三国志の女性一覧|乱世を彩った美女・女傑・才女たち完全ガイド

神話・歴史・伝承

三国志といえば、曹操・劉備・孫権といった英雄たちの物語を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。

しかし実は、約1,200名の登場人物のうち約60名が女性であり、彼女たちの存在なしには三国志は語れません。
絶世の美女として歴史を動かした者、夫を支えて戦場に立った女傑、そして乱世に翻弄されながらも才能を発揮した才女たち。

「貂蝉くらいしか知らない…」「武将ばかりで女性は出番少ないでしょ?」と思っていませんか?
実はそれ、大きな勘違いです。

この記事では、三国志に登場する女性たちを「魏・呉・蜀」の三国別に整理し、それぞれの人物像やエピソードをわかりやすく紹介します。


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三国志の女性たちの概要

男尊女卑の時代における女性の立場

三国時代(220年〜280年)は、極端な男尊女卑が社会の常識とされていた時代でした。

そのため、正史『三国志』には女性の名前すら残されていないことが多く、「○○氏」と夫の姓で呼ばれることがほとんどです。
しかし、そんな時代だからこそ、記録に残された女性たちは特別な存在だったといえるでしょう。

三国志の女性は大きく3タイプに分けられる

1. 歴史を動かした美女・策略家

  • 貂蝉(架空)、甄氏、大喬・小喬など
  • その美貌で権力者を翻弄したり、政治に影響を与えた女性たち

2. 戦場で活躍した女傑

  • 王異、祝融(架空)など
  • 自ら武器を取って戦った稀有な存在

3. 才能を発揮した才女

  • 蔡文姫、辛憲英など
  • 文学や知略で名を残した女性たち

中国四大美人の一人「貂蝉」

基本情報

項目内容
名前貂蝉(ちょうせん)
所属王允の養女
登場作品『三国志演義』(架空の人物)
特徴中国四大美人の一人

どんな人物?

貂蝉は『三国志演義』に登場する架空の美女で、中国四大美人(西施・王昭君・貂蝉・楊貴妃)の一人に数えられています。

司徒・王允の養女として育てられ、その絶世の美貌を活かして「美女連環の計」に協力しました。

歴史を変えた「美女連環の計」

王允は暴君・董卓を倒すため、養女の貂蝉を使った策略を考えます。

計略の流れ

  1. まず貂蝉を董卓の養子・呂布に会わせ、婚約を約束する
  2. 次に貂蝉を董卓に献上し、側室とする
  3. 二人の間で貂蝉が「私は呂布様を愛しています」と涙を流す
  4. 嫉妬に狂った呂布が、最終的に董卓を殺害する

この計略により、誰も倒せなかった暴君・董卓は滅びました。

貂蝉のその後は?

『三国志演義』では、董卓死後の貂蝉の行方は明確に描かれていません。
そのため、後世の民間伝承では様々なバージョンが生まれました。

  • 曹操の側室になった説
  • 関羽に嫁いだ説
  • 自ら命を絶った説(吉川英治『三国志』)
  • 庶民として余生を送った説

正史には貂蝉の名は登場しませんが、呂布が董卓の侍女と密通していたという記述はあり、これが貂蝉のモデルとされています。


魏の女性たち

蔡文姫(蔡琰)──悲劇の天才詩人

項目内容
名前蔡琰(さいえん)字は文姫
生没年177年頃〜249年頃
父親蔡邕(さいよう)後漢の大学者
作品『悲憤詩』『胡笳十八拍』

才女として知られた幼少期

蔡文姫は後漢の大学者・蔡邕の娘として生まれ、幼い頃から非凡な才能を見せていました。

有名な逸話として、父が琴を弾いていた際に弦が切れると、別室にいた蔡文姫が「二番目の弦が切れましたね」と言い当てたという話があります。
父が試しに四番目の弦を切ると、やはり正確に言い当てたため、蔡邕は娘の才能に驚嘆しました。

波乱に満ちた人生

最初の結婚と夫の死

  • 衛仲道に嫁ぐが、若くして夫と死別
  • 実家に戻り、父とともに学問に励む

匈奴への拉致(195年頃)

  • 董卓の残党による乱の中、匈奴の騎兵に拉致される
  • 南匈奴の左賢王・劉豹の妻にされる
  • 12年間、異国で2人の子を産む

曹操による帰還(207年)

  • 曹操が蔡邕に跡継ぎがいないことを惜しみ、身代金を払って帰還させる
  • 子供たちを匈奴に残さなければならず、別れの悲しみを詩に詠む

名作『悲憤詩』の誕生

蔡文姫は自身の悲劇的な人生を詩に詠みました。

「児こすすみて我が頸をいだき、母に問うにいずくにか之ゆかんと」
(我が子が私の首に抱きついてきて「お母さん、どこに行っちゃうの」と聞く)

この詩は中国文学史上、女性詩人による最高傑作の一つとされています。

曹操との関係

帰還後、曹操の仲立ちで董祀と再婚します。
しかし董祀が罪を犯して死刑を宣告されると、蔡文姫は髪を振り乱し裸足で曹操の宴会に駆け込み、夫の助命を嘆願しました。

曹操はこれを聞き入れ、董祀を赦免したといいます。

また、父・蔡邕の失われた蔵書を復元する際、蔡文姫は記憶だけで400編以上を書き起こし、誤字脱字は一つもなかったと伝えられています。


甄氏(甄姫)──傾国の美女の悲劇

項目内容
名前甄氏(しんし)※名前は不明
生没年183年〜221年
袁煕→曹丕
諡号文昭皇后

絶世の美女と呼ばれた才媛

甄氏は冀州中山郡の名家・甄逸の末娘として生まれました。
幼い頃から聡明で慎ましやかな性格で、「玉の肌、花の顔」と称される絶世の美女でした。

最初は袁紹の次男・袁煕に嫁ぎましたが、夫が幽州に赴任した後、姑の世話をするために鄴に残っていました。

曹丕との運命的な出会い

204年、曹操が鄴を攻め落とした際、真っ先に袁紹の屋敷に駆け込んだのは息子の曹丕でした。

曹丕は震えて命乞いをする姑を引き離し、甄氏を連れ出します。
実は曹操も甄氏を狙っていたのですが、息子に先を越されてしまったのです。

曹操は「この野郎!まるで俺のために戦ったみたいじゃないか!」と嘆いたものの、最終的に二人の結婚を許しました。

悲劇的な最期

曹丕に寵愛された甄氏は、後の魏明帝・曹叡を産みます。
しかし曹丕の寵愛が郭氏に移ると、甄氏は鄴に残され、洛陽には連れて行ってもらえませんでした。

寵愛を失った悲しみから愚痴をこぼしたところ、それが曹丕の耳に入り、221年に死を賜ります。

『漢晋春秋』によれば、遺体の髪を掻き乱され、口には糠を詰められて葬られたとも伝えられています。

曹植との関係

曹丕の弟・曹植も甄氏を慕っていたという説があります。
甄氏の死後、曹植が詠んだ『洛神賦』は、洛水の女神への恋慕を歌ったものですが、実は甄氏への想いを託したものだという伝説が残っています。


辛憲英──先見の明を持った才女

項目内容
名前辛憲英(しんけんえい)
生没年191年〜269年
父親辛毘(しんび)魏の重臣
特徴政治的な先見の明を持つ才女

弟を救った知恵

辛憲英は父・辛毘の娘として生まれ、若い頃から鋭い洞察力で知られていました。

司馬懿のクーデターを予見

249年、司馬懿が曹爽を倒すクーデター(高平陵の変)を起こした際、弟の辛敞は曹爽側にいました。
辛敞が「司馬懿に降伏すべきか」と相談すると、辛憲英はこう答えます。

「司馬懿は曹爽の専横を正すために兵を起こしたのです。あなたが職務に忠実であれば害されることはありません」

弟はこの助言に従い、命を救われました。


呉の女性たち

孫尚香──弓腰姫

項目内容
名前孫尚香(そんしょうこう)※孫夫人とも
父親孫堅
孫策・孫権
劉備

武芸を好んだ姫君

孫尚香は孫堅の娘として生まれ、幼い頃から武芸を好む活発な性格でした。
侍女たちにも武器を持たせ、異例の女性軍団を率いていたことから「弓腰姫」と呼ばれていました。

劉備との政略結婚

209年、赤壁の戦いの後、呉と蜀の同盟を強化するため、孫権の妹である孫尚香は劉備に嫁ぐことになりました。

『三国志演義』では、これは周瑜の「美人計」でした。
劉備を呉におびき寄せて捕らえるつもりが、諸葛亮の策略で計画は失敗し、二人は本当に結婚してしまいます。

趙雲と張飛に阻まれた帰郷

211年、呉と蜀の関係が悪化すると、孫尚香は劉備の嫡子・劉禅を連れて呉に帰ろうとします。

しかし、趙雲と張飛がこれを阻止し、劉禅を取り戻しました。
孫尚香は一人で呉に帰り、その後劉備と再会することはありませんでした。

伝説によれば、劉備が夷陵の戦いで敗れて亡くなったという知らせを聞いた孫尚香は、川に身を投げて自害したとされています。


大喬・小喬──絶世の姉妹美女

項目大喬小喬
孫策周瑜
通称二喬(にきょう)
出典正史・演義両方に登場

「江東の二喬」と呼ばれた美貌

大喬と小喬は「二喬」と呼ばれる姉妹で、当時「江東の二喬」として知られる絶世の美女でした。

孫策と周瑜が皖城を攻略した際、喬国老の二人の娘を見初め、それぞれ妻に迎えました。

赤壁の戦いと小喬

『三国志演義』では、曹操が南下した目的の一つに「二喬を手に入れたい」という野望があったとされています。

周瑜はこれを聞いて激怒し、赤壁の戦いで曹操と戦う決意を固めたという有名なエピソードがあります。

ただし、これは演義の創作であり、正史にはそのような記述はありません。


蜀の女性たち

黄月英──諸葛亮の妻

項目内容
名前黄月英(こうげつえい)※黄氏とも
諸葛亮
父親黄承彦
特徴才知に優れた発明家

「醜女」と呼ばれた才媛

黄月英は荊州の名士・黄承彦の娘です。
父は諸葛亮に「うちの娘は不器量だが、才能は君に匹敵する」と言って娘を勧めました。

諸葛亮はこれを承諾し、黄月英を妻に迎えます。
当時の人々は「孔明の嫁取りを真似するな、醜女を妻にするぞ」と笑ったと伝えられています。

しかし実際には、「天女のような美女」だったという説もあり、父の謙遜だったとも考えられています。

発明家としての才能

ゲームや創作では、黄月英は木牛流馬や連弩など、蜀の軍事技術を支えた発明家として描かれることが多いです。

正史には明確な記述はありませんが、諸葛亮が彼女の知恵を高く評価していたことは間違いありません。


甘夫人・糜夫人──劉備の妻たち

劉備には複数の妻がいましたが、最も有名なのは甘夫人と糜夫人です。

甘夫人

  • 劉備が小沛にいた頃からの側室
  • 後の皇帝・劉禅の生母
  • 長坂の戦いで趙雲に救出される

糜夫人

  • 糜竺・糜芳の妹
  • 長坂の戦いで劉禅を趙雲に託し、井戸に身を投げて自害
  • 趙雲の単騎救出の名場面を生んだ

群雄の女性たち

王異──正史に戦功が残る唯一の女傑

項目内容
名前王異(おうい)字は士異
趙昂
特徴正史で戦功が記録された唯一の女性

馬超との因縁

王異は魏の将軍・趙昂の妻で、正史『三国志』に戦功が記録された唯一の女性武将です。

213年、馬超が冀城を攻めた際、王異は自ら弓籠手を身に着けて応戦しました。
さらに自分の装飾品や高価な衣服を兵士たちに与え、士気を高めたのです。

息子を犠牲にした決断

馬超は趙昂の息子・趙月を人質に取りましたが、王異は夫にこう言い放ちます。

「忠義を立て、君父の恥辱をそそぐためなら、自分の首を失っても大したことではありません。まして一人の息子がなんだと言うのです」

この言葉で趙昂は決起を決意し、最終的に馬超を冀城から追い出すことに成功しました。

九つの奇策を補佐

冀城から祁山までの戦いにおいて、趙昂は九つの奇策を用いましたが、王異はそのすべてを補佐し、勝利に貢献したと記録されています。

その功績は他国にまで知られ、馬超の妻・楊氏も王異の名声を聞いていたほどでした。


祝融──南蛮の女戦士

項目内容
名前祝融(しゅくゆう)
孟獲
登場作品『三国志演義』(架空の人物)
特徴火神の末裔とされる女戦士

諸葛亮の南征で登場

祝融は『三国志演義』に登場する架空の人物で、南蛮王・孟獲の妻です。
火神・祝融の末裔を自称し、自ら戦場に立って蜀軍と戦いました。

飛刀を投げる技に優れ、蜀の武将・張嶷や馬忠を生け捕りにするなど、武勇を見せています。

正史には祝融に関する記述はありませんが、ゲームや創作では人気の高いキャラクターです。


三国志の主な女性一覧表

魏の女性

名前読み方関係特徴
蔡琰さいえん蔡邕の娘天才詩人「悲憤詩」
甄氏しんし曹丕の正室傾国の美女
卞夫人べんふじん曹操の正室曹丕・曹植の母
郭女王かくじょおう曹丕の皇后甄氏の後の皇后
辛憲英しんけんえい辛毘の娘先見の明を持つ才女
張春華ちょうしゅんか司馬懿の正室司馬師・司馬昭の母

呉の女性

名前読み方関係特徴
孫尚香そんしょうこう孫堅の娘弓腰姫、劉備の妻
大喬だいきょう孫策の妻二喬の姉
小喬しょうきょう周瑜の妻二喬の妹
呉国太ごこくたい孫権の母孫策・孫権を支えた
歩練師ほれんし孫権の皇后大皇后

蜀の女性

名前読み方関係特徴
甘夫人かんふじん劉備の側室劉禅の生母
糜夫人びふじん劉備の妻長坂で自害
黄月英こうげつえい諸葛亮の妻発明家とされる才女
関銀屏かんぎんぺい関羽の娘架空の人物

その他・架空の人物

名前読み方関係特徴
貂蝉ちょうせん王允の養女中国四大美人(架空)
王異おうい趙昂の妻正史に残る女傑
祝融しゅくゆう孟獲の妻南蛮の女戦士(架空)
呂玲綺りょれいき呂布の娘ゲームオリジナル(架空)

現代文化における三国志の女性たち

ゲームでの人気

コーエーテクモの『真・三國無双』シリーズをはじめ、三国志の女性キャラクターは現代のゲームで大人気です。

人気投票で上位に入る女性キャラクター

  1. 貂蝉
  2. 孫尚香
  3. 小喬
  4. 呂玲綺(架空)
  5. 甄姫

特に日本では、三国志TRPGプレイヤーの約3分の2が17〜35歳の女性だという調査結果もあり、女性からの支持も厚いことがわかります。

映画・ドラマでの描写

2008年のジョン・ウー監督作品『レッドクリフ』では、孫尚香(ヴィッキー・チャオ)が女性だけの護衛隊を率いて活躍するシーンが印象的に描かれました。


まとめ

三国志の女性たちは、単なる英雄の妻や母という存在ではありませんでした。

彼女たちが果たした役割

  • 貂蝉のように美貌で歴史を動かした者
  • 蔡文姫のように才能で後世に作品を残した者
  • 王異のように自ら戦場に立った女傑
  • 孫尚香のように二つの国の間で翻弄された姫君

男尊女卑の時代にあって、これほど多くの女性が記録に残されているのは、彼女たちがそれだけ特別な存在だったことを示しています。

三国志を読む際は、英雄たちだけでなく、彼らを支え、時に歴史を動かした女性たちにも注目してみてください。
きっと新しい発見があるはずです。

興味を持った人物がいたら、ぜひ彼女に関する小説やゲームを手に取ってみてはいかがでしょうか。
三国志の世界がより深く、より豊かに見えてくることでしょう。

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