大切な人が遠くにいるとき、ふと「会いたい」と強く思ったことはありませんか?
岩手県遠野地方には、そんな人の強い思いが形となって現れるという不思議な言い伝えがあります。
それが「オマケ」と呼ばれる怪異なんです。
この記事では、柳田国男の『遠野物語拾遺』にも記された怪異「オマケ」について、その意味や伝承を分かりやすくご紹介します。
概要
オマケは、生者や死者の強い思いが凝り固まって人の姿となり、それが外に出て歩く現象のことです。
岩手県遠野地方で古くから語り継がれてきた概念で、民俗学者・柳田国男の『遠野物語拾遺』や、「日本のグリム」と称された佐々木喜善の『遠野のザシキワラシとオシラサマ』にも記述があります。
オマケの特徴
- 生者も死者も現れる:亡くなった人だけでなく、生きている人の姿も現れる
- 強い感情が原因:怨念、愛着、恋慕といった激しい思いが凝縮して生じる
- 幽霊とは異なる存在:死者の霊魂そのものではなく、「思い」が形になったもの
- 姿だけでなく声も成す:視覚的に見えるだけでなく、声として聞こえることもある
ここで重要なのは、オマケは幽霊とは別物だという点です。
幽霊が死者の魂そのものを指すのに対し、オマケは生きている人のものも含めた「思念」が具現化した存在なんですね。
伝承
オマケにまつわる話は『遠野物語拾遺』に複数収録されています。その中から代表的なものをご紹介しましょう。
川面に映った姉と子供
ある夏の暑い日のこと。
とある人が友人と二人で川縁で話をしていました。すると、川の流れの上に実家の台所の様子がはっきりと見えたのです。
そこには、姉が子供を抱いて立っていました。
間もなくその幻は消えてしまいましたが、不審に思ったその人が実家に連絡を取ろうとしたところ、行き違いで電話が届きました。
「姉の子供が死んだ」という知らせだったのです。
光岸寺に現れた娘
土淵村(現在の岩手県遠野市)にある光岸寺が火災に遭い、新築工事が行われていたときの話です。
40人から50人の大工たちが昼休みをしていると、そこに美しい娘がやってきました。
その娘を見た棟梁は顔色を変えてこう言いました。
「あの娘は俺の隣の家の娘だ。だが、病気で寝ていて外出できるはずがない。どうぞ死ぬのか……」
翌日、その娘は本当に息を引き取ったのだといいます。
戦時中の「挨拶」
こうした話は遠野に限らず、全国各地に伝わっています。
特に戦争中には、遠く離れた戦地で亡くなった兵士が、肉親のもとへ最後の挨拶に現れるという話が数多く語られました。
死の間際、あるいは死んだ直後に、愛する人のもとへ姿を見せる。それがオマケという現象の本質なのかもしれません。
まとめ
オマケは、人の強い思いが形となって現れる、遠野地方独特の怪異です。
重要なポイント
- 岩手県遠野地方に伝わる怪異・概念
- 生者や死者の強い思いが凝り固まって人の姿となる現象
- 幽霊とは異なる独立した存在として認識されている
- 『遠野物語拾遺』『遠野のザシキワラシとオシラサマ』に記述がある
- 死の前後に大切な人のもとへ現れる話が多い
- 類似の話は遠野に限らず全国各地に存在する
科学では説明できない不思議な現象ですが、人と人との深い絆を感じさせる話でもありますね。
もしあなたの目の前に、遠くにいるはずの大切な人がふと現れたら…それはオマケかもしれません。


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