を博し、やがて「ウィーンのフランクフルター」として広まっていきました。
皇帝からの愛顧
ラーナーのソーセージは、一般市民だけでなく、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世にも愛されました。
皇帝のお墨付きを得たことで、ラーナーのソーセージの名声はさらに高まります。1842年には、生まれ故郷を離れて異国で成功したラーナーに、ウィーン名誉市民権が授与されました。
1845年に彼が亡くなった後も、その事業は息子たちに引き継がれ、ラーナー家のソーセージは長くウィーン市民に愛され続けたのです。
「ウィンナー」と「フランクフルト」の名前の謎
なぜ名前が逆になった?
ここで面白い話があります。
- ドイツでは、ラーナーが作ったタイプのソーセージを「ヴィーナー・ヴュルストヒェン(ウィーンのソーセージ)」と呼ぶ
- オーストリアでは、同じものを「フランクフルター」と呼ぶ
なぜこんなことになったのでしょうか?
理由は簡単です。ラーナーがフランクフルトで修行した職人だったため、ウィーンでは「フランクフルト流のソーセージ」として認知されました。一方、ドイツから見れば、ラーナーの革新的なレシピはウィーンで生まれたものなので「ウィーンのソーセージ」となったわけです。
つまり、お互いの国が相手の都市名をつけて呼んでいるという、なんとも面白い状況が生まれたんですね。
日本での区分け
ちなみに、日本ではフランクフルトとウィンナーの区分けが独自の発展を遂げています。
日本農林規格(JAS)では、以下のように定義されています。
| 種類 | ケーシング | 太さ |
|---|---|---|
| ウィンナーソーセージ | 羊腸(または人工ケーシング) | 20mm未満 |
| フランクフルトソーセージ | 豚腸(または人工ケーシング) | 20mm以上36mm未満 |
| ボロニアソーセージ | 牛腸(または人工ケーシング) | 36mm以上 |
これは日本独自の分類方法で、本場ドイツやオーストリアとは異なります。日本では「太さ」で呼び分けているのに対し、ヨーロッパでは「製法と発祥地」で区別しているんですね。
アメリカへの伝来とホットドッグの誕生
19世紀:ドイツ移民がもたらした食文化
19世紀半ば、多くのドイツ人がアメリカに移住しました。
彼らは故郷の食文化、特にソーセージ作りの技術をアメリカに持ち込みます。当時のアメリカでは、路上でソーセージを温めて売り歩くドイツ移民の姿が見られるようになりました。
パンに挟むアイデアの誕生
熱々のソーセージを素手で持つのは大変です。
そこで生まれたのが、パンに挟んで提供するというアイデア。
一説によると、ソーセージを掴むための手袋を貸していたところ、返却されないことが多かったため、代わりにパンを使うようになったとも言われています。
チャールズ・フェルトマンとコニーアイランド
1867年、ドイツ系移民のチャールズ・フェルトマンがニューヨークのコニーアイランドで、パンにソーセージを挟んだ食べ物の販売を始めました。
フェルトマンは元々パン職人で、ビーチでパイを売り歩いていた人物です。彼は限られたスペースの手押し車で様々なサンドイッチを作るのは難しいと考え、シンプルに焼いたソーセージをロールパンに乗せることを思いつきました。
この手軽で美味しい食べ物は瞬く間に人気を博し、コニーアイランドの名物となっていきます。
「ホットドッグ」という名前の由来
では、なぜ「ホットドッグ(熱い犬)」という奇妙な名前がついたのでしょうか?
いくつかの説がありますが、最も有力なのは以下の通りです。
ダックスフント説
細長いソーセージの形が、ドイツ原産の犬「ダックスフント」に似ていたことから、「ダックスフントソーセージ」と呼ばれるようになりました。
その後、タッド・ドーガンというニューヨークの漫画家が、野球場で売られているこのソーセージを漫画にしようとした際、「Dachshund(ダックスフント)」のスペルがわからず、代わりに「Hot Dog」と書いたという逸話があります。
この漫画自体は発見されていませんが、「ホットドッグ」という言葉は1890年代前半から使われていた記録があり、この時期に名称が定着したと考えられています。
都市伝説説
また、当時のアメリカでは「ソーセージに犬の肉が入っているのでは?」という都市伝説が広まっていました。実際、19世紀から20世紀にかけてのドイツでは、一部の地域で犬肉が消費されていたこともあり、この噂に拍車がかかったようです。
この都市伝説から、ソーセージを「ドッグ」と呼ぶスラングが生まれ、それが「ホットドッグ」という名称につながったという説もあります。
野球場とホットドッグの深い関係
1890年代になると、ホットドッグは野球場の定番グルメとして定着していきました。
1893年のシカゴ万博では大量のソーセージが販売され、同年、セントルイスのバー経営者で野球チームのオーナーでもあったクリス・フォン・デア・アーが、野球場でのホットドッグ販売を始めたとされています。
手軽に食べられ、安価で、試合を見ながら片手で楽しめるホットドッグは、野球観戦にぴったりの食べ物でした。現在でもアメリカの野球場では、各スタジアムに名物のホットドッグがあり、観客に愛されています。
ソーセージ文化が発展した理由
ドイツの厳しい冬と保存食の知恵
そもそも、なぜドイツではこれほどソーセージ文化が発展したのでしょうか?
その答えは、厳しい気候にあります。
ドイツの冬は長く寒く、家畜の餌となるドングリなどが不足してしまいます。冬を越せない家畜は秋のうちに屠殺し、その肉を長期保存する必要がありました。
こうした背景から、肉を塩漬けにして腸に詰め、燻製にするソーセージ作りの技術が発達したのです。
香辛料の流通とソーセージの進化
ソーセージ作りに欠かせないのが、クローブやコリアンダーといった香辛料です。
これらの香辛料は豚肉の臭みを消し、風味を加える重要な役割を果たします。しかし、元々ヨーロッパには自生していませんでした。
大航海時代以降、東方からの香辛料がヨーロッパに流入するようになると、ソーセージ作りはさらに進化を遂げます。中世後期、北ドイツはハンザ同盟の一員として貿易を支配しており、香辛料を手に入れやすい環境にあったことも、ドイツのソーセージ文化発展に貢献しました。
戦争と携帯食料としてのソーセージ
ソーセージは兵士の携帯食料としても重宝されました。
保存がきき、栄養価が高く、短時間で食べられるソーセージは、戦場での食糧として理想的だったのです。兵士の士気を高めるために、より美味しいソーセージを作ろうという研究が進み、技術の向上につながったとも言われています。
日本におけるフランクフルトソーセージの歴史
江戸時代:最初の出会い
ソーセージそのものは、実は江戸時代に日本に持ち込まれていました。
しかし、当時の日本では肉食が一般的ではなかったため、広まることはありませんでした。
明治時代:国産ソーセージの始まり
明治時代になると、日本人が本格的にソーセージを作り始めます。
ただし、この時期もまだ肉のソーセージは人気がなく、なかなか普及には至りませんでした。
戦後:給食とともに広まる
フランクフルトソーセージが日本で本格的に広まったのは、第二次世界大戦後のことです。
進駐軍を通じてホットドッグ文化が伝わり、1950年代には学校給食にも登場するようになりました。コッペパンにソーセージを挟んだスタイルは、子どもたちに大人気となります。
日本独自の進化:赤いウィンナー
日本では独自の進化として、赤いウィンナーソーセージが誕生しました。
お弁当に入っている「タコさんウィンナー」や「カニさんウィンナー」は、日本ならではの食文化です。この赤いウィンナーは、見た目を華やかにするために着色されたもので、本場ドイツには存在しない日本独自のソーセージなんです。
現代におけるフランクフルトソーセージ
アメリカの国民食として
現在、アメリカでは一人あたり年間約60食のホットドッグが消費されているとも言われ、まさに国民食として定着しています。
特に、メモリアルデー(5月末)からレーバーデー(9月初旬)までのバーベキューシーズンには、推定70億本ものホットドッグが消費されるというから驚きです。
各地で個性的なホットドッグが発展し、シカゴスタイル(ピクルスやトマトをトッピング)やニューヨークスタイル(マスタードとザワークラウト)など、地域ごとの特色があります。
ウィーンの食文化遺産として
一方、フランクフルトソーセージを発展させたウィーンでは、2024年にウィーンのソーセージスタンド文化(ヴュルステルシュタント文化)がユネスコの無形文化遺産に登録されました。
街角に立つソーセージスタンドは、社会的なつながりを育む場所として、ウィーンの文化に欠かせない存在となっています。労働者から皇帝まで、あらゆる階層の人々が同じソーセージを楽しむという伝統は、200年以上続いてきたのです。
日本のお祭り文化とともに
日本では、フランクフルトソーセージといえばお祭りの屋台を思い浮かべる人も多いでしょう。
縁日やイベント会場で売られる、串に刺したフランクフルトは、マスタードやケチャップをつけて歩きながら食べる、日本の夏の風物詩です。
まとめ
フランクフルトソーセージは、500年以上の歴史を持つ由緒ある食べ物です。
重要なポイント
- 13世紀:フランクフルト市でソーセージが名物として知られるようになる
- 1487年:フランクフルトソーセージの正式な誕生とされる年
- 16世紀以降:神聖ローマ皇帝の戴冠式で提供され、名声が確立
- 1805年:ヨハン・ゲオルク・ラーナーがウィーンで豚肉と牛肉をブレンドした新しいスタイルを開発
- 19世紀後半:ドイツ移民によってアメリカに伝わり、ホットドッグとして発展
- 1860年頃:ドイツで地理的表示保護を受け、名称が法的に守られる
- 1929年:フランクフルト市周辺でのみ「フランクフルター・ヴュルストヒェン」の名称使用が認められる
- 戦後:日本に本格的に伝わり、独自の食文化として定着
神聖ローマ帝国の皇帝の宴から、アメリカの野球場、日本のお祭りの屋台まで。フランクフルトソーセージは時代と国境を超えて、人々に愛され続けてきました。
次にフランクフルトを食べるときには、ぜひその500年以上の歴史に思いを馳せてみてください。一口かじれば、中世ドイツの職人たちの技と情熱が、今も変わらず伝わってくるはずです。

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