ゲームやアニメで「曹操」「劉備」「孫権」という名前を聞いたことはありませんか?
これらはすべて、中国の歴史書『三国志』に登場する有名な君主たちの名前です。
三国志の時代は、約1800年前の中国で起きた壮大な群雄割拠の物語。
魏(ぎ)・蜀(しょく)・呉(ご)という三つの国が、天下統一をめざして争いました。
でも、「曹操って魏の皇帝じゃないの?」「三国以外にも勢力があったの?」という疑問を持つ方も多いのではないでしょうか。
この記事では、三国志に登場する君主たちを国別・時代別に整理し、それぞれの特徴やエピソードをわかりやすく解説していきます。
三国志の君主とは?

三国時代の基本
三国時代とは、220年から280年までの約60年間を指します。
この時代、中国大陸は三つの国に分かれていました。
| 国名 | 建国者 | 首都 | 支配地域 |
|---|---|---|---|
| 魏(曹魏) | 曹丕 | 洛陽 | 華北(黄河流域) |
| 蜀(蜀漢) | 劉備 | 成都 | 四川地方 |
| 呉(孫呉) | 孫権 | 建業(現在の南京) | 長江下流域 |
国力を比較すると、魏が6、呉が2、蜀が1という割合だったとされています。
魏が圧倒的に強かったんですね。
「君主」と「皇帝」の違い
ここで注意したいのが、「君主」と「皇帝」は必ずしも同じではないということ。
たとえば曹操は魏の基礎を築いた人物ですが、生前は「魏王」であり、皇帝にはなっていません。
息子の曹丕が皇帝として即位したのち、曹操は「武帝」として追尊されました。
つまり三国志でいう「君主」には、以下の人々が含まれます。
- 実際に皇帝となった人物
- 皇帝にはならなかったが国の基礎を築いた人物
- 三国成立以前に割拠した群雄たち
三国成立以前の群雄たち
三国時代が始まる前、中国は「群雄割拠」と呼ばれる混乱期にありました。
184年の黄巾の乱をきっかけに、各地で有力者が兵を挙げたのです。
董卓(とうたく)
生没年:?~192年
後漢末期に都・洛陽を支配した暴君です。
幼い皇帝を廃して新たな皇帝を擁立し、自らは相国として権力を握りました。
しかし暴政を敷いたため各地の諸侯が反発。
最終的には養子の呂布に殺害されています。
董卓は三国志の物語で「最初の敵役」として描かれることが多い人物ですね。
袁紹(えんしょう)
生没年:?~202年
名門・袁家の出身で、反董卓連合軍の盟主を務めました。
河北四州を支配し、一時は最大勢力を誇っています。
ところが官渡の戦い(200年)で曹操に敗れ、その後病死しました。
名門の出身でありながら、決断力に欠けたことが敗因とされます。
袁術(えんじゅつ)
生没年:155年~199年
袁紹の従弟(または異母兄弟)で、淮南地方を支配しました。
197年に自ら皇帝を名乗り、国号を「仲」としたことで知られています。
しかし周囲から孤立し、わずか数年で滅亡。
三国志で「早すぎた皇帝」として有名な人物です。
公孫瓚(こうそんさん)
生没年:?~199年
幽州を拠点とした武将で、異民族との戦いで名を馳せました。
「白馬義従」と呼ばれる精鋭騎馬隊を率いています。
袁紹との争いに敗れ、最終的には自害しました。
劉備が一時期身を寄せていた人物でもあります。
呂布(りょふ)
生没年:?~199年
「飛将」と呼ばれた三国志最強の武将です。
しかし主君を次々と裏切ったことでも有名。
丁原→董卓→王允と渡り歩き、最終的には曹操に捕らえられて処刑されました。
武勇は天下一でしたが、人としての信義に欠けた人物として描かれています。
劉表(りゅうひょう)
生没年:142年~208年
荊州を治めた名士で、学問を奨励した文化人でもありました。
劉備を客将として迎えたことでも知られています。
ただし曹操の南下に対して決断を下せないまま病死し、息子の代で降伏することになりました。
魏の君主一覧

魏は三国の中で最も強大な国でした。
華北を支配し、人口・経済力ともに他の二国を圧倒しています。
曹操(そうそう)── 魏の礎を築いた覇王
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生没年 | 155年~220年 |
| 字 | 孟徳(もうとく) |
| 諡号 | 武帝(太祖) |
| 地位 | 魏王(皇帝にはならず) |
どんな人物?
三国志で最も有名な人物の一人です。
官渡の戦いで袁紹を破り、華北を統一しました。
「乱世の奸雄」と評される一方、優れた詩人でもあり、文学にも貢献しています。
有名なエピソード
- 「寧教我負天下人、休教天下人負我」(俺が天下を裏切ることはあっても、天下に俺を裏切らせはしない)という言葉が伝わる
- 赤壁の戦いで孫権・劉備連合軍に大敗
- 生涯で皇帝にはならなかったが、息子の曹丕が即位後に「武帝」として追尊された
曹丕(そうひ)── 初代皇帝
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生没年 | 187年~226年 |
| 字 | 子桓(しかん) |
| 諡号 | 文帝(世祖) |
| 在位 | 220年~226年 |
どんな皇帝?
曹操の息子で、魏の初代皇帝です。
後漢の献帝から禅譲を受けて即位し、正式に魏王朝を開きました。
父・曹操、弟・曹植とともに「三曹」と呼ばれる優れた文学者でもあります。
九品中正法という人材登用制度を創設したことでも知られています。
曹叡(そうえい)── 二代皇帝
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生没年 | 206年~239年 |
| 字 | 元仲(げんちゅう) |
| 諡号 | 明帝 |
| 在位 | 226年~239年 |
どんな皇帝?
曹丕の長男で、聡明な君主として知られています。
諸葛亮の北伐や呉の侵攻を司馬懿らに命じて防ぎました。
日本の邪馬台国から使者が来たのも、この曹叡の時代です。
ただし晩年は宮殿建設に熱中し、国力を消耗させたという批判もあります。
曹芳(そうほう)── 三代皇帝
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生没年 | 232年~274年 |
| 諡号 | 廃帝(斉王) |
| 在位 | 239年~254年 |
曹叡の養子で、わずか8歳で即位しました。
実権は司馬懿とその息子たちに握られ、最終的には司馬師によって廃位されています。
曹髦(そうぼう)── 四代皇帝
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生没年 | 241年~260年 |
| 諡号 | 廃帝(高貴郷公) |
| 在位 | 254年~260年 |
曹丕の孫にあたる人物です。
司馬昭の専横に耐えかね、自ら兵を率いてクーデターを起こしました。
「司馬昭の心は路人も知る」という言葉を残したことで有名。
しかし返り討ちにあい、皇帝でありながら臣下に殺されたという前代未聞の最期を遂げています。
曹奐(そうかん)── 最後の皇帝
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生没年 | 246年~302年 |
| 諡号 | 元帝 |
| 在位 | 260年~265年 |
魏の最後の皇帝です。
265年、司馬炎に禅譲して魏は滅亡しました。
その後は陳留王として余生を送り、56歳まで生きています。
蜀の君主一覧
蜀(蜀漢)は、漢王朝の復興を掲げた国でした。
国力は三国で最も小さかったものの、諸葛亮の活躍などで魏と互角に渡り合っています。
劉備(りゅうび)── 蜀の建国者
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生没年 | 161年~223年 |
| 字 | 玄徳(げんとく) |
| 諡号 | 昭烈帝 |
| 在位 | 221年~223年 |
どんな人物?
漢の皇族の末裔を自称し、漢王朝の復興を目指した人物です。
関羽・張飛との「桃園の誓い」、諸葛亮を迎えた「三顧の礼」など、数々の名場面で知られています。
人徳に優れ、多くの人材を惹きつけました。
有名なエピソード
- 長坂の戦いで趙雲に救われた
- 赤壁の戦いで孫権と連合し曹操を破る
- 夷陵の戦いで呉に大敗し、白帝城で病没
劉禅(りゅうぜん)── 二代皇帝(最後の皇帝)
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生没年 | 207年~271年 |
| 字 | 公嗣(こうし) |
| 諡号 | 懐帝(後世の追尊) |
| 在位 | 223年~263年 |
どんな皇帝?
劉備の息子で、蜀の二代目にして最後の皇帝です。
即位時は17歳で、諸葛亮が丞相として補佐しました。
「暗愚な君主」というイメージが強いですが、在位41年という長期政権を維持したのも事実。
263年に魏に降伏し、蜀は滅亡しました。
その後は洛陽で安楽公として余生を送り、「蜀を思い出さないのですか?」と問われて「ここが楽しいので思い出しません」と答えた逸話が有名です。
呉の君主一覧
呉は長江下流域を支配し、三国で最も長く存続しました(229年~280年)。
水軍に優れ、海上交易も盛んでした。
孫堅(そんけん)── 呉の基礎を築いた猛将
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生没年 | 155年~192年 |
| 字 | 文台(ぶんだい) |
| 諡号 | 武烈帝(追尊) |
孫権の父で、「江東の虎」と呼ばれた猛将です。
黄巾の乱や董卓討伐で活躍しましたが、劉表との戦いで戦死しました。
皇帝にはなりませんでしたが、息子の孫権が即位後に「武烈帝」として追尊しています。
孫策(そんさく)── 小覇王
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生没年 | 175年~200年 |
| 字 | 伯符(はくふ) |
| 諡号 | 長沙桓王(追尊) |
孫堅の長男で、「小覇王」と呼ばれました。
わずか数年で江東を平定する快進撃を見せましたが、26歳の若さで暗殺されています。
弟の孫権に後事を託しました。
孫権(そんけん)── 呉の初代皇帝
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生没年 | 182年~252年 |
| 字 | 仲謀(ちゅうぼう) |
| 諡号 | 大帝 |
| 在位 | 229年~252年 |
どんな皇帝?
呉の初代皇帝で、70歳まで長生きしました。
赤壁の戦いで曹操を破り、三国鼎立を実現させた立役者です。
曹操に「子を持つなら孫権のような子が欲しい」と言わしめたほどの人物でした。
ただし晩年は後継者問題で混乱を招き、「二宮事件」と呼ばれるお家騒動を起こしています。
孫亮(そんりょう)── 二代皇帝
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生没年 | 243年~260年 |
| 諡号 | 廃帝(会稽王) |
| 在位 | 252年~258年 |
孫権の末子で、10歳で即位しました。
権臣の孫綝と対立し、廃位されています。
孫休(そんきゅう)── 三代皇帝
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生没年 | 235年~264年 |
| 諡号 | 景帝 |
| 在位 | 258年~264年 |
孫亮の兄で、孫綝を誅殺して親政を始めました。
蜀が滅亡した翌年に病没しています。
孫皓(そんこう)── 最後の皇帝
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生没年 | 242年~284年 |
| 諡号 | 末帝(帰命侯) |
| 在位 | 264年~280年 |
呉の最後の皇帝で、残虐な暴君として知られています。
即位当初は名君になると期待されましたが、次第に酒色に溺れ、気に入らない臣下を残忍に処刑するようになりました。
280年、晋に降伏して呉は滅亡。これにより三国時代は終わりを迎えます。
君主たちの関係を整理

魏の系譜
曹操(武帝)
│
└── 曹丕(文帝)── 初代皇帝
│
└── 曹叡(明帝)── 二代皇帝
│
└── 曹芳(養子)── 三代皇帝【廃位】
│
└── 曹髦(曹丕の孫)── 四代皇帝【暗殺】
│
└── 曹奐(曹操の孫)── 五代皇帝【禅譲】
蜀の系譜
劉備(昭烈帝)── 初代皇帝
│
└── 劉禅(懐帝)── 二代皇帝【降伏】
呉の系譜
孫堅(武烈帝)
│
├── 孫策(長沙桓王)
│
└── 孫権(大帝)── 初代皇帝
│
├── 孫亮 ── 二代皇帝【廃位】
│
├── 孫休(景帝)── 三代皇帝
│
└── 孫和(廃太子)
│
└── 孫皓(末帝)── 四代皇帝【降伏】
まとめ:三国志君主の特徴
三国志に登場する君主たちは、それぞれ個性豊かな人物ばかりです。
各国の特徴
| 国 | 皇帝の数 | 存続期間 | 特徴 |
|---|---|---|---|
| 魏 | 5人 | 45年 | 最大勢力だが、司馬氏に実権を奪われた |
| 蜀 | 2人 | 43年 | 漢の復興を掲げたが、国力不足で滅亡 |
| 呉 | 4人 | 52年 | 最も長く存続したが、内紛で弱体化 |
覚えておきたいポイント
- 曹操は皇帝にならなかったが、魏の基礎を築いた
- 劉備は漢の皇族を名乗り、正統性を主張した
- 孫権は三国で最後に皇帝となった(229年)
- 最終的に三国すべてを統一したのは司馬炎の晋
三国志の魅力は、これらの君主たちと、彼らを支えた数多くの武将・軍師たちの物語にあります。
興味を持った人物がいたら、ぜひ『三国志演義』や正史『三国志』にも挑戦してみてください。
ゲームやアニメとはまた違った、深い歴史の世界が待っていますよ。


コメント