数学で「行列(ぎょうれつ)」という言葉を聞いたことはありますか?
行列は、数学の中でも特に重要な概念の一つで、現代の科学技術、特にコンピュータグラフィックス、人工知能、データ分析などで欠かせないツールとなっています。
かつては高校数学で学んでいた行列ですが、2012年以降の学習指導要領で一時削除され、2022年度から数学Cで再び学習できるようになりました。
この記事では、行列とは何か、どんな種類があるのか、どう計算するのか、そしてどこで使われているのかを、数学が苦手な人にもわかりやすく解説していきます。
行列とは何か
行列の基本的な定義
行列(matrix、マトリックス)とは、数や記号を縦と横に長方形(矩形)状に並べたものです。
簡単に言えば、「数の表」のようなものです。
行列の例:
┌ ┐
│ 1 2 3 │
│ 4 5 6 │
└ ┘
この行列は、6つの数を2行3列に並べています。
行と列の違い
行列を理解する上で、まず「行」と「列」の違いを覚えましょう。
行(row、ろう)
- 横に並んだ数の一列
- 上から1行目、2行目、3行目…と数える
- 覚え方:「行(こう)」は横(よこ)の「こう」
列(column、カラム)
- 縦に並んだ数の一列
- 左から1列目、2列目、3列目…と数える
- 覚え方:「列(れつ)」は縦に「列ぶ」
具体例:
┌ ┐
│ 1 2 3 4 │ ← 1行目
│ 5 6 7 8 │ ← 2行目
└ ┘
↑ ↑ ↑ ↑
1 2 3 4
列 列 列 列
目 目 目 目
行列の表記法
行列は通常、以下のように表記されます:
1. 大きなかっこで囲む
┌ ┐
│ 1 2 │
│ 3 4 │
└ ┘
または
[ 1 2 ]
[ 3 4 ]
2. 行列全体は大文字で表す
行列全体をA、B、Cなどの大文字のアルファベットで表します。
A = ┌ ┐
│ 1 2 │
│ 3 4 │
└ ┘
3. 成分は小文字と添え字で表す
行列の各要素(成分)は、小文字と2つの添え字で表します。
- aᵢⱼ:i行目、j列目の成分
例えば、上のAについて:
- a₁₁ = 1(1行1列目)
- a₁₂ = 2(1行2列目)
- a₂₁ = 3(2行1列目)
- a₂₂ = 4(2行2列目)
行列のサイズ(型)
行列のサイズは「m × n行列」と表現します。
- m:行の数
- n:列の数
- 「m行n列の行列」とも言う
例:
┌ ┐
│ 1 2 3 │ ← 2行ある
│ 4 5 6 │
└ ┘
↑
3列ある
これは「2×3行列」(2行3列の行列)
行列の種類
行列には、その形や性質によっていくつかの種類があります。
1. 正方行列(square matrix)
定義:行と列の数が同じ行列
2×2正方行列:
┌ ┐
│ 1 2 │
│ 3 4 │
└ ┘
3×3正方行列:
┌ ┐
│ 1 2 3 │
│ 4 5 6 │
│ 7 8 9 │
└ ┘
正方行列は非常に重要で、多くの特殊な性質を持っています。
2. 零行列(zero matrix)
定義:すべての成分が0の行列
記号:O(大文字のオー)
2×2零行列:
┌ ┐
│ 0 0 │
│ 0 0 │
└ ┘
2×3零行列:
┌ ┐
│ 0 0 0 │
│ 0 0 0 │
└ ┘
零行列は、数字の「0」と同じような役割を果たします。
3. 単位行列(identity matrix)
定義:対角成分(左上から右下への対角線上の成分)がすべて1で、それ以外が0の正方行列
記号:I または E
2×2単位行列:
┌ ┐
│ 1 0 │
│ 0 1 │
└ ┘
3×3単位行列:
┌ ┐
│ 1 0 0 │
│ 0 1 0 │
│ 0 0 1 │
└ ┘
単位行列は、数字の「1」と同じような役割を果たします。
4. 対角行列(diagonal matrix)
定義:対角成分以外がすべて0の正方行列
┌ ┐
│ 2 0 0 │
│ 0 5 0 │
│ 0 0 3 │
└ ┘
単位行列は対角行列の特殊なケースです。
5. 行ベクトルと列ベクトル
行ベクトル(row vector)
- 1行だけの行列(1×n行列)
[ 1 2 3 4 ]
列ベクトル(column vector)
- 1列だけの行列(m×1行列)
┌ ┐
│ 1 │
│ 2 │
│ 3 │
│ 4 │
└ ┘
ベクトルは行列の特殊な形と考えることができます。
行列の演算
行列には、数と同じように計算のルールがあります。
1. 行列の足し算
ルール:
- 同じサイズの行列どうしでないと足せない
- 対応する成分どうしを足す
例:
┌ ┐ ┌ ┐ ┌ ┐
│ 1 2 │ + │ 5 6 │ = │ 1+5 2+6 │
│ 3 4 │ │ 7 8 │ │ 3+7 4+8 │
└ ┘ └ ┘ └ ┘
= ┌ ┐
│ 6 8 │
│ 10 12│
└ ┘
注意点:
サイズが違う行列は足せません。
┌ ┐ ┌ ┐
│ 1 2 │ + │ 5 6 7 │ = 計算できない!
│ 3 4 │ │ 8 9 10│
└ ┘ └ ┘
(2×2) (2×3)
2. 行列の引き算
ルール:
- 足し算と同じく、同じサイズでないと引けない
- 対応する成分どうしを引く
例:
┌ ┐ ┌ ┐ ┌ ┐
│ 5 6 │ - │ 1 2 │ = │ 5-1 6-2 │
│ 7 8 │ │ 3 4 │ │ 7-3 8-4 │
└ ┘ └ ┘ └ ┘
= ┌ ┐
│ 4 4 │
│ 4 4 │
└ ┘
3. 行列のスカラー倍
ルール:
- 行列の各成分に同じ数(スカラー)を掛ける
例:
┌ ┐ ┌ ┐
2 × │ 1 2 │ = │ 2×1 2×2 │
│ 3 4 │ │ 2×3 2×4 │
└ ┘ └ ┘
= ┌ ┐
│ 2 4 │
│ 6 8 │
└ ┘
4. 行列の掛け算(積)
これが一番複雑です!
ルール:
- 左の行列の列数 = 右の行列の行数 でないと掛けられない
- 結果の行列のサイズは:(左の行数)×(右の列数)
計算方法:
左の行列の「行」と右の行列の「列」を掛けて足す。
例:2×2行列どうしの掛け算
┌ ┐ ┌ ┐
│ 1 2 │ × │ 5 6 │
│ 3 4 │ │ 7 8 │
└ ┘ └ ┘
計算:
- 1行1列目の成分:1×5 + 2×7 = 5 + 14 = 19
- 1行2列目の成分:1×6 + 2×8 = 6 + 16 = 22
- 2行1列目の成分:3×5 + 4×7 = 15 + 28 = 43
- 2行2列目の成分:3×6 + 4×8 = 18 + 32 = 50
結果:
┌ ┐
│ 19 22 │
│ 43 50 │
└ ┘
重要な注意点:
行列の掛け算は順序を入れ替えると結果が変わります!
一般に、A × B ≠ B × A
これを「交換法則が成り立たない」といいます。
5. 転置行列
定義:行と列を入れ替えた行列
記号:Aᵀ(Aの転置)
例:
┌ ┐
A = │ 1 2 3│
│ 4 5 6│
└ ┘
┌ ┐
Aᵀ = │ 1 4 │
│ 2 5 │
│ 3 6 │
└ ┘
元のAは2×3行列でしたが、Aᵀは3×2行列になります。
行列の応用
行列は数学の中だけでなく、様々な分野で活用されています。
1. 連立方程式を解く
行列の最も基本的な応用は、連立方程式を解くことです。
例:次の連立方程式を考えます
2x + 3y = 8
x - y = 1
これを行列で表すと:
┌ ┐ ┌ ┐ ┌ ┐
│ 2 3 │ × │ x │ = │ 8 │
│ 1 -1 │ │ y │ │ 1 │
└ ┘ └ ┘ └ ┘
つまり:A × X = B
この形にすることで、複雑な連立方程式も統一的に扱えます。
特に、変数が3つ、4つ、100個…となっても、行列を使えば同じ方法で解けるのです。
2. 座標変換とコンピュータグラフィックス
3Dゲームや映画のCGでは、行列が大活躍しています。
できること:
- 物体を回転させる
- 物体を拡大・縮小する
- 物体を移動させる
- カメラの視点を変える
例えば、ある点(x, y)を回転させたいとき、回転行列を使います:
┌ ┐ ┌ ┐ ┌ ┐
│ cosθ -sinθ │ × │ x │ = │ 新しいx │
│ sinθ cosθ │ │ y │ │ 新しいy │
└ ┘ └ ┘ └ ┘
1つの行列の計算で、回転という複雑な変換が簡単に実現できます。
3. データ分析と統計
大量のデータを扱う統計学やデータサイエンスでも、行列は欠かせません。
例:アンケート結果の整理
100人に5つの質問をしたアンケートは、100×5の行列で表現できます:
質問1 質問2 質問3 質問4 質問5
人1 [ 4 3 5 2 4 ]
人2 [ 5 5 4 3 5 ]
人3 [ 3 2 4 2 3 ]
⋮
人100[ 4 4 5 5 4 ]
この行列に対して様々な計算を行うことで:
- 平均点を求める
- 相関関係を調べる
- データの傾向を分析する
などができます。
4. 機械学習とAI
現代のAI技術の根幹には行列計算があります。
ニューラルネットワーク
脳の神経回路を模したニューラルネットワークは、大量の行列計算によって動いています。
入力データ → 行列計算 → 行列計算 → … → 出力結果
画像認識、音声認識、自動翻訳など、すべて膨大な行列計算で実現されています。
5. 物理学での応用
物理学でも行列は重要です。
量子力学
- 量子の状態を行列で表現
- 物理量の測定も行列演算
力学
- 複雑な運動を行列で記述
- 振動の解析
電磁気学
- 電気回路の解析
- 電磁場の変換
行列の歴史と高校数学での扱い
行列の発展
行列の概念は19世紀に発展しました。
- 1850年代:イギリスの数学者ケーリー(Cayley)が行列の代数的な体系を確立
- 1920年代:量子力学の発展とともに、行列が物理学で重要な役割を果たす
- 現代:コンピュータの発達により、行列計算が様々な分野で応用される
日本の高校数学での変遷
行列は、日本の高校数学で複雑な歴史を持っています。
~2012年度入学生まで
- 数学Cで行列を学習
- 多くの生徒が学んでいた
2013~2021年度入学生
- 学習指導要領から行列がほぼ削除
- 「数学活用」という選択科目に移動(ほとんど学習されず)
- 大学に入ってから初めて学ぶケースが多くなった
2022年度入学生~現在
- 数学Cで行列が復活
- ただし以前より内容は縮小
なぜこのような変遷があったのでしょうか?
削除の理由:
- 内容が難しい
- 受験に必要ない生徒も多い
- 他の重要な単元に時間を割きたい
復活の理由:
- データサイエンスの重要性が増した
- AI・機械学習の基礎として必要
- 大学で必ず学ぶ内容なので、高校で基礎を
大学での線形代数学
高校で学ぶ行列は、大学で「線形代数学(Linear Algebra)」という科目として本格的に学びます。
大学で学ぶ内容
基礎的な内容:
- 行列の演算(より詳しく)
- 行列式(determinant)
- 逆行列
- 連立方程式の理論
発展的な内容:
- ベクトル空間
- 線形変換
- 固有値と固有ベクトル
- 対角化
- 内積空間
どの学部で学ぶか
必ず学ぶ:
- 理学部(数学、物理、化学など)
- 工学部(すべての分野)
- 情報学部
学ぶことが多い:
- 経済学部(特に計量経済学)
- 統計学を学ぶ学部
- データサイエンス系の学部
学ばないことが多い:
- 文学部
- 法学部
- 一部の文系学部
ただし、データ分析が重要視される現代では、文系でも線形代数を学ぶ機会が増えています。
行列を学ぶコツ
行列の学習でつまずかないためのコツを紹介します。
コツ1:行と列を混同しない
「行は横、列は縦」を徹底的に覚える
覚え方:
- 「行(こう)」は「横(よこ)」の「こう」
- 「列(れつ)」は「列ぶ(ならぶ)」で縦に並ぶ
コツ2:掛け算の順序に注意
A × B と B × A は違う
これは行列の最も重要な特徴です。
普通の数では:2 × 3 = 3 × 2
行列では:A × B ≠ B × A(一般に)
計算するときは、必ず順序を確認しましょう。
コツ3:掛け算の計算方法を理解する
行列の掛け算は最初は難しく感じます。
覚えるポイント:
- 左の「行」と右の「列」を掛ける
- 「行列」という言葉自体が「行」と「列」
- これがヒントになっている
コツ4:図やイメージで理解する
行列は抽象的なので、具体的なイメージを持つと理解しやすくなります。
- 行列 = 表、データの集まり
- 掛け算 = 変換、操作
- 単位行列 = 何もしない変換
コツ5:応用例を知る
「何の役に立つの?」と思うと、勉強のモチベーションが下がります。
- ゲームのグラフィックス
- AIの仕組み
- データ分析
など、身近な応用例を知ると、学習意欲が湧いてきます。
まとめ
数学の「行列」について、重要なポイントをまとめます。
行列とは:
- 数や記号を縦横に長方形状に並べたもの
- 「数の表」のようなもの
- 横の並びが「行」、縦の並びが「列」
行列の種類:
- 正方行列:行と列の数が同じ
- 零行列:すべて0
- 単位行列:対角成分が1、他が0
- 行ベクトル・列ベクトル:1行または1列だけ
行列の演算:
- 足し算・引き算:同じサイズでのみ可能、対応する成分どうしを計算
- スカラー倍:各成分に数を掛ける
- 掛け算:複雑だが重要、順序を入れ替えると結果が変わる
- 転置:行と列を入れ替える
行列の応用:
- 連立方程式を解く
- コンピュータグラフィックス(3Dゲーム、CG)
- データ分析と統計
- 機械学習とAI
- 物理学(量子力学など)
学習のポイント:
- 行と列の違いを明確に
- 掛け算の順序に注意
- 計算方法を理解する
- 応用例を知ってモチベーションを保つ
行列は、最初は難しく感じるかもしれません。でも、「数の表を便利に扱うための道具」だと思えば、少しハードルが下がりませんか?
現代社会では、スマートフォンのゲーム、SNSのレコメンド機能、写真の加工アプリなど、私たちが日常的に使っているサービスの裏側で、行列の計算が動いています。
数学Cで行列を学ぶ人も、大学で初めて学ぶ人も、この記事が行列への理解の第一歩になれば嬉しいです。
行列をマスターすれば、データサイエンス、AI、コンピュータグラフィックスなど、様々な先端分野への扉が開きますよ。ぜひ、楽しみながら学んでくださいね!

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