殷王朝を滅ぼした傾国の美女「妲己」とは?九尾の狐伝説から玉藻前まで徹底解説!

神話・歴史・伝承

古代中国には、その美貌で王を虜にし、国を滅ぼしたとされる女性がいました。

彼女の名は妲己(だっき)

酒池肉林、炮烙の刑といった言葉の由来にもなった人物であり、後世には九尾の狐の化身として語られるようになります。

さらに日本では、玉藻前という妖狐伝説にまでつながっているんです。

この記事では、妲己の伝承における姿や残虐なエピソード、そして九尾の狐伝説との関係について詳しくご紹介します。


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概要

妲己は、古代中国の殷(いん)王朝末期(紀元前11世紀頃)に実在したとされる女性です。

殷の最後の王である帝辛(ていしん)、通称紂王(ちゅうおう)の妃として知られています。

紂王は妲己を溺愛し、彼女の言うことなら何でも聞いたといわれています。その結果、国政は乱れ、民は苦しみ、やがて殷王朝は滅亡へと向かいました。

中国では末喜(ばっき)褒姒(ほうじ)と並ぶ「悪女の代名詞」として扱われる一方、現代では魅惑的な女性を指す言葉としても使われています。


妲己の出自と紂王との出会い

妲己は有蘇氏(ゆうそし)という諸侯の娘として生まれました。

「己(き)」が姓で、「妲(だつ)」は字(あざな)にあたります。当時の女性は字を先に、姓を後に書く風習があったため、「妲己」と呼ばれるようになりました。

紂王が有蘇氏を討伐した際、有蘇氏が和平のために献上したのが妲己だったとされています。『国語』や『史記』にこの記述が残っており、妲己は紂王のもとへ嫁ぐことになります。

紂王は妲己の美貌にすっかり心を奪われ、彼女を深く寵愛しました。「妲己が褒めれば出世させ、妲己が憎めば処刑した」とまで言われるほど、紂王は妲己の言いなりだったのです。


酒池肉林と残虐な刑罰

妲己にまつわるエピソードで最も有名なのが、酒池肉林(しゅちにくりん)炮烙(ほうらく)の刑でしょう。

酒池肉林とは

紂王は妲己を喜ばせるため、想像を絶する宴を催しました。

  • 酒で池を満たす
  • 肉を吊るして林のようにする
  • 裸の男女を互いに追いかけさせる

この宴は昼夜を問わず続けられ、「長夜の飲」と呼ばれました。多いときには3000人もの人々が参加したといいます。現代でも「酒池肉林」という言葉は、度を越した贅沢や放蕩を意味する故事成語として使われています。

炮烙の刑

『列女伝』によると、妲己は残虐な処刑を見て笑ったとされています。

特に有名なのが炮烙の刑です。

  • 銅の柱に油を塗る
  • その下で炭火を焚いて熱する
  • 罪人をその上を歩かせる

熱せられた銅柱の上は滑りやすく、罪人はバランスを崩して炭火の中に落ちてしまいます。苦しみながら焼け死ぬ様子を見て、妲己は喜んで笑ったというのです。

比干の心臓

紂王の叔父である比干(ひかん)は、王を諫めようとしました。

「先王の法を守らず、婦人の言葉ばかり聞いていれば、災いはすぐそこです」

すると妲己はこう言いました。

「聖人の心臓には七つの穴があると聞いております」

紂王は比干の心臓を取り出させ、妲己に見せたといいます。忠臣ですら妲己の一言で殺されてしまう。それほどまでに紂王は妲己に溺れていました。


殷王朝の滅亡と妲己の最期

紂王の暴政に民衆は苦しみ、諸侯たちの不満も高まっていきます。

やがて西方のが立ち上がりました。武王(ぶおう)率いる周軍は紂王を討伐するため進軍し、殷の都・朝歌(ちょうか)を攻め落とします。

紂王は鹿台という場所で自らの身を焼いて死にました。

妲己の最期については複数の説があります。

  • 武王によって斬首され、首を白い旗に掛けられた(『列女伝』)
  • 自ら首を吊って死んだ(『逸周書』)

いずれにしても、妲己は殷王朝とともにその生涯を終えました。

「紂を亡ぼす者はこの女なり」

後世の人々はこう評し、妲己は傾国の美女として歴史に名を刻むことになります。


九尾の狐伝説との結びつき

歴史書に記された妲己は人間の女性でした。しかし時代が下るにつれ、彼女は九尾の狐という妖怪と結びつけられていきます。

元代の『武王伐紂平話』

妲己と九尾の狐が結びついたのは、元代(13〜14世紀)の講談小説『武王伐紂平話』がきっかけとされています。

この作品の中で、紂王を誘惑して国を傾けた妲己の正体は九尾狐であると指摘されました。

明代の『封神演義』

この設定をさらに発展させたのが、明代の神怪小説『封神演義』です。

『封神演義』における妲己の設定は以下のとおりです。

  • 冀州侯・蘇護の娘として生まれる
  • 紂王のもとへ向かう途中、九尾狐狸精(きゅうびこりせい)に魂を奪われる
  • 九尾狐狸精は女神・女媧(じょか)の命で殷を滅ぼすために遣わされた
  • 本来の目的を忘れ、残虐な行為を楽しむようになる
  • 最期は女媧の縛妖索(ばくようさく)で捕らえられ、姜子牙(きょうしが)に斬首される

興味深いのは、『封神演義』の原文では「千年妖狐」「狡猾的狐狸精」と書かれているだけで、尾の数は明記されていない点です。「九尾」という設定は、元代の伝承や後世の解釈が加わって定着したものと考えられています。

なぜ九尾の狐と結びついたのか

九尾の狐は、もともと中国では瑞獣(ずいじゅう)、つまり縁起の良い神聖な獣でした。

しかし南北朝時代(5〜6世紀)以降、権力争いの中で多くの者が九尾狐を自らの正統性の象徴として利用したため、その神聖さは失われていきます。

やがて九尾狐は「人を惑わす妖怪」というイメージに変わり、美女に化けて王を堕落させる存在として語られるようになりました。

紂王を破滅させた妲己と、人を惑わす九尾狐。両者が結びつくのは自然な流れだったのかもしれません。


日本の玉藻前伝説との関連

妲己の伝説は海を越え、日本にも伝わりました。

日本では玉藻前(たまものまえ)という妖狐伝説と結びつき、壮大な物語へと発展します。

玉藻前とは

玉藻前は、平安時代の鳥羽上皇に仕えた美女とされています。

江戸時代の読本『絵本三国妖婦伝』などによると、玉藻前の正体は白面金毛九尾の狐。その前世は、なんと妲己だったというのです。

伝説では、九尾の狐は以下のように転生を繰り返したとされています。

  1. 天竺(インド)で華陽夫人として王を惑わす
  2. 中国で妲己として紂王を堕落させる
  3. 中国で褒姒として周の幽王を破滅に導く
  4. 日本で玉藻前として鳥羽上皇に近づく

殺生石の由来

玉藻前は陰陽師・安倍泰成(あべのやすなり)によって正体を見破られ、那須野(現在の栃木県那須郡)へ逃げます。

追い詰められた九尾の狐は、ついに石に姿を変えました。この石は殺生石(せっしょうせき)と呼ばれ、近づく者を毒気で殺したといいます。

殺生石は現在も那須野原に実在し、観光名所となっています。2022年に割れたことがニュースになり、話題を集めました。


まとめ

妲己は、古代中国の殷王朝末期に紂王の妃として実在したとされる女性です。

妲己の重要ポイント

  • 出自:有蘇氏の娘で、紂王に献上された
  • 紂王との関係:溺愛され、言いなりにさせた
  • 酒池肉林:度を越した宴会の象徴となった
  • 炮烙の刑:残虐な処刑を見て笑ったとされる
  • 殷の滅亡:周の武王によって殷は滅び、妲己も処刑された
  • 九尾の狐伝説:元代以降、九尾狐の化身として語られるようになった
  • 玉藻前との関連:日本では玉藻前の前世として伝わる

歴史上の人物から妖怪伝説へ、そして国を越えた物語へ。妲己は3000年以上の時を経て、今なお人々の想像力をかき立てる存在であり続けています。

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