空を見上げて太陽を眺めたとき、その中に三本足のカラスが住んでいると想像したことはありますか?
古代中国の人々は、毎日空を横切る太陽の正体を「金色に輝く三本足の烏」だと信じていました。この神秘的な鳥は「三足烏(さんそくう)」と呼ばれ、約5000年以上前から東アジア全域で崇拝されてきた存在なんです。
実は、日本サッカー協会のエンブレムに描かれている三本足のカラス「八咫烏(やたがらす)」も、この三足烏の伝承に深く関わっています。
この記事では、中国神話に登場する太陽の化身「三足烏」について、その起源から壮大な神話、そして東アジア各国への影響まで詳しくご紹介します。
三足烏とは?
三足烏は、中国神話に登場する三本足のカラスで、太陽に棲む神聖な鳥として古くから信仰されてきました。
中国語では「サンズゥウー(sānzúwū)」と発音します。別名として金烏(きんう)、日烏(にちう)、赤烏(せきう)、火烏(かう)、陽烏(ようう)などとも呼ばれ、太陽そのものの象徴として扱われてきました。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名称 | 三足烏(さんそくう/さんぞくう) |
| 中国語読み | sānzúwū(サンズゥウー) |
| 別名 | 金烏、日烏、赤烏、火烏、陽烏 |
| 分類 | 霊鳥、太陽神の化身 |
| 主な出典 | 『淮南子』『山海経』『楚辞』など |
| 対となる存在 | 月兎(げっと)・蟾蜍(せんじょ=ヒキガエル) |
三足烏の最大の特徴は、やはり三本の足を持つこと。なぜ二本ではなく三本なのでしょうか?
これには陰陽五行説が深く関わっています。古代中国の思想では、偶数は「陰」、奇数は「陽」とされていました。「三」は陽の数であり、太陽という究極の「陽」の象徴にふさわしい数字だったのです。
『春秋元命苞』という古典には「陽数起於一、成於三(陽の数は一に起こり、三にて成る)」と記されており、太陽の中に三本足の烏がいる理由として説明されています。
三足烏の姿
三足烏の外見について、古文献にはさまざまな描写が残されています。
基本的な姿
三足烏は基本的にカラスの姿をしていますが、普通のカラスとは異なる神秘的な特徴を持っています。
主な特徴
- 足の数:三本(陽の象徴)
- 体の色:黒色、または金色・赤色で描かれることも
- 大きさ:太陽の円盤を満たすほど巨大
- 翼:炎をまとって天空を飛翔する
興味深いのは、三足烏が「黒い」と「金色」という二つの描写が並存していることです。「金烏」という名前が示すように金色で描かれることも多いのですが、実際の図像では黒いカラスとして描かれ、背後の太陽が金色や朱色で彩色されるのが一般的でした。
太陽の黒点説
一説によると、三足烏は太陽の黒点を擬人化したものだと考えられています。
古代の人々が太陽を観察した際、黒点が見えることがありました。この黒い点を「太陽の中に棲む黒いカラス」と解釈したのが、三足烏伝説の起源の一つとされているんです。
文献による描写の違い
文献によって、三足烏の役割は微妙に異なります。
- 太陽そのものである説:三足烏が太陽の化身であり、烏が空を飛ぶことで太陽が移動する
- 太陽を運ぶ説:三足烏が太陽を背中に載せて天空を移動する
- 太陽の中に棲む説:太陽という「世界」の中に三足烏が住んでいる
どの説も、三足烏と太陽が不可分の存在であることを示しています。
三足烏の神話と伝承
三足烏にまつわる神話は、中国神話の中でも特にドラマチックなものです。
十の太陽と扶桑の神樹
最も有名な伝承は、『淮南子』や『山海経』に記された「十の太陽」の物語です。
遠い昔、東方の大海のほとりに扶桑(ふそう)という巨大な神樹がありました。この神樹には10羽の三足烏が住んでおり、それぞれが太陽の化身でした。
彼らの母は羲和(ぎわ)という太陽の女神。父は天帝の帝俊(ていしゅん)です。羲和は毎朝、子どもたちを一羽ずつ天空へと送り出していました。
太陽の日課
- 三足烏たちは扶桑の枝で眠っている
- 朝になると、当番の烏が母・羲和の御す車に乗って空へ昇る
- 空を東から西へと横切り、夕方には西方の若木(じゃくぼく)という神樹に降りる
- 翌日は別の烏が当番を務める
こうして10羽の三足烏が交代で空を照らしていたため、10日で一巡りする「一旬(いちじゅん)」という暦の単位が生まれたとされています。
羿による射日神話
ところが、ある日、大事件が起こります。
伝説の聖帝・堯(ぎょう)の時代のこと。10羽の三足烏が次第に言うことを聞かなくなり、ついに全員が同時に空に昇ってしまったのです。
10個の太陽が一斉に輝いた結果、大地は灼熱地獄と化しました。
- 草木は枯れ果て、土は焦げた
- 河川は干上がり、人々は飢えに苦しんだ
- 猛獣や毒虫が人間を襲い始めた
- 人類は滅亡の危機に瀕した
困り果てた堯帝は、天帝に救いを求めました。そこで天帝が遣わしたのが、弓の名手羿(げい)です。
羿は天帝から授かった赤い弓と矢筒を手に、次々と太陽を射落としていきました。射抜かれた太陽は地上に落下し、黄金色の三足烏の姿を現したのです。
最終的に羿は9羽の三足烏を射落とし、残る1羽だけを空に残しました。こうして現在のように太陽は一つになったと伝えられています。
なぜ1羽だけ残したのか?
一説によると、堯帝が「太陽がなくなっては困る」と慌てて羿を止めたから。また別の説では、羿自身が「最後の1羽は残さなければならない」と判断したとも言われています。
残された三足烏は、以後も変わらず毎日空を横切り、私たちに光と温もりを与え続けているのです。
西王母の使者として
三足烏には、太陽の化身としての役割以外にも重要な役目がありました。
『山海経』や漢代の画像石には、三足烏が西王母(せいおうぼ)に仕える姿が描かれています。西王母は崑崙山に住む女神で、不老不死の仙桃を管理する存在です。
三足烏は西王母のもとに食事を運ぶ使者の役割を担っていました。漢代の墓の壁画では、西王母の傍らに三足烏がはべっている図像がしばしば見られます。
また、司馬相如の『大人の賦』にも「西王母の使者としての三足烏」が登場しており、太陽神としての役割と使者としての役割、二つの側面を持っていたことがわかります。
三足烏の起源と考古学的証拠
三足烏信仰は、どこから生まれたのでしょうか。考古学的な発見から、その起源を探ってみましょう。
最古の証拠
鳥と太陽を結びつける信仰の痕跡は、驚くほど古い時代に遡ります。
- 紀元前5000年頃:長江下流域の遺跡から、鳥と太陽を組み合わせたモチーフが出土
- 仰韶文化(紀元前5000〜3000年):土器に三足烏と思われる図像
- 龍山文化:鳥と太陽のトーテム的な遺物
つまり、三足烏信仰の原型は約7000年前にまで遡る可能性があるのです。
三星堆遺跡の青銅神樹
特に重要な発見が、1986年に中国四川省で発掘された三星堆遺跡の「青銅神樹」です。
この青銅器(一号神樹)は約3000年前のもので、巨大な樹木に鳥が止まっている姿が造型されています。学者たちは、この樹木が『淮南子』や『山海経』に登場する扶桑・若木のような神樹を表しており、止まっている鳥が太陽を象徴する三足烏の原型だと考えています。
馬王堆遺跡の帛画
1972年に発掘された馬王堆漢墓(前漢初期、紀元前2世紀頃)からは、興味深い帛画(絹に描かれた絵)が出土しました。
この帛画には太陽の中にカラスが描かれていますが、注目すべきは足が二本だということ。つまり、前漢初期の段階では、まだ「三本足」という設定が確立していなかった可能性があります。
三本足の設定が明確になったのは、漢代中期以降と考えられています。『春秋元命苞』などの緯書(いしょ=予言的な古典解釈書)で「陽数起於一、成於三、日中有踆烏」と説明されるようになり、三本足という特徴が定着していったのです。
漢代の画像石
漢代(紀元前206年〜220年)になると、墓の装飾に三足烏が盛んに描かれるようになりました。
- 墓室の壁画:太陽の円盤の中に三足烏
- 画像石:西王母と三足烏のセット
- 棺覆い:日月星辰とともに描かれる三足烏
これらの図像は、三足烏が祥瑞(しょうずい=めでたいしるし)として認識されていたことを示しています。実際、魏・晋から唐代にかけて、史書には三足烏の「出現報告」がたびたび記録されているんです。
対となる月の存在
三足烏を語る上で欠かせないのが、月に住むとされる存在との対比です。
太陽の烏と月の兎
中国神話では、太陽に三足烏が住むように、月には兎やヒキガエルが住むと信じられていました。
| 天体 | 住む存在 | 別名 |
|---|---|---|
| 太陽 | 三足烏 | 金烏、陽烏 |
| 月 | 月兎(げっと) | 玉兎 |
| 月 | 蟾蜍(せんじょ) | 三足のヒキガエル |
「金烏玉兎(きんうぎょくと)」という四字熟語は、太陽と月、つまり日月や歳月を意味する言葉として使われています。また「烏飛兎走(うひとそう)」という表現は、太陽の烏が飛び月の兎が走るように、日数があっという間に過ぎていくことを例えたものです。
嫦娥と月のヒキガエル
月の蟾蜍には、悲しい伝説があります。
三足烏を射落とした英雄・羿には、嫦娥(じょうが)という美しい妻がいました。羿は西王母から不死の薬をもらいますが、嫦娥がこれを盗んで飲み、月へと逃げてしまいます。
『淮南子』によると、月に逃れた嫦娥はヒキガエル(蟾蜍)に変えられてしまったとされています。月を見上げたとき、模様がヒキガエルに見えるのはこのためだという伝承です。
現代では「月にはウサギがいる」というイメージが一般的ですが、「太陽にはカラスがいる」というイメージはあまり残っていません。中秋節などで月のウサギは親しまれ続けていますが、太陽の烏はいつしか忘れられていったようですね。
東アジアへの広がり
三足烏信仰は中国だけでなく、東アジア全域に広がっていきました。
高句麗の三足烏(サムジョゴ)
朝鮮半島では、高句麗(紀元前37年〜668年)で三足烏が特に重要な存在でした。
韓国語ではサムジョゴ(삼족오)と呼ばれ、「火烏」とも言われます。高句麗の古墳壁画には多数の三足烏が描かれており、王権や最高権力の象徴として崇められていたことがわかります。
特徴的なのは、高句麗では三足烏が龍や鳳凰よりも上位に位置づけられていたこと。古墳壁画では、三足烏が中央に配置され、その両脇に龍と鳳凰が描かれています。
高句麗の人々は「三足烏は太陽に住み、亀は月に住む」と信じていました。この点は中国の「月兎・蟾蜍」とは少し異なりますね。
日本の八咫烏(やたがらす)
日本では、三足烏は八咫烏(やたがらす)と同一視されています。
八咫烏は『古事記』『日本書紀』に登場する神鳥で、神武天皇が東征の際、熊野から大和への道案内をした存在として知られています。
興味深い事実
実は、古事記や日本書紀には「八咫烏が三本足だった」とは一切書かれていません。「八咫」は「大きい」を意味する言葉で、原典では単に「巨大なカラス」として描かれているんです。
では、なぜ八咫烏は三本足として描かれるようになったのでしょうか?
これは中国の三足烏伝承が日本に伝わり、太陽神アマテラスの使いである八咫烏と結びついた結果だと考えられています。平安時代(930年代)以降、八咫烏は三足烏と同一視されるようになりました。
三本足の意味(熊野本宮大社の説明)
熊野本宮大社によると、八咫烏の三本の足にはそれぞれ意味があります。
- 天:天神地祇(神々)
- 地:自然環境
- 人:人間
これは「神と自然と人間は、同じ太陽から生まれた兄弟である」という思想を表しているとされています。
法隆寺玉虫厨子
日本における三足烏の古い図像として有名なのが、法隆寺に所蔵されている玉虫厨子(たまむしのずし)です。
7世紀に作られたこの仏具には、太陽の中に三足烏が描かれており、中国・高句麗からの三足烏信仰が早い段階で日本に伝わっていたことを示しています。
また、奈良県のキトラ古墳(7〜8世紀)の壁画にも、三足烏を含む天文図が描かれていることがわかっています。
天皇と三足烏
三足烏は、日本の皇室とも深い関わりがあります。
天皇の礼冠である冕冠(べんかん)や宝冠の上部には、太陽を表す日形が置かれ、その中心に三足烏が描かれていました。平安中期(1036年)の『土右記』にもこの記述があり、三足烏は古くから皇位の象徴とされてきたことがわかります。
藤原宮の大極殿に立てられた烏形幢(うけいどう)という旗も、三足烏の姿をしていました。これは「天皇が太陽神(天照大神)の子孫である」ことを示す装置だったと考えられています。
現代への影響
三足烏は、現代の文化にも大きな影響を与えています。
日本サッカー協会のエンブレム
最も身近な例が、日本サッカー協会(JFA)のエンブレムです。
赤い円(太陽)の中に描かれた三本足のカラスは、八咫烏をモチーフにしています。これは「神武天皇を勝利に導いた八咫烏のように、日本代表を勝利に導いてほしい」という願いが込められているんです。
エンブレムを考案したのは、日本サッカーの父と呼ばれる中村覚之助(1878〜1906)。彼の出身地である和歌山県那智勝浦町は、まさに八咫烏が神武天皇を導いた熊野の地でした。
ゲーム・アニメでの登場
三足烏(金烏)は、現代のエンターテイメント作品にも頻繁に登場します。
- ペルソナシリーズ:ペルソナとして登場
- 大神:太陽神アマテラスに関連するキャラクター
- 陰陽師:式神として登場
- 原神:稲妻地域のモチーフに影響
- Fate/Grand Order:神霊関連のキャラクター
中国のゲームやアニメでも「金烏」は人気のモチーフで、太陽の力を持つキャラクターとして描かれることが多いです。
三足烏のシンボリズム
現代においても、三足烏は以下のような象徴として使われています。
- 勝利と導き:スポーツチームのエンブレム
- 太陽と光明:神社の神紋
- 王権と正統性:歴史的なシンボル
- 再生と活力:太陽の象徴として
出典と主要文献
三足烏について記された主な古典文献をまとめておきましょう。
中国の文献
| 文献名 | 成立時期 | 主な記述内容 |
|---|---|---|
| 『山海経』 | 戦国時代〜漢代 | 扶桑の神樹と太陽を運ぶ烏 |
| 『楚辞』天問篇 | 戦国時代 | 羿による射日神話 |
| 『淮南子』 | 前漢(紀元前139年頃) | 10羽の三足烏と羿の物語 |
| 『春秋元命苞』 | 漢代 | 三本足の理由(陽数の説明) |
日本の文献
| 文献名 | 成立時期 | 主な記述内容 |
|---|---|---|
| 『古事記』 | 712年 | 八咫烏による神武天皇の道案内 |
| 『日本書紀』 | 720年 | 八咫烏の神話 |
| 『和漢三才図会』 | 1712年 | 金烏の図と解説 |
まとめ
三足烏は、太陽に棲む神聖な鳥として、約5000年以上にわたって東アジアで崇拝されてきた存在です。
重要なポイント
- 太陽の化身:三足烏は太陽そのもの、または太陽を運ぶ神鳥として信仰された
- 三本足の理由:陰陽五行説で「三」は陽の数であり、太陽と結びつく
- 射日神話:10羽の三足烏が同時に出現し、羿が9羽を射落として世界を救った
- 西王母の使者:不老不死の女神に仕える役割も持っていた
- 考古学的証拠:紀元前5000年頃から鳥と太陽を結ぶ信仰が存在
- 東アジアへの広がり:高句麗のサムジョゴ、日本の八咫烏として各地に伝播
- 現代への影響:日本サッカー協会のエンブレムなど、今も親しまれている
月を見上げれば兎を思い浮かべる私たちですが、太陽を見上げたとき、その中に三本足のカラスがいることを思い出す人は少なくなりました。
しかし、三足烏の伝説は今も東アジアの文化に深く根付いています。サッカー日本代表を応援するとき、熊野古道を歩くとき、あるいは古い神社を訪れるとき、そこには三足烏の姿があるかもしれません。
太陽が昇るたびに、はるか古代から語り継がれてきた金色の神鳥が、今も空を翔けていると想像してみるのも素敵ですね。


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