「名誉のために援軍を呼ばない」——そんな選択をした騎士がいたら、あなたはどう思いますか?
中世ヨーロッパで最も愛された英雄の一人、ローランは、まさにそんな誇り高き騎士でした。
彼の壮絶な最期を描いた『ローランの歌』は、フランス最古の叙事詩として今も語り継がれています。
この記事では、聖剣デュランダルを手に戦い抜いた伝説の騎士「ローラン」について、その生涯と伝承を詳しくご紹介します。
概要

ローランは、中世ヨーロッパの叙事詩『ローランの歌』に登場するフランク王国の英雄です。
12世紀初頭に成立したこの作品は、「シャンソン・ド・ジェスト(武勲詩)」と呼ばれるジャンルの代表作として知られています。シャンソン・ド・ジェストとは、騎士たちの武勇を歌い上げた叙事詩のことなんですね。
ローランはシャルルマーニュ(カール大帝)に仕えた十二勇将の筆頭として描かれ、778年のロンスヴォーの戦いで壮絶な最期を遂げました。
各国での呼び名は以下の通りです。
- フランス語:ロラン(Roland)
- イタリア語:オルランド(Orlando)
- ドイツ語:ローラント(Roland)
- 英語:ローランド(Roland)
特にイタリアでは「オルランド」として親しまれ、ルネサンス期の文学作品でも重要な役割を果たしています。
偉業・功績
ローランの功績は、『ローランの歌』の中で詳しく語られています。
戦場での活躍
ローランは十二勇将の中でも抜きん出た戦闘力を誇りました。その戦いぶりは凄まじく、敵を次々と討ち取る血みどろの激闘が作中で延々と描写されています。
彼が活躍した主な地域は以下の通りです。
- アンジュー
- ブルターニュ
- ノルマンディー
- アキテーヌ
これらの地域で数々の戦功を挙げ、シャルルマーニュからの信頼を勝ち取りました。
ロンスヴォーの戦いでの奮戦
ローラン最大の見せ場は、ロンスヴォーの戦いです。
わずか2万の兵で40万のイスラム軍(作中の数字)に立ち向かい、スペインの十二勇士を撃退。さらに敵の国王マルシルの右腕を切り落とすという大活躍を見せました。
味方が次々と倒れる中、最後まで戦い抜いた姿は、中世騎士道の理想として語り継がれています。
系譜・出生
ローランの血筋については、伝説と史実で大きく異なります。
伝説上の系譜
『ローランの歌』をはじめとする伝説では、ローランはシャルルマーニュの甥とされています。
王に最も信頼された騎士として、国境を守る重要な役職「ブルターニュ辺境伯」に任命されました。辺境伯とは、国境地帯を守る責任者のことですね。
家族関係
- 義父:ガヌロン(母の再婚相手)
- 親友:オリヴィエ
- 婚約者:オード(オリヴィエの妹)
特にガヌロンとの関係は複雑で、後にローランの運命を大きく左右することになります。
史実のローラン
歴史上のローランについては、シャルルマーニュの廷臣アインハルトが記した『カール大帝伝』に唯一の記録が残っています。
そこには「ブルターニュ辺境伯フルオドランドゥス」として名前と肩書きのみが記載されており、詳しい出自は分かっていません。
姿・見た目
ローランの外見は、まさに理想の騎士そのものとして描かれています。
装備品
ローランを語る上で欠かせないのが、3つの伝説的な装備です。
| 装備 | 名称 | 特徴 |
|---|---|---|
| 剣 | デュランダル | 聖遺物が込められた破壊不能の聖剣 |
| 角笛 | オリファン | 遠く離れた本隊にも届く信号用の角笛 |
| 馬 | ヴェイヤンティフ | ローランを乗せて戦場を駆ける名馬 |
特に聖剣デュランダルは、キリスト教の聖遺物によって祝福された剣とされ、いかなる岩にも傷一つつかない不滅の武器でした。
イタリア叙事詩での設定
後世のイタリア叙事詩『狂えるオルランド』では、さらに超人的な設定が加えられています。
- 全身が金剛石と同等の硬さを持つ
- 刃物を一切受け付けない
- 唯一の弱点は足の裏のみ
- 鎧は実用ではなく飾りのため
素手で人間を引き裂き、熊などの猛獣も倒せる怪力の持ち主として描かれました。
特徴

ローランの性格には、英雄らしい長所と、致命的な短所が同居しています。
武勇と誇り
ローランは何よりも名誉を重んじる騎士でした。
どんな戦場でも臆することなく、むしろ意気揚々と敵に立ち向かう勇者だったのです。十二勇将の中でも最も勇敢な人物として描かれています。
頑固さが招いた悲劇
しかし、その誇り高さが悲劇を招きました。
ロンスヴォーの戦いで、親友オリヴィエは角笛オリファンを吹いて援軍を呼ぶよう何度も説得します。しかしローランは「それは臆病者のすることだ。わが名がすたる」と断り続けたのです。
『ローランの歌』では、知的なオリヴィエと勇敢なローランが対比的に描かれています。この対比は、勇気だけでは足りないという教訓を示しているとも解釈されています。
神への信仰
ローランは敬虔なキリスト教徒としても描かれました。
最期の瞬間、彼は小高い丘に登り、木の下で静かに膝をつき、神に祈りを捧げます。その気高い最期に感銘を受けた神は、天使ガブリエルとミカエルを遣わし、ローランの魂を天国へ導いたとされています。
伝承
ローランにまつわる最も有名な伝承が、ガヌロンの裏切りとロンスヴォーの悲劇です。
ガヌロンの陰謀
物語は、シャルルマーニュとイスラム勢力との和睦交渉から始まります。
ローランは危険な使者役に義父ガヌロンを推薦しました。これを恨んだガヌロンは、なんと敵のマルシル王と密約を結びます。
その計画は恐ろしいものでした。
- 偽りの和睦を成立させる
- シャルルマーニュ本隊が撤退を開始
- 殿軍(しんがり)にローランを配置させる
- 少数のローラン軍を大軍で襲撃する
殿軍とは、撤退する軍の最後尾を守る部隊のこと。最も危険な役目ですが、ローランは誇りを持って引き受けました。
壮絶な最期
ガヌロンの策略通り、10万を超える敵軍がローラン軍に襲いかかります。
圧倒的な数の差にも関わらず、ローランは援軍を呼ぶことを拒否し続けました。味方は一人、また一人と倒れていきます。
ついに親友オリヴィエも討ち死に。ローランは最後の力を振り絞り、角笛オリファンを吹き鳴らしました。
その音はこめかみの血管が破れるほどの力で吹かれ、はるか山々を越えてシャルルマーニュの耳に届いたのです。
ローランは名馬ヴェイヤンティフとともに最後の突撃を敢行。瀕死の重傷を負いながらも、聖剣デュランダルが敵の手に渡ることを防ごうと岩に打ち付けますが、剣は折れることなく残りました。
そして小高い丘の木の下で、神に祈りながら息を引き取ったのです。
復讐と裁き
角笛の音を聞いたシャルルマーニュは引き返し、イスラム軍を一掃しました。
裏切り者ガヌロンは捕らえられ、八つ裂きの刑に処されたと伝えられています。
各地に残る伝説
ローランの伝説はヨーロッパ各地に広がりました。
- フランス:ボルドー近郊ブライエの聖堂に埋葬されたとされる
- ドイツ:都市の自由と独立の象徴として広場にローラント像が建てられた
- カタルーニャ:巨人の伝説として語り継がれた
- バスク地方:「エロラン」という異教徒の巨人として伝承された
特にドイツのブレーメン市庁舎前のローラント像(1404年建立)は有名で、2004年に市庁舎とともにユネスコ世界文化遺産に登録されています。
出典・起源
ローランの物語には、史実と創作が複雑に絡み合っています。
史実の出来事
物語の核となったのは、778年8月15日のロンスヴォー峠の戦いです。
ただし、史実では敵はイスラム軍ではなくバスク人でした。シャルルマーニュがスペイン遠征から帰還する途中、ピレネー山脈でバスク人の奇襲を受け、後衛部隊が全滅したのです。
『ローランの歌』の成立
この史実をもとに、11世紀末から12世紀初頭にかけて『ローランの歌』が成立しました。
全4002行の長編叙事詩で、吟遊詩人たちがヴィエル(弦楽器)の伴奏とともに広場や市場で歌い聞かせたものです。あまりに長いため、連続ドラマのように何回かに分けて上演されたと考えられています。
後世の発展
『ローランの歌』の人気を受けて、数多くの続編や前日談が作られました。
| 作品名 | 作者 | 内容 |
|---|---|---|
| 『恋するオルランド』 | ボイアルド | ローランの恋物語(未完) |
| 『狂えるオルランド』 | アリオスト | 失恋で狂気に陥るローラン |
| 『モルガンテ』 | プルチ | ローランの冒険譚 |
特に『狂えるオルランド』では、東洋の美姫アンジェリカへの恋が破れて発狂し、裸のまま放浪するという衝撃的な展開が描かれています。
ダンテ『神曲』での描写
イタリアの詩人ダンテは『神曲』の中で、ローランの魂が他の殉教者たちとともに天国の火星天にいると記しています。
信仰のために戦った英雄として、永遠の栄光を与えられているのです。
まとめ
ローランは、中世ヨーロッパで最も愛された騎士の一人です。
重要なポイント
- シャルルマーニュに仕えた十二勇将の筆頭として知られる
- 聖剣デュランダル、角笛オリファン、名馬ヴェイヤンティフが象徴的な装備
- 義父ガヌロンの裏切りにより、ロンスヴォーの戦いで壮絶な最期を遂げた
- 誇り高さゆえに援軍を呼ばなかった悲劇の英雄
- フランス最古の叙事詩『ローランの歌』の主人公
- イタリアでは「オルランド」として、ルネサンス文学でも活躍
- ドイツでは都市の自由の象徴として像が建てられた
778年の史実を核に、何世紀にもわたって語り継がれてきたローランの物語。
名誉のために命を捧げたその姿は、騎士道精神の理想として、今も人々の心に生き続けているのです。


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