9本の尾を持つ美しい狐――それが「九尾狐(きゅうびこ)」です。
中国では王朝の興亡を左右し、日本では天皇を病に陥れたとされるこの存在。時に国を繁栄させる神聖な獣として崇められ、時に王を惑わす恐ろしい妖怪として恐れられてきました。
なぜ同じ存在が「神獣」にも「妖怪」にもなったのでしょうか?
この記事では、九尾狐の起源から姿・特徴、中国・日本・朝鮮での伝承、そして現代作品での活躍まで詳しくご紹介します。
概要

九尾狐は、9本の尾を持つ狐の霊獣または妖怪です。
中国語では「チォウウェイフー(Jiǔwěihú)」、韓国語では「クミホ(Kumiho)」と呼ばれ、アジア各地で語り継がれてきました。最も古い記録は、中国の地理書『山海経(せんがいきょう)』に見られます。
九尾狐の最大の特徴は、時代や地域によって「善」と「悪」の両方の顔を持つことです。
- 瑞獣(ずいじゅう)として:徳の高い君主が即位する前兆、子孫繁栄の象徴
- 妖怪として:美女に化けて王を惑わし、国を滅ぼす存在
この二面性こそが、九尾狐が何千年も語り継がれてきた理由なのかもしれません。
九尾狐の姿と特徴
九尾狐はどんな姿をしているのでしょうか?
『山海経』の記述によると、その姿はこう説明されています。
九尾狐の外見的特徴
- 体:狐に似た姿
- 尾:9本に分かれている
- 毛色:金色または白色(文献によって異なる)
- 鳴き声:赤ん坊のような声で鳴く
「9本の尾」という特徴には深い意味があります。中国では「九」という数字は「永久」の「久」と同音であり、陰陽思想における陽の最高の状態を表しているんです。つまり、9本の尾は「究極の力」の象徴だったわけですね。
また、狐は長く生きるほど霊力が増すと信じられていました。千年生きた狐は力が最大に高まり、尾が9本になるという伝承もあります。
中国での伝承:瑞獣から妖怪へ

九尾狐の故郷である中国では、その評価が時代とともに大きく変化しました。
古代:神聖な瑞獣だった時代
春秋時代(紀元前770年~前476年)、狐を見ることは縁起がよいとされていました。『白虎通』という書物では、九尾狐は徳の高い皇帝の治世に現れる瑞獣の一つとして記録されています。
有名なのが、夏王朝の始祖・禹(う)の婚姻伝説です。
『呉越春秋』によれば、治水事業に没頭していた禹は30歳になっても妻がいませんでした。ある日、塗山(とざん)という場所で九尾の白狐が現れ、尾を揺らしました。禹はこれを「王者の証」という吉兆と解釈し、塗山氏の娘・女嬌(じょきょう)を娶ったといいます。その後、禹は五帝の一人・舜から王位を譲られました。
このように、古代中国では九尾狐は国の繁栄や王の即位を告げる神聖な存在だったのです。
転換期:悪しき存在へ
しかし、晋(266年~420年)から南北朝時代(420年~589年)になると、九尾狐のイメージは一変します。
権力の座が次々と移り変わる中、多くの者が「九尾狐が現れたから自分こそ天命を授かった」と主張するようになりました。その結果、九尾狐は混乱と無秩序の象徴になってしまったんです。
そして明王朝(1368年~1644年)の小説『封神演義』が登場すると、九尾狐は完全に「悪獣」として定着しました。
妲己伝説:殷を滅ぼした傾国の美女
九尾狐といえば、多くの人が思い浮かべるのが妲己(だっき)でしょう。
史実と伝説
妲己は、古代中国・殷(紀元前1550年~前1045年頃)の最後の王・紂王(ちゅうおう)の妃として実在したとされる人物です。
歴史書『列女伝』には、紂王が妲己を溺愛するあまり、酒池肉林の宴を開き、残酷な刑罰を楽しんだと記されています。有名なのが炮烙(ほうらく)の刑。銅の柱に油を塗って炭火の上に渡し、罪人をその上で歩かせるという恐ろしい処刑法でした。
『封神演義』での描写
小説『封神演義』では、妲己は女神・女媧(じょか)の命を受けた狐の精が化けた姿とされています。
ただし、興味深いことに『封神演義』の原文では「千年妖狐」「狡猾的狐狸精」と書かれているだけで、尾の本数は明記されていません。「妲己=九尾の狐」という設定は、後世の解釈で定着したものなんです。
周の武王が殷を滅ぼした際、妲己も討たれました。しかし伝説では、妲己の魂はその後も転生を繰り返したとされています。
日本への渡来:玉藻前伝説

九尾狐は海を越え、日本にもやってきました。それが玉藻前(たまものまえ)の物語です。
玉藻前とは
平安時代後期、鳥羽上皇(1107年即位)に仕える玉藻前という美女がいました。
彼女はたぐいまれな美貌と才知を持ち、上皇の寵愛を一身に受けていました。ところが、上皇が原因不明の病に苦しむようになると、陰陽師・安倍泰成(やすなり)が占いを行い、玉藻前の正体が化け狐であることを暴きます。
正体を見破られた玉藻前は、宮廷から逃亡しました。
「玉藻前=九尾の狐」の成立
実は、室町時代の『玉藻物語』などでは、玉藻前の正体は「尾が2本ある7尺の狐」と描かれており、九尾の狐とは明言されていません。
「玉藻前=九尾の狐」という設定が定着したのは江戸時代以降のことです。読本作家・高井蘭山の『絵本三国妖婦伝』(1803年~1805年)などの作品が、妲己の九尾狐伝説と玉藻前の物語を結びつけました。
この作品では、九尾狐が以下のように転生を繰り返したとされています。
- 天竺(インド):華陽夫人として王を惑わす
- 中国・殷:妲己として紂王を堕落させる
- 中国・周:褒姒(ほうじ)として幽王を惑わす
- 日本:玉藻前として鳥羽上皇を病に陥れる
殺生石:九尾狐が眠る石
玉藻前の物語には続きがあります。
那須野での最期
宮廷から逃げた玉藻前は、下野国那須野(現在の栃木県那須郡)に潜伏しました。朝廷は討伐軍を派遣し、激しい戦いの末、九尾狐は矢に射止められて命を落とします。
しかし、狐の怨念は消えませんでした。
殺生石の誕生
九尾狐は死後、巨大な石に姿を変えました。この石は近づく鳥や獣を毒気で殺すことから「殺生石(せっしょうせき)」と呼ばれるようになったのです。
現在も栃木県那須郡には殺生石が実在し、観光名所となっています。周辺では火山性のガスが噴出しており、かつては本当に動物が死ぬこともあったそうです。
伝説では、後に玄翁(げんのう)という高僧が殺生石を供養し、その毒気を鎮めたとされています。ちなみに、石を叩く道具「玄能(げんのう)」の名前は、この僧侶に由来するという説もあるんですよ。
アジア各地の九尾狐
九尾狐の伝説は、中国や日本だけでなくアジア各地に広がっています。
朝鮮半島:クミホ
韓国では九尾狐をクミホ(구미호)と呼びます。
クミホは美少女の姿に化けて男性を惑わし、その命を奪う恐ろしい存在として描かれることが多いです。伝承によれば、クミホは人間になりたいと願っており、1000人分の心臓または肝を食べることで人間になれるとされています。
一方で、14世紀~15世紀の道士・田禹治(チョン・ウチ)がクミホに愛されたという伝説も残っています。このクミホは亡くなる直前、彼に「狐珠(こじゅ)」という特殊な玉を贈り、彼を偉大な道人にしたといいます。
ベトナム:九尾狐
ベトナムでも九尾狐(Cửu vĩ hồ)の伝説があります。
首都ハノイのタイ湖(西湖)に棲んでいた九尾狐は、玄天鎮武神(真武大帝)によって退治されたと伝えられています。この神を祀る真武観は、現在もハノイに残っています。
現代作品での九尾狐
九尾狐は現代のエンターテインメントでも大人気です。
九尾狐・妲己が登場する主な作品
- 『NARUTO』(岸本斉史):主人公ナルトの体内に封印された「九尾の妖狐」
- 『うしおととら』(藤田和日郎):ラスボス「白面の者」のモデル
- 『封神演義』(藤崎竜):妲己が最強の敵として登場
- 『鬼灯の冷徹』(江口夏実):地獄の花街で妓楼を経営する妲己と玉藻前
- 『僕の彼女は九尾狐』(韓国ドラマ):クミホ伝説を題材にしたラブコメディ
多くの作品で九尾狐は「強大な力を持つ存在」として描かれ、敵にも味方にもなる複雑なキャラクターとして愛されています。
まとめ
九尾狐は、アジアで数千年にわたって語り継がれてきた伝説の存在です。
重要なポイント
- 9本の尾を持つ狐の霊獣・妖怪で、最古の記録は中国の『山海経』
- 古代中国では徳の高い君主の出現を告げる瑞獣として崇められた
- 時代が下ると、美女に化けて王を惑わす妖怪としてのイメージが定着
- 妲己は殷の紂王を堕落させた傾国の美女として有名
- 日本では玉藻前として鳥羽上皇を病に陥れ、那須野で殺生石になった
- 朝鮮・ベトナムなどアジア各地にも独自の九尾狐伝説がある
- 現代でも漫画・アニメ・ドラマで人気のモチーフとして活躍中
神獣から妖怪へ、そして現代のポップカルチャーへ。九尾狐は時代とともに姿を変えながら、今なお人々の心を惹きつけ続けているんですね。


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