【三国志の絶世の美女】小喬とは?周瑜の妻が赤壁の戦いを引き起こした伝説を解説!

神話・歴史・伝承

三国志に登場する美女といえば、誰を思い浮かべますか?

「江東の二喬」と呼ばれた姉妹は、中国の歴史上でも指折りの美人として語り継がれてきました。その妹である小喬(しょうきょう)は、名将・周瑜の妻となり、あの有名な赤壁の戦いの引き金になったとも伝えられています。

この記事では、三国時代を彩った美女・小喬について、その人物像から伝説、そして後世の文学作品まで詳しくご紹介します。


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概要

小喬は、中国後漢末期から三国時代にかけて実在した女性です。

揚州の名士である喬公(きょうこう)の娘として生まれ、姉の大喬とともに「江東の二喬」として美貌を称えられました。江東というのは、長江の下流域一帯を指す地名なんですね。

小喬は呉の名将・周瑜(しゅうゆ)の妻となりましたが、正史には彼女の詳しい生涯はほとんど記録されていません。むしろ、後世の小説『三国志演義』で描かれた赤壁の戦いにまつわる伝説によって、その名が広く知られるようになりました。


正史に記された小喬

では、歴史書には小喬についてどのように書かれているのでしょうか?

実は、正史『三国志』の「呉志」周瑜伝には、ごくわずかな記述しかありません。

皖城攻略と結婚

199年12月、孫策軍が皖城(現在の安徽省安慶市付近)を攻略した際、小喬は姉の大喬とともに捕虜となりました。そして、小喬は周瑜の妻妾の一人に加えられたのです。

このとき、孫策は周瑜にこんな冗談を言ったと伝わっています。

「喬公の二人の娘は故郷を失うことになったが、我々を婿にできたのだから満足だろう」

なんとも自信に満ちた発言ですよね。当時の孫策と周瑜は、江東を席巻する若き英雄たち。二人とも容姿端麗で才能に溢れていたとされています。

謎に包まれたその後

興味深いことに、結婚後の小喬についての記録はほとんど残っていません

  • 周瑜との間に子供がいたかどうかも不明
  • 周瑜の死後にどうなったかも記録なし
  • 周瑜には二男一女がいたが、小喬の子かどうかは分からない

歴史の表舞台からは、まるで霧のように消えてしまった存在なんです。


『三国志演義』での小喬

正史ではあっさりとしか描かれない小喬ですが、14世紀に成立した小説『三国志演義』では、物語を大きく動かす重要人物として登場します。

絶世の美女としての描写

『三国志演義』では、小喬と大喬は「沈魚落雁閉月羞花」ほどの絶世の美女とされています。

これは中国で最高級の美しさを表す言葉で、「魚は恥じて沈み、雁は落ち、月は隠れ、花も恥じらう」という意味。つまり、自然界のあらゆるものが恥ずかしがるほどの美貌ということですね。

周瑜との夫婦像

演義では、小喬と周瑜は理想的な夫婦として描かれています。

  • 周瑜は容姿端麗で音楽に精通した文武両道の名将
  • 小喬は国を傾けるほどの美女
  • 二人の結びつきは後世の文人たちを魅了した

孫策の死後、小喬は夫の周瑜とともに孫権を補佐したとされています。


赤壁の戦いを引き起こした伝説

小喬にまつわる最も有名な伝説が、赤壁の戦いとの関連です。

曹操の野望と銅雀台

天下統一を目指す曹操(そうそう)は、魏の都に銅雀台(どうじゃくだい)という壮麗な宮殿を建てました。

伝説によると、美女好きで知られる曹操は、江東の二喬をこの銅雀台に侍らせたいと望んでいたというのです。

諸葛亮の策略

『三国志演義』第44回では、劉備陣営の軍師・諸葛亮(しょかつりょう)が、周瑜を怒らせて開戦を決意させる場面が描かれています。

諸葛亮は曹操の息子・曹植が作った「銅雀台の賦」という詩を、わざと改変して周瑜に聞かせました。

原文: 「連二橋於東西兮」(二つの橋を東西に連ねる)

改変版: 「攬二喬於東南兮、樂朝夕之與共」(二喬を東南から連れてきて、朝夕ともに楽しむ)

「橋」と「喬」の発音が同じことを利用した言葉遊びですね。これを聞いた周瑜は激怒し、曹操との開戦を決意したとされています。

史実との違い

ただし、これはあくまで小説上の創作です。

  • 銅雀台が完成したのは赤壁の戦いの2年後
  • 曹植の詩も周瑜の死後に書かれたもの
  • 歴史書には曹操が二喬を欲したという記録はない

とはいえ、この「美女をめぐる戦い」という筋書きは、人々の想像力を大いにかき立てました。


文学作品に詠まれた小喬

小喬は、中国の詩人たちにも愛された題材でした。

杜牧『赤壁』

唐代の詩人・杜牧(とぼく)は、「赤壁」という詩でこう詠んでいます。

「東風不與周郎便、銅雀春深鎖二喬」
(もし東風が周瑜に味方しなかったら、二喬は銅雀台に閉じ込められていただろう)

赤壁の戦いで周瑜が勝利できたのは、火攻めに有利な東風が吹いたおかげ。もしそれがなければ、二喬の運命は違っていたかもしれない、という意味ですね。

蘇軾『念奴嬌・赤壁懐古』

北宋の大詩人・蘇軾(そしょく)も、有名な詞「念奴嬌」で小喬に触れています。

「遙想公瑾当年、小喬初嫁了、雄姿英発」
(遥かに思う、周瑜のあの頃を。小喬が嫁いだばかりで、その姿は雄々しく輝いていた)

周瑜の若き日の英姿と、新妻・小喬との幸せな時期を懐かしむ内容になっています。

清代の評価

清代の『百美新詠図伝』では、小喬は中国歴代で最も名高い美人100人の一人に選ばれました。また『庸庵筆記』では、聡明で優しい美女として名前が挙げられています。


現代の創作物での小喬

小喬は現代でも、さまざまな作品で人気を集めています。

映画・ドラマ

  • 映画『レッドクリフ』(2008年):台湾の人気モデル林志玲(リン・チーリン)が小喬を演じ、話題となった
  • 中国ドラマ『三国志 Three Kingdoms』(2010年):趙柯が小喬役を担当

ゲーム

  • 『真・三國無双』シリーズ:姉の大喬とともにプレイアブルキャラクターとして登場
  • 『Total War: Three Kingdoms』:2020年のDLCで固有のグラフィックと能力を持って登場
  • 『王者栄耀』:中国で人気のスマホゲームにも参戦

京劇

京劇『鳳凰二喬』では、小喬は喬婉(きょうえん)という名前で登場し、武芸に秀でた女性として描かれています。


まとめ

小喬は、正史にはわずかな記録しか残されていない謎多き女性です。

押さえておきたいポイント

  • 喬公の娘で、大喬の妹
  • 199年に周瑜の妻妾となった
  • 姉とともに「江東の二喬」と称された絶世の美女
  • 『三国志演義』では赤壁の戦いの引き金となる重要人物
  • 杜牧や蘇軾など、後世の詩人たちに詠まれた
  • 現代でも映画やゲームで人気のキャラクター

歴史の記録はわずかでも、小喬という存在は千年以上にわたって人々の心を捉え続けてきました。それは、英雄・周瑜との結びつきと、赤壁の戦いにまつわる伝説が、あまりにもドラマチックだったからでしょう。

三国志の世界に興味を持ったなら、ぜひ『三国志演義』や映画『レッドクリフ』で、小喬の活躍を確かめてみてください。


参考文献

  • 陳寿『三国志』「呉志」周瑜伝
  • 羅貫中『三国志演義』
  • 裴松之注『江表伝』
  • 杜牧『赤壁』
  • 蘇軾『念奴嬌・赤壁懐古』
  • 『百美新詠図伝』
  • 『庸庵筆記』

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