日本の天皇の歴史をさかのぼると、記録がほとんど残っていない「謎の時代」があるのをご存じでしょうか?
第2代から第9代までの8人の天皇は「欠史八代(けっしはちだい)」と呼ばれ、その実在性について今も議論が続いています。
今回ご紹介する第3代・安寧天皇(あんねいてんのう)も、その一人なんです。
この記事では、古代日本の神秘に包まれた安寧天皇の系譜や伝承について、『日本書紀』『古事記』の記述をもとに詳しくご紹介します。
概要

安寧天皇は、日本の第3代天皇です。
『日本書紀』では「磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみのすめらみこと)」、『古事記』では「師木津日子玉手見命(しきつひこたまてみのみこと)」と記されています。
ちなみに「安寧」という名前は、記紀が編纂されてから50〜60年後の8世紀後半に、淡海三船(おうみのみふね)という人物によって贈られた漢風諡号(かんぷうしごう)なんですね。
つまり、後世につけられた呼び名ということになります。
安寧天皇の大きな特徴は、『日本書紀』『古事記』ともに系譜の記載しかないという点。
具体的にどんな政治を行ったのか、どんな出来事があったのかといった事績がほとんど伝えられていません。
これが「欠史八代」と呼ばれる理由の一つでもあるんです。
安寧天皇の基本情報
- 御名:磯城津彦玉手看尊(しきつひこたまてみこと)
- 在位期間:綏靖天皇33年7月〜安寧天皇38年12月
- 宮(都):片塩浮孔宮(かたしおのうきあなのみや)
- 陵墓:畝傍山西南御陰井上陵(奈良県橿原市)
- 崩御:『日本書紀』では57歳、『古事記』では49歳
系譜
安寧天皇の家系は、神話の世界と深くつながっています。
両親について
父は第2代・綏靖天皇(すいぜいてんのう)です。
母については、『日本書紀』と『古事記』で記述が異なります。
- 『日本書紀』:五十鈴依媛命(いすずよりひめのみこと) — 事代主神(ことしろぬしのかみ)の娘
- 『古事記』:河俣毘売(かわまたびめ) — 師木県主の祖
『日本書紀』の記述に従えば、安寧天皇は出雲系の神である事代主神の血を引いていることになりますね。
皇后と皇子女
安寧天皇は即位3年に皇后を迎えました。
皇后:渟名底仲媛命(ぬなそこなかつひめのみこと)
彼女は事代主神の孫にあたる鴨王の娘とされています。ただし、これも文献によって異説があり、『古事記』では師木県主波延の娘・阿久斗比売(あくとひめ)を后としています。
主な皇子女
- 息石耳命(おきそみみのみこと) — 第一皇子
- 大日本彦耜友尊(おおやまとひこすきとものみこと) — 第二皇子、後の第4代・懿徳天皇
- 磯城津彦命(しきつひこのみこと) — 猪使連の祖とされる
特に注目したいのは磯城津彦命の子孫です。その子孫からは、後に第7代・孝霊天皇の后となり、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)を生んだ女性が出ています。倭迹迹日百襲姫命は、卑弥呼との関連を指摘される重要な人物なんですよ。
伝承
安寧天皇自身の事績は伝わっていませんが、各地の神社には興味深い伝承が残されています。
日御碕神社(島根県)
出雲国の名神大社である日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)の社伝によると、安寧天皇13年に勅命が下り、素盞嗚尊(すさのおのみこと)を祀る「神の宮」が現在の社地に遷座されたと伝えられています。
小野神社(東京都)
武蔵国の式内社小野神社では、安寧天皇18年2月に御鎮座したという伝承があります。
多気比売神社(埼玉県)
武蔵国足立郡の多気比売神社は、安寧天皇の御代に創建されたと伝わっています。主祭神の豊葦建姫命を祀り、「姫宮」と呼ばれていたことが『新編武蔵風土記稿』にも記されているんです。
阿久刀神社(大阪府)
摂津国の式内社阿久刀神社の祭神は、安寧天皇の皇后・阿久斗比売であるという説があります。
宮と陵について
安寧天皇が都とした片塩浮孔宮の所在地については、現在も3つの説があります。
- 奈良県橿原市四条町付近
- 奈良県大和高田市三倉堂・片塩町付近
- 大阪府柏原市
前後の天皇の宮がすべて奈良盆地内にあることから、1か2の説が有力とされています。大和高田市では、石園座多久虫玉神社の境内に「片塩浮孔宮阯」の碑が建てられていますよ。
陵墓は奈良県橿原市吉田町にある「畝傍山西南御陰井上陵(うねびやまのひつじさるのみほどのいのえのみささぎ)」に治定されています。
俗称「アネイ山」とも呼ばれ、陵の南には陵号の由来となった古井戸「御陰井」が今も残っているんです。
まとめ
安寧天皇は、古代日本の神秘に包まれた第3代天皇です。
重要なポイント
- 第3代天皇で、「欠史八代」の一人に数えられる
- 『日本書紀』『古事記』には系譜のみが記され、事績の記載がない
- 父は綏靖天皇、母は事代主神の娘・五十鈴依媛命(『日本書紀』)
- 皇后・渟名底仲媛命との間に、後の懿徳天皇となる皇子をもうけた
- 都は片塩浮孔宮、陵墓は畝傍山西南御陰井上陵
- 各地の神社に安寧天皇の御代に関する創建伝承が残る
- 実在性については諸説あるが、全てを虚構とする見解には否定的な意見も
記録が少ないからこそ、かえって想像力をかき立てられる存在でもあります。
奈良県を訪れる機会があれば、畝傍山のふもとにひっそりと佇む安寧天皇陵を訪ねてみてはいかがでしょうか。古代の息吹を感じられるかもしれません。


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