【土の中に潜む祟り神】太歳星君とは?その正体・姿・伝説をやさしく解説!

神話・歴史・伝承

家を建てるとき、「今年はこの方角を避けたほうがいい」と聞いたことはありませんか?

古代中国では、ある特定の方角を犯すと一族が滅びるほどの災いが降りかかると信じられていました。

その恐ろしい災いをもたらす存在こそ、「太歳星君(たいさいせいくん)」なんです。

この記事では、木星と対になる仮想の天体から生まれた祟り神・太歳星君について、その姿や特徴、そして封神演義に登場する殷郊(いんこう)との関係まで詳しくご紹介します。


スポンサーリンク

概要

太歳星君は、中国の民間信仰や日本の陰陽道で祀られる歳星(木星)の精としての神です。

「太歳」「太歳元帥」「太歳神」とも呼ばれており、中国語では「タイスェイシンチュイン(Tàisuìxīngjūn)」と発音されます。

この神様の最大の特徴は、祟り神としての一面を持っていること。歳神として崇められる一方で、その方角を犯した者には容赦なく災いをもたらすと恐れられてきました。

古代中国の天文官たちは、太歳星君がもたらす災厄を避けるため、毎年その方角に細心の注意を払っていたといいます。


「太歳」とは何か?

太歳星君を理解するには、まず「太歳」という概念を知る必要があります。

太歳とは、古代中国の天文暦学において設けられた木星の鏡像となる仮想の惑星のことなんです。実際には存在しない天体ですが、木星と対になって天を巡ると考えられていました。

太歳の方角は毎年変わり、その年の十二支の方角と同じとされています。たとえば子年なら北、午年なら南という具合ですね。

土の中を動く肉塊

興味深いのは、太歳が「土中を動く肉の塊」として考えられていたことです。天上の木星と呼応して地中を移動し、その年の太歳の場所を掘ると出てくるとされていました。

この不気味な存在を犯してはならないというのが、太歳信仰の根幹にあったわけですね。


なぜ太歳を避けなければならないのか

術書『欽定協紀方書』には、太歳について次のような記述があります。

「太歳は君主の象徴、神を司り、方位を正して季節の変化、歳の動きを管理する」

つまり太歳は、単なる災いの神ではなく、時間と方位を司る強大な存在だったんです。

そのため、住居を建てるとき、未開地を開拓するとき、敵地に攻め入るときなど、太歳の方角を犯すことは固く禁じられていました。

太歳を恐れる信仰は非常に古く、後漢の思想家・王充が著した『論衡』にもその記述が見られます。

太歳を犯した者の末路

『太平広記』には、太歳の祟りを信じずに地下から掘り起こしたために一族滅亡となった家の説話が記されています。

また『捜神記』にも、太歳の方角に家を建てた金持ちの話が残っています。その男は神秘的なものを一切信じない人物でした。

建築のために地面を掘ると、そこから異質な肉の塊が出てきたのですが、男はそれを太歳神とは思わず、水を満たした鉢に入れて家の土台にしてしまいます。その家は「太歳亭」と呼ばれるようになりました。

その後、飼い犬に異変が起き、犬は憑かれたように死んでしまったといいます。古代の物語では、このように怖いもの知らずな人物を描く際、わざわざ太歳を犯す描写が用いられました。

ちなみに「太歳頭上動土」という諺があり、これは「身の程知らずの行為をすること」を意味しています。それほど太歳を犯すことは危険な行為だと認識されていたわけですね。


太歳星君の姿と特徴

この太歳信仰を人格化したものが太歳星君です。

その姿は非常に恐ろしく、首に多くの髑髏(どくろ)を下げ、金鐘を手にした三面六臂(さんめんろっぴ)の姿で描かれることが多いです。

三つの顔と六本の腕を持つというのは、まさに人智を超えた神格を表現しているのでしょう。

手にしている金鐘は「落魂金鐘」とも呼ばれ、その音を聞いた敵の魂を落としてしまうという恐ろしい法具とされています。


太歳星君の正体:殷郊(いんこう)

太歳星君の名は、『道法会元』や『三教捜神大全』など多くの文献で殷郊(または殷交)だとされています。殷郊は殷元帥とも呼ばれ、六十柱の太歳星君のリーダー格として位置づけられているんです。

道教においては北天の破邪の神・玄天上帝の配下である三十六天将にも名を連ねる、非常に重要な神格となっています。

『三教捜神大全』での伝説

『三教捜神大全』によると、殷郊は殷の紂王の太子として生まれました。

母親の姜皇后が巨人の足跡を踏んだことで身ごもり、産み落としたのはなんと肉球でした。これを切り裂いたところ、中から殷郊が誕生したといいます。

太歳が「肉の塊」として土中を動くという伝承と、殷郊の出生譚が見事に重なっているのは非常に興味深いですね。

妲己の策略により荒野に捨てられた殷郊は、申真人に救われて修行を積みます。やがて多くの法宝を手に入れ、贙神や鴉将を収め、十二骷髏神を斬り、最終的には周の武王を助けて紂王討伐に貢献。妲己を自ら斬ったとも伝えられています。

その功績により、玉帝から「地司九天遊奕使」「至德太歲殺伐威權元帥」に封じられたのです。

『封神演義』での殷郊

明代の神怪小説『封神演義』では、殷郊の運命は異なる道を辿ります。

母・姜皇后が殺された後、広成子に救われて九仙山で修行。「翻天印」などの宝を授かり、師の命により周の武王を助けるべく下山しました。

しかし道中で申公豹に出会い、弟・殷洪の死を知らされると、復讐のために商王朝側につくことを決意します。師の広成子の意に背いて周軍と戦った結果、最終的には姜子牙(太公望)と燃灯道人に敗れ、犁(すき)で耕されて死ぬという壮絶な最期を遂げました。

その後、姜子牙の封神により「値年歳君太歳之神」として神の位に封じられたのです。


六十太歳とは

太歳殷元帥の部下には、「六十太歳」と呼ばれる60柱の神々がいます。

これは道教の龍門派の道士・柳守元が『太上霊華至徳歳君解厄延生法懺』で提唱し、やがて他の宗派にも広まった概念です。

六十太歳は、十干(甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)と十二支を組み合わせた60の「干支」にそれぞれ対応しています。

中国の太歳紀年法では、この六十干支が60年で一巡するとされました。日本で60歳を「還暦」と呼ぶのも、実はここに由来しているんですよ。

六十太歳はそれぞれの干支の年に生まれた人々の守護神ともされますが、凶事を司る側面も太歳から引き継いでおり、恐ろしい存在としても見られています。

大規模な道教寺院には、六十柱の太歳星君の像をすべて安置しているところもあり、それぞれ中国の歴史上の人物が割り当てられているそうです。


現代に生きる太歳信仰

太歳星君への信仰は現代でも続いています。

台湾では「安太歳(太歳を鎮める儀式)」が、災厄を避ける三大宗教儀式のひとつとして重要視されており、これは安太歳灯(安心の灯火を灯す)や拝斗(北斗七星を拝む)と並ぶ伝統行事となっています。

台湾には関廟山西宮、竹南后厝龍鳳宮、大港埔鼓壽宮など、太歳星君を祀る寺廟が数多く存在します。また香港でも、長洲の洪聖廟やスタンレーの天后廟などで殷郊が祀られています。

一方、日本では陰陽道において太歳神として取り入れられ、八将神の一柱として方位の吉凶を司る存在となりました。


まとめ

太歳星君は、木星の鏡像として考えられた仮想天体「太歳」を神格化した、歳神にして祟り神です。

重要なポイント

  • 太歳は木星と対になる仮想の天体で、土中を動く肉塊として考えられた
  • その方角を犯すと災いが降りかかるとされ、建築や開拓時に避けられた
  • 三面六臂で髑髏を首に下げた恐ろしい姿で描かれる
  • その正体は殷の紂王の太子・殷郊とされている
  • 『封神演義』では姜子牙によって「値年歳君太歳之神」に封じられた
  • 部下に六十太歳がおり、還暦の概念の由来ともなった
  • 現代でも台湾や香港で信仰が続いている

方位を司り、時間の流れを管理するという太歳星君。その恐ろしさは「太歳頭上動土」という諺が残るほど、人々の心に深く刻まれてきました。

もし家を建てる機会があれば、その年の十二支の方角を少しだけ気にしてみるのも面白いかもしれませんね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました