ゲームや映画、漫画で「曹操」「劉備」「諸葛亮」という名前を聞いたことはありませんか?
これらはすべて、約1800年前の中国で活躍した実在の英雄たちの名前です。
「三国志」は、後漢王朝が衰退し、魏・蜀・呉という三つの国が天下統一を目指して争った時代を描いた物語。
登場人物は1000人以上とも言われ、その壮大なスケールと個性豊かな英雄たちが、今なお世界中の人々を魅了し続けています。
でも、「登場人物が多すぎてわからない」「誰が誰の味方なの?」と感じる方も多いのではないでしょうか。
この記事では、三国志に登場する英雄たちを、魏・蜀・呉の三国に分けてわかりやすく紹介していきます。
三国志の英雄とは?
三国志の基本を知ろう
三国志とは、西暦184年の黄巾の乱から西暦280年の天下統一までの約100年間を描いた歴史物語です。
この時代を記録した書物には、主に二つの種類があります。
正史『三国志』
陳寿(ちんじゅ)という歴史家が書いた歴史書。
事実に基づいた記録が中心で、比較的客観的な内容になっています。
『三国志演義』
羅貫中(らかんちゅう)が14世紀に書いた歴史小説。
正史をベースにしながらも、ドラマチックな脚色が加えられており、現在のゲームや映画のイメージはこちらが元になっていることが多いです。
三つの国の特徴
三国志の世界は、以下の三国が天下を争う構図になっています。
| 国名 | 創設者 | 本拠地 | 特徴 |
|---|---|---|---|
| 魏(ぎ) | 曹操 | 華北地方 | 最大の領土と人口を持つ最強国家 |
| 蜀(しょく) | 劉備 | 四川地方 | 漢王朝の復興を掲げる義の国 |
| 呉(ご) | 孫権 | 江南地方 | 水軍に優れた長江流域の大国 |
それでは、各国の英雄たちを詳しく見ていきましょう。
魏の英雄たち──乱世の覇者
魏は、曹操が築いた三国最大の国家です。
華北地方を支配し、優秀な人材を積極的に登用したことで知られています。
曹操(そうそう)──乱世の奸雄
基本情報
- 生没年:155年〜220年
- 字(あざな):孟徳(もうとく)
- 役割:魏の基礎を築いた政治家・軍略家・詩人
どんな人物?
「治世の能臣、乱世の奸雄」と評された、三国志を代表する英雄の一人です。
後漢王朝の高官として出世した後、黄巾の乱を機に独自の軍を率いるようになりました。
皇帝を保護して権力を掌握し、華北を統一。
三国の中で最も強大な勢力を築き上げています。
性格と特徴
曹操は非常に複雑な人物として描かれています。
才能ある人材を見抜く目を持ち、出身や身分にこだわらず優秀な者を登用しました。
一方で、疑り深く冷酷な面もあり、「寧ろ我、人を負くとも、人をして我を負かしむること無かれ」(自分が人を裏切ることはあっても、人に裏切られることはあってはならない)という言葉でも知られています。
また、詩人としても一流で、彼の残した詩は中国文学史に残る名作とされています。
有名なエピソード
- 官渡の戦い:兵力で劣る中、袁紹の大軍を破って華北統一の足がかりを築いた
- 赤壁の戦い:孫権・劉備連合軍に大敗し、天下統一の夢が遠のいた
- 人材登用:身分に関係なく能力のある者を登用する「唯才是挙」の方針を打ち出した
夏侯惇(かこうとん)──隻眼の猛将
基本情報
- 生没年:?年〜220年
- 字:元譲(げんじょう)
- 役割:曹操軍の筆頭将軍
どんな人物?
曹操の従兄弟であり、最も信頼された将軍の一人です。
戦で左目を射抜かれた際、「父母からもらった体だ」と言って自らの目玉を食べたという逸話が有名。
この壮絶なエピソードから「盲夏侯」とも呼ばれましたが、本人はこの呼び名を嫌っていたと言われています。
武勇だけでなく、民政にも優れた手腕を発揮し、曹操からの信頼は絶大でした。
夏侯淵(かこうえん)──神速の将軍
基本情報
- 生没年:?年〜219年
- 字:妙才(みょうさい)
- 役割:西方方面軍の司令官
どんな人物?
夏侯惇の従弟で、機動戦を得意とした名将です。
「三日で五百里、六日で千里」と言われるほどの迅速な行軍で敵を翻弄しました。
西方の異民族討伐で数々の武功を挙げ、曹操の領土拡大に大きく貢献しています。
しかし、定軍山の戦いで蜀の老将・黄忠に討たれてしまいます。
張遼(ちょうりょう)──合肥の英雄
基本情報
- 生没年:169年〜222年
- 字:文遠(ぶんえん)
- 役割:対呉戦線の主力将軍
どんな人物?
もともとは呂布に仕えていましたが、呂布の死後に曹操に降伏。
以後、曹操軍の主力として活躍した名将です。
合肥の戦いでは、わずか800騎で孫権率いる10万の大軍に奇襲をかけ、あと一歩で孫権を捕らえるところまで追い詰めました。
この戦いの後、呉では「張遼が来る」と言えば子供が泣き止むほど恐れられたと言われています。
許褚(きょちょ)──曹操の護衛官
基本情報
- 生没年:?年〜?年
- 字:仲康(ちゅうこう)
- 役割:曹操の親衛隊長
どんな人物?
「虎痴」(虎のように強く、素朴で正直者という意味)と呼ばれた怪力の持ち主です。
曹操の身辺を守る護衛として、常に傍らに控えていました。
馬超との一騎打ちでは、鎧を脱ぎ捨てて上半身裸で戦い、引き分けに持ち込んだという逸話が残っています。
その忠誠心と武勇から、曹操は許褚を「我が樊噲(はんかい)」と呼んで重用しました。
典韋(てんい)──悪来と呼ばれた豪傑
基本情報
- 生没年:?年〜197年
- 字:不明
- 役割:曹操の親衛隊長
どんな人物?
許褚と並ぶ曹操軍最強の武人で、80斤(約20kg)もある双戟を軽々と振り回したと言われています。
曹操は典韋を殷の紂王に仕えた勇士「悪来」になぞらえて、その武勇を称えました。
宛城の戦いで、曹操を逃がすために一人で敵を食い止め、壮絶な最期を遂げています。
曹操は典韋の死を深く悲しみ、何度も涙を流したと伝えられています。
司馬懿(しばい)──三国を終わらせた男
基本情報
- 生没年:179年〜251年
- 字:仲達(ちゅうたつ)
- 役割:魏の軍師・政治家
どんな人物?
諸葛亮の最大のライバルであり、後に三国を統一する晋王朝の基礎を築いた人物です。
当初は曹操の招きを病気を理由に断り続けていましたが、最終的に仕官。
曹操からは「狼顧の相」(振り返ったときに首が180度回る)を持つ危険人物として警戒されていました。
諸葛亮の北伐を何度も防ぎ、蜀の脅威を退けることに成功。
魏の軍事と政治の実権を握り、彼の孫の代で晋が建国されることになります。
郭嘉(かくか)──早逝した天才軍師
基本情報
- 生没年:170年〜207年
- 字:奉孝(ほうこう)
- 役割:曹操の参謀
どんな人物?
「もし郭嘉が生きていれば、赤壁の敗北はなかった」と曹操が嘆いたほどの天才軍師です。
袁紹との戦いでは「十勝十敗論」を述べて曹操を励まし、勝利に導きました。
その見識の鋭さと大胆な策略で、曹操の信頼を一身に集めていたのです。
しかし、遠征中に病に倒れ、わずか38歳で亡くなりました。
荀彧(じゅんいく)──王佐の才
基本情報
- 生没年:163年〜212年
- 字:文若(ぶんじゃく)
- 役割:曹操の筆頭参謀・内政担当
どんな人物?
曹操の覇業を支えた最大の功臣の一人で、「王佐の才」(王を補佐する才能)の持ち主と称されました。
戦略面では官渡の戦いで曹操を支え、内政面では多くの人材を曹操に推薦しています。
郭嘉や荀攸など、名だたる参謀たちの多くは荀彧の推薦によって曹操に仕えるようになりました。
しかし、曹操が魏公の地位を得ようとした際には反対。
漢王朝への忠誠を貫いた末に、最終的に自害したと言われています。
魏の主要武将一覧
| 武将名 | 字 | 役割 | 特徴 |
|---|---|---|---|
| 曹操 | 孟徳 | 魏の創設者 | 政治・軍事・文学に秀でた万能の英雄 |
| 曹丕 | 子桓 | 初代皇帝 | 曹操の後を継ぎ魏を建国 |
| 曹仁 | 子孝 | 将軍 | 守備戦に優れた曹操の従弟 |
| 夏侯惇 | 元譲 | 筆頭将軍 | 隻眼の猛将、曹操の腹心 |
| 夏侯淵 | 妙才 | 将軍 | 神速の機動戦を得意とする |
| 張遼 | 文遠 | 将軍 | 合肥で呉軍を恐怖させた名将 |
| 徐晃 | 公明 | 将軍 | 堅実で信頼される将軍 |
| 張郃 | 儁乂 | 将軍 | 地形を活かした戦術の名手 |
| 許褚 | 仲康 | 護衛 | 虎痴と呼ばれた怪力武将 |
| 典韋 | — | 護衛 | 悪来と称された豪傑 |
| 于禁 | 文則 | 将軍 | 軍律に厳格な将軍 |
| 楽進 | 文謙 | 将軍 | 小柄ながら先陣を切る勇将 |
| 司馬懿 | 仲達 | 軍師 | 諸葛亮のライバル、晋の礎を築く |
| 郭嘉 | 奉孝 | 軍師 | 早逝した天才参謀 |
| 荀彧 | 文若 | 軍師 | 王佐の才を持つ筆頭参謀 |
| 荀攸 | 公達 | 軍師 | 荀彧の甥、戦術の名手 |
| 賈詡 | 文和 | 軍師 | 毒士と呼ばれた謀略家 |
| 程昱 | 仲徳 | 軍師 | 大胆な策を得意とする参謀 |
蜀の英雄たち──義と仁の国
蜀は、劉備が建国した国家です。
漢王朝の復興を掲げ、「義」を重んじる姿勢から、三国志演義では主役として描かれています。
劉備(りゅうび)──仁徳の英雄
基本情報
- 生没年:161年〜223年
- 字:玄徳(げんとく)
- 役割:蜀の創設者・初代皇帝
どんな人物?
前漢の景帝の血を引くと称し、漢王朝の復興を掲げて立ち上がった人物です。
若い頃は貧しいむしろ売りで生計を立てていましたが、黄巾の乱をきっかけに義勇軍を組織。
関羽・張飛と義兄弟の契りを結び、長い流浪の末に蜀の地で皇帝となりました。
性格と特徴
三国志演義では「仁徳の人」として描かれています。
人を引きつける魅力があり、どんなに苦しい状況でも人々がついてきました。
一方で、武勇にも優れており、正史では関羽・張飛とともに呂布と戦った記録も残っています。
有名なエピソード
- 桃園の誓い:関羽・張飛と義兄弟の契りを結んだ伝説の場面
- 三顧の礼:諸葛亮を迎えるため、三度も草庵を訪ねた
- 長坂の戦い:曹操軍に追われる中、民衆を見捨てずに逃れた
- 白帝城の託孤:死の間際、諸葛亮に後事を託した
諸葛亮(しょかつりょう)──臥龍と呼ばれた天才軍師
基本情報
- 生没年:181年〜234年
- 字:孔明(こうめい)
- 役割:蜀の丞相・軍師
どんな人物?
「臥龍」(伏せている龍=まだ世に出ていない大人物)と呼ばれた、三国志最高の知将です。
劉備が三度も訪問してようやく仕官を承諾し、「天下三分の計」を献策。
赤壁の戦いでは孫権との同盟を実現させ、曹操の大軍を破る立役者となりました。
劉備の死後は蜀の国政を一手に担い、魏への北伐を繰り返し行っています。
五丈原で陣中に没するまで、蜀の存続のために尽力し続けました。
性格と特徴
慎重で緻密な性格で、準備を怠らない堅実な軍師として知られています。
一方で、木牛流馬(輸送用の木製機械)や連弩(連射できる弓)など、様々な発明も行った技術者としての一面も持っていました。
有名なエピソード
- 天下三分の計:魏・蜀・呉の三国鼎立を予見した戦略構想
- 赤壁の戦い:孫権との同盟を成功させ、東南の風を呼んだとされる
- 空城の計:城門を開け放ち、一人で琴を弾いて司馬懿の大軍を退けた
- 出師の表:北伐に際して劉禅に奉じた名文
関羽(かんう)──義の化身
基本情報
- 生没年:?年〜219年
- 字:雲長(うんちょう)
- 役割:蜀の筆頭将軍
どんな人物?
「武聖」として神格化され、現代でも商売の神として祀られている英雄です。
劉備・張飛と桃園で義兄弟の契りを結び、生涯を通じて劉備に忠誠を尽くしました。
その義理堅さから、敵である曹操からも敬意を払われています。
身長は9尺(約2m)を超え、美しい髭から「美髯公」とも呼ばれました。
青龍偃月刀という大刀を愛用し、その武勇は天下に轟いていたのです。
性格と特徴
義を重んじ、一度交わした約束は必ず守る人物として描かれています。
しかし、プライドが高く、自分より格下と見なした相手を見下す傾向がありました。
この性格が、最終的に呉の呂蒙に敗れる原因の一つになったとも言われています。
有名なエピソード
- 千里単騎:曹操のもとを去り、劉備のもとへ戻るため千里を駆けた
- 華容道:赤壁の戦い後、曹操を見逃して義理を返した
- 樊城の戦い:魏の于禁を破り、華北を震撼させた
- 関帝信仰:死後、神として祀られ、現在も世界中の中華街に関帝廟がある
張飛(ちょうひ)──万夫不当の豪傑
基本情報
- 生没年:?年〜221年
- 字:益徳(えきとく)または翼徳(よくとく)
- 役割:蜀の将軍
どんな人物?
関羽と並ぶ蜀最強の武将で、その武勇は「万人の敵」と恐れられました。
劉備・関羽とともに桃園で義兄弟となり、常に最前線で戦い続けました。
長坂橋では、たった一人で橋の上に立ち、大声で曹操軍を威嚇。
誰も近づけなかったという伝説が残っています。
性格と特徴
三国志演義では酒好きで短気な豪傑として描かれています。
しかし、正史によれば書画を嗜む教養人でもあり、単純な猪武者ではありませんでした。
後半生では知略も発揮し、智勇を兼ね備えた将軍として成長しています。
有名なエピソード
- 長坂橋の仁王立ち:曹操の大軍を一人で足止めした
- 厳顔の降伏:敵将を武勇と度量で心服させた
- 最期:部下への厳しすぎる態度が原因で、部下に殺害された
趙雲(ちょううん)──常勝の将軍
基本情報
- 生没年:?年〜229年
- 字:子龍(しりょう)
- 役割:劉備の護衛・将軍
どんな人物?
「一身これ胆なり」と評された、蜀を代表する名将の一人です。
最初は公孫瓚に仕えていましたが、後に劉備に合流。
長坂の戦いでは、曹操の大軍の中を単騎で駆け抜け、劉備の幼い息子・阿斗(後の劉禅)を救出しました。
性格と特徴
謹厳実直で、与えられた任務を確実に遂行する「職人肌」の軍人として描かれています。
関羽や張飛のような派手さはありませんが、諸葛亮からの信頼は絶大でした。
現代では、イケメンキャラクターとしてゲームや映画で人気を集めています。
有名なエピソード
- 長坂の戦い:曹操軍の中を七回も突破して阿斗を救出
- 空船の計:北伐時、少数の兵で敵を欺いて撤退に成功
- 生涯無敗:三国志演義では最も一騎討ちの回数が多く、ほぼ無敗
馬超(ばちょう)──錦馬超
基本情報
- 生没年:176年〜222年
- 字:孟起(もうき)
- 役割:蜀の将軍
どんな人物?
西涼(現在の甘粛省付近)の軍閥の跡取りで、「錦馬超」と呼ばれた美丈夫です。
父を曹操に殺された恨みから挙兵し、曹操を追い詰めるほどの強さを見せました。
曹操に「馬の子を殺さねば、我が墓所を得る地もなくなる」と言わしめたほどです。
後に劉備に帰順し、五虎将軍の一人に数えられています。
黄忠(こうちゅう)──老いてなお盛んな名将
基本情報
- 生没年:?年〜220年
- 字:漢升(かんしょう)
- 役割:蜀の将軍
どんな人物?
老齢ながら関羽と互角に戦った老将で、弓の名手としても知られています。
定軍山の戦いでは、魏の名将・夏侯淵を討ち取る大功を立てました。
劉備の蜀建国に大きく貢献し、五虎将軍の一人に任じられています。
「老いの一徹」という言葉がぴったりの、気骨ある武将でした。
魏延(ぎえん)──悲運の猛将
基本情報
- 生没年:?年〜234年
- 字:文長(ぶんちょう)
- 役割:蜀の将軍・漢中太守
どんな人物?
蜀の中で関羽・張飛に次ぐ武勇を誇った猛将です。
劉備からの信頼は厚く、重要拠点である漢中の守備を任されました。
しかし、諸葛亮とは方針の違いから対立することも。
諸葛亮の死後、謀反の疑いをかけられて殺害されてしまいます。
実際に謀反を企てていたかどうかは、今でも議論が分かれています。
姜維(きょうい)──孔明の後継者
基本情報
- 生没年:202年〜264年
- 字:伯約(はくやく)
- 役割:蜀の大将軍
どんな人物?
もともとは魏の将でしたが、諸葛亮に才能を見出されて蜀に帰順しました。
諸葛亮から直接兵法を学び、その遺志を継いで北伐を続けています。
11回もの北伐を行いましたが、国力の差から成功には至りませんでした。
蜀が魏に滅ぼされた後も、魏の将を利用して蜀の復興を企てましたが失敗。
最期は反乱の中で命を落としています。
蜀の主要武将一覧
| 武将名 | 字 | 役割 | 特徴 |
|---|---|---|---|
| 劉備 | 玄徳 | 創設者 | 仁徳で人を惹きつけた英雄 |
| 諸葛亮 | 孔明 | 丞相 | 天下三分を実現した天才軍師 |
| 関羽 | 雲長 | 将軍 | 義の化身、後に神として祀られる |
| 張飛 | 益徳 | 将軍 | 万夫不当の豪傑 |
| 趙雲 | 子龍 | 将軍 | 常勝の将軍、長坂で阿斗を救出 |
| 馬超 | 孟起 | 将軍 | 錦馬超と呼ばれた西涼の勇者 |
| 黄忠 | 漢升 | 将軍 | 老いてなお盛んな弓の名手 |
| 魏延 | 文長 | 将軍 | 漢中を守った猛将 |
| 姜維 | 伯約 | 大将軍 | 諸葛亮の後継者 |
| 龐統 | 士元 | 軍師 | 鳳雛と呼ばれた天才参謀 |
| 法正 | 孝直 | 軍師 | 蜀入りを成功させた謀臣 |
| 徐庶 | 元直 | 軍師 | 劉備最初の軍師、母のため曹操へ |
| 馬謖 | 幼常 | 参謀 | 街亭で大敗し処刑された |
| 関平 | — | 将軍 | 関羽の養子、父と運命をともにした |
| 関興 | 安国 | 将軍 | 関羽の実子 |
| 張苞 | — | 将軍 | 張飛の子 |
呉の英雄たち──江南の守護者
呉は、孫堅・孫策・孫権の孫家三代によって築かれた国家です。
長江を天然の要害として魏の侵攻を防ぎ、水軍に優れていました。
孫権(そんけん)──碧眼の君主
基本情報
- 生没年:182年〜252年
- 字:仲謀(ちゅうぼう)
- 役割:呉の創設者・初代皇帝
どんな人物?
兄・孫策の急死を受けて18歳で呉の君主となり、曹操・劉備と天下を三分しました。
曹操から「子を生むなら孫仲謀のような子が欲しい」と言われたほど、その器量は高く評価されていました。
碧眼(青い目)と紫髯(紫の髭)という特徴的な容貌から「碧眼児」とも呼ばれています。
性格と特徴
人材登用に長け、周瑜・魯粛・呂蒙・陸遜と、次々と優秀な人材を抜擢しました。
外交にも優れ、時に魏と結び、時に蜀と同盟を結ぶなど、柔軟な対応で国を守り続けています。
長命で、三国の君主の中で最も長く在位しました。
周瑜(しゅうゆ)──美周郎
基本情報
- 生没年:175年〜210年
- 字:公瑾(こうきん)
- 役割:呉の大都督(総司令官)
どんな人物?
「美周郎」と呼ばれた美男子で、音楽にも精通した教養人でした。
赤壁の戦いでは総指揮官として曹操の大軍を打ち破り、三国鼎立の礎を築いています。
孫策とは幼馴染で、互いに義兄弟として深い絆で結ばれていました。
有名なエピソード
- 赤壁の戦い:火計で曹操軍を撃破した最大の功労者
- 苦肉の計:黄蓋に偽の投降をさせる計略を成功させた
- 「既に周瑜を生んだのに、なぜ諸葛亮を生んだのか」:演義で描かれる諸葛亮への嫉妬の言葉
魯粛(ろしゅく)──呉蜀同盟の立役者
基本情報
- 生没年:172年〜217年
- 字:子敬(しけい)
- 役割:呉の大都督・外交官
どんな人物?
周瑜の後を継いで呉の軍事を統括した人物です。
「天下二分の計」を唱え、呉と蜀の同盟を推進しました。
赤壁の戦いでは、諸葛亮とともに孫権を説得して開戦を決断させています。
温厚な性格で、関羽との単独会談(単刀赴会)でも冷静に交渉を行いました。
呂蒙(りょもう)──白衣渡江
基本情報
- 生没年:178年〜219年
- 字:子明(しめい)
- 役割:呉の大都督
どんな人物?
「呉下の阿蒙」(学のない呂蒙)から大都督にまで成長した、努力の人です。
孫権に学問を勧められて猛勉強し、後に魯粛から「もはや呉下の阿蒙にあらず」と驚かれました。
「士別れて三日、刮目して相待つべし」という故事の由来となった人物です。
荊州奪還戦では、商人に変装した兵を船に乗せて関羽の裏をかく「白衣渡江」の計を成功させ、関羽を討ち取りました。
陸遜(りくそん)──夷陵の勝者
基本情報
- 生没年:183年〜245年
- 字:伯言(はくげん)
- 役割:呉の丞相・大都督
どんな人物?
呉の名門・陸家の出身で、呂蒙の後を継いで大都督となった名将です。
夷陵の戦いでは、関羽の仇を討つために攻め込んできた劉備の大軍を、火計で完全に撃破しました。
この敗北が原因で劉備は病に倒れ、死去しています。
文武両道の人物で、後に丞相にまで昇進しました。
甘寧(かんねい)──鈴の音の猛将
基本情報
- 生没年:?年〜?年
- 字:興覇(こうは)
- 役割:呉の将軍
どんな人物?
若い頃は長江で盗賊をしていた荒くれ者で、腰に鈴をつけて戦うことから「錦帆賊」と呼ばれていました。
呉に仕えてからは、わずか100人の決死隊で曹操軍に夜襲をかけ、大混乱を引き起こすなど、勇猛果敢な戦いぶりを見せています。
孫権から「孟徳(曹操)に張遼あり、孤(私)には甘興覇あり」と称えられました。
太史慈(たいしじ)──義に篤い豪傑
基本情報
- 生没年:166年〜206年
- 字:子義(しぎ)
- 役割:呉の将軍
どんな人物?
弓の名手で、孫策との一騎討ちが有名な豪傑です。
もともとは劉繇に仕えていましたが、孫策との一騎討ちで互いの武勇を認め合い、後に孫策に仕えるようになりました。
約束を守る義理堅い性格で、孫策からも深く信頼されていました。
呉の主要武将一覧
| 武将名 | 字 | 役割 | 特徴 |
|---|---|---|---|
| 孫堅 | 文台 | 創業者 | 「江東の虎」と呼ばれた猛将 |
| 孫策 | 伯符 | 創業者 | 「小覇王」と呼ばれた若き英雄 |
| 孫権 | 仲謀 | 初代皇帝 | 碧眼の君主、人材登用に長ける |
| 周瑜 | 公瑾 | 大都督 | 美周郎、赤壁の英雄 |
| 魯粛 | 子敬 | 大都督 | 呉蜀同盟を推進した外交官 |
| 呂蒙 | 子明 | 大都督 | 努力で大成した知将 |
| 陸遜 | 伯言 | 丞相 | 夷陵で劉備を破った名将 |
| 甘寧 | 興覇 | 将軍 | 錦帆賊と呼ばれた猛将 |
| 太史慈 | 子義 | 将軍 | 弓の名手、義に篤い豪傑 |
| 黄蓋 | 公覆 | 将軍 | 赤壁で苦肉の計を実行 |
| 程普 | 徳謀 | 将軍 | 孫家三代に仕えた重臣 |
| 韓当 | 義公 | 将軍 | 孫家三代に仕えた古参 |
| 周泰 | 幼平 | 将軍 | 孫権を身を挺して守った忠臣 |
| 凌統 | 公績 | 将軍 | 父の仇・甘寧と和解した将 |
| 張昭 | 子布 | 文官 | 呉の内政を支えた重臣 |
| 諸葛瑾 | 子瑜 | 文官 | 諸葛亮の兄、外交で活躍 |
群雄たちの英雄──三国成立前の猛者
三国が成立する前、多くの群雄が天下を争っていました。
彼らの中にも、魅力的な英雄たちがいます。
呂布(りょふ)──最強の武将
基本情報
- 生没年:?年〜199年
- 字:奉先(ほうせん)
- 役割:群雄の一人
どんな人物?
「人中に呂布あり、馬中に赤兎あり」と謳われた、三国志最強の武将です。
方天画戟という武器と、一日千里を走るという名馬・赤兎馬を駆り、その武勇は天下に並ぶ者がいませんでした。
劉備・関羽・張飛の三人がかりでも倒せなかったと言われています。
なぜ「裏切り者」と呼ばれるの?
呂布は義父を二度も殺害しています。
最初は丁原を殺して董卓に仕え、次に董卓を殺して独立しました。
この行動から「三姓家奴」(三つの姓を名乗った奴隷=恩知らず)と蔑まれることもあります。
最終的に曹操に捕らえられ、処刑されました。
董卓(とうたく)──暴君
基本情報
- 生没年:?年〜192年
- 字:仲穎(ちゅうえい)
- 役割:後漢末の権力者
どんな人物?
後漢王朝を乗っ取り、暴政を敷いた悪名高い人物です。
皇帝を廃立し、首都・洛陽を焼き払って長安に遷都するなど、傍若無人な振る舞いで知られています。
彼の暴政に対抗するため、曹操や袁紹らが反董卓連合を結成しました。
最終的に、養子の呂布に殺害されています。
袁紹(えんしょう)──名門の貴公子
基本情報
- 生没年:?年〜202年
- 字:本初(ほんしょ)
- 役割:群雄の一人
どんな人物?
名門・袁家の出身で、反董卓連合の盟主を務めた人物です。
華北一帯を支配する最大勢力を築き上げましたが、官渡の戦いで曹操に大敗。
この敗北が原因で病に倒れ、死後は息子たちの内紛で袁家は滅亡しました。
名声と兵力では曹操を上回っていましたが、決断力の欠如が敗因とされています。
貂蝉(ちょうせん)──傾国の美女
基本情報
- 生没年:不明
- 役割:董卓と呂布を仲違いさせた美女
どんな人物?
三国志演義に登場する架空の人物で、中国四大美女の一人に数えられています。
王允の計略により、董卓と呂布の両方に近づき、二人を仲違いさせることに成功。
これが呂布による董卓殺害につながりました。
正史には登場しない人物ですが、物語を彩る重要なキャラクターとして人気があります。
三国志の英雄が現代に与えた影響
ゲーム・漫画・映画
三国志は、現代のエンターテインメントに大きな影響を与えています。
ゲーム
- 『三國志』シリーズ(コーエーテクモ):戦略シミュレーションの金字塔
- 『真・三國無双』シリーズ:爽快なアクションで武将を操作
- 『三国志大戦』:トレーディングカードゲーム
漫画・小説
- 『蒼天航路』:曹操を主人公にした斬新な解釈
- 『龍狼伝』:タイムスリップした少年が三国志の世界へ
- 吉川英治『三国志』:日本で最も有名な三国志小説
映画・ドラマ
- 『レッドクリフ』:赤壁の戦いを描いた大作映画
- 中国ドラマ『三国演義』:1994年放送の決定版
- 『新解釈・三國志』:コメディ要素を加えた日本映画
故事成語・ことわざ
三国志を由来とする言葉は、現代でも広く使われています。
| 故事成語 | 由来 | 意味 |
|---|---|---|
| 三顧の礼 | 劉備が諸葛亮を三度訪ねた | 目上の人が礼を尽くして人材を招くこと |
| 泣いて馬謖を斬る | 諸葛亮が規律のため愛弟子を処刑 | 私情を捨てて規則を守ること |
| 水魚の交わり | 劉備と諸葛亮の関係 | 切っても切れない親密な関係 |
| 髀肉の嘆 | 劉備が平和な日々を嘆いた | 活躍の場がないことを嘆くこと |
| 白眉 | 馬氏五兄弟で馬良が最も優秀 | 多くの中で最も優れたもの |
| 刮目して見る | 呂蒙の成長を見て魯粛が驚いた | 急激な進歩を認めること |
まとめ
三国志の英雄たちは、単なる歴史上の人物ではありません。
曹操は、能力主義で人材を登用し、乱世を生き抜く知恵を教えてくれます。
劉備は、人望と忍耐の大切さを示しています。
諸葛亮は、知恵と忠義の象徴として、今も多くの人に尊敬されています。
関羽は、義を貫く生き方で神として祀られるまでになりました。
約1800年の時を超えて、彼らの物語が今なお私たちの心を揺さぶるのは、そこに普遍的な人間ドラマがあるからでしょう。
三国志の世界は非常に奥深く、一度読んだだけでは理解しきれないほど豊かな内容を持っています。
興味を持った英雄がいたら、ぜひその人物が活躍する他のエピソードも調べてみてください。
きっと新しい発見があるはずです。


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