古代エジプトの王が戦場に向かうとき、その先頭には必ず一つの旗が掲げられました。
それは黒いジャッカルの姿をした神、ウプウアウトの旗です。
「道を開くもの」という名を持つこの神は、王の進む道から障害を取り除き、勝利へと導く存在として崇められてきました。戦場でも、死後の世界でも、ウプウアウトは常に先頭に立って道を切り開いていったのです。
この記事では、エジプト神話における軍神「ウプウアウト」について、その姿や特徴、興味深い伝承を詳しくご紹介します。
概要

ウプウアウト(Wepwawet、Upuaut)は、古代エジプト神話に登場する戦争と王権の守護神です。
その名前は「道を開くもの」を意味し、まさにこの神の役割を表しています。信仰の中心地は上エジプトのアシウトという都市で、ギリシャ人はこの町を「リコポリス(狼の都市)」と呼びました。
ウプウアウトは戦争の神としての性格が非常に強く、ファラオ(エジプトの王)が戦いに赴く際、必ずその先頭に立って敵を打ち破る道を切り開いたとされています。また同時に、死者の魂を冥界へと導く神としても崇められていました。
興味深いのは、この神の信仰が非常に古いということ。第1王朝(紀元前3100年頃)の時代からすでに存在していたことが、当時の遺物から確認されているんです。
系譜
ウプウアウトは、もともと特定の地域で信仰されていた古い神様でした。そのため、最初は明確な家族関係を持っていなかったんです。
しかし時代が進むと、エジプト神話の中心的な神々と結びつけられていきました。
主な系譜関係
- 母: イシス(有名な女神)
- 父: オシリス(冥界の王)
- 兄弟: ホルス(天空の神)、アヌビス(ミイラ作りの神)
アシウトの地元伝承では、イシスの子供とされ、それによってオシリスの息子という位置づけになりました。この関係から、同じく神の子であるホルスと同格に扱われるようになったんですね。
面白いのは、ウプウアウトとアヌビスの関係です。両方とも黒い犬やジャッカルの姿をしていて、死者を導く役割を持っているため、兄弟とされたり、時には混同されたりしました。文献によっては、アヌビスの父とされるセトの息子だと書かれていることもあります。
さらに興味深い伝承として、非常に古い時代にはタマリスク(御柳)という植物の起源とされていたこともあるそうです。
姿・見た目
ウプウアウトの姿は、力強くて勇敢な戦士を思わせるものです。
基本的な外見
- 動物形態: 四足で立つジャッカルまたは狼に似た犬の姿
- 毛の色: 黒(象徴的な色)、時に灰色や白で描かれることもある
- 体勢: ほとんどの場合立っているが、まれに寝そべった姿も
- 人間形態: ジャッカルの頭を持つ人間の姿で表現されることもある
戦士としての性格を反映して、ウプウアウトは様々な武器とともに描かれました。大きな盾の上に立つ姿で表現されることが多く、その盾には前方に膨らみやウラエウス(聖なる蛇)が付いています。
持ち物と装備
- 弓と矢
- 槍
- メイス(棍棒のような武器)
- セムの筒(儀式用の道具)
後の時代、特にローマ支配時代(紀元前30年~紀元後395年)になると、完全武装した兵士の姿で描かれることもありました。これは、ウプウアウトが最後まで戦闘の神としての性格を失わなかったことを示しています。
アヌビスとよく似ていますが、見分け方のポイントは武器を持っているかどうか。ウプウアウトは戦いの神なので、武器や軍装を身につけていることが多いんです。
特徴
ウプウアウトには、戦争の神ならではの特別な役割と能力があります。
王の守護者として
ウプウアウトの最も重要な役割は、ファラオの道を開くことでした。
戦争でも宗教儀式でも、王が進む道の先頭に立って、あらゆる障害を取り除いたんです。そのため、ファラオの行進の際には必ず一本、または複数のウプウアウトの旗が掲げられました。この旗を先頭に立てることで、行く先に待ち受ける危険を払いのけることができると信じられていたんですね。
この功績により、ウプウアウトは「二つの国を開くもの」という特別な称号を与えられました。エジプトは上エジプトと下エジプトという二つの地域が統一されてできた国なので、この称号は非常に重要な意味を持っていたんです。
二つに分かれた神
エジプトが二元的な構造を持つことは、ウプウアウトの性格にも影響を与えました。
この神は上エジプトのウプウアウトと下エジプトのウプウアウトの二つに分割されたんです。上エジプトのウプウアウトの方が優位に立ち、下エジプトのウプウアウトは新王国時代(紀元前1550年頃)以降、天へ「導くもの」とされました。
後の時代には、二つのウプウアウトはそれぞれ北回帰線と南回帰線、そして天の二つの部分(昼の上天と夜の下天)を守護したとされています。
死者の案内人として
戦いの神としての役割とともに、ウプウアウトは死者を冥界へと導く神でもありました。
これは、犬やジャッカルが墓地をうろついている姿を見た古代エジプト人が、彼らを墓地の天然の番人だと考えたことに由来すると思われます。ウプウアウトは死者を墓まで導き、他の葬祭の神々とともに、死者が復活するのを助けたんです。
しかも、ただ導くだけではありません。戦いの神らしく、死者の敵から死者を守るという重要な役割も果たしました。太陽神ラーや冥界の王オシリスが冥界を航行する船の船首に立って、悪霊から彼らを守ったという伝承も残っています。
アシウトの人々への影響
面白い話があります。ウプウアウトが守護神として祭られていたアシウトの住民は、昔も今も非常に好戦的で気性が荒いことで知られているそうです。
守護神の性格が、そこに住む人々にまで影響を与えるというのは興味深いですね。
神話・伝承

ウプウアウトは、様々な重要な宗教儀式や神話に登場します。
王の儀式での役割
エジプト王室の最も重要な祭典の一つに「セド祭」というものがありました。これは王の即位から一定期間が経過した後に行われる、王権の更新を祝う儀式です。
この重要な祭典で、ウプウアウトは常に王に付き添い、守護していたとされています。また、すべての宗教行列にウプウアウトの像が参加していたという記録も残っています。
洪水の季節の祭り
「ウプウアウトの外出」という祭りが、毎年洪水の季節(アヘト)の第一月に行われていました。
この祭りでは、アシウトから盛大な行列が繰り出し、ネクロポリス(墓地)の入口を目指して進んだんです。暦の最初の日に行われるこの祭りは、新しい年の始まりを祝う重要な行事でした。
死者の書での登場
「死者の書」「時の書」「石棺テキスト」といった古代エジプトの宗教文書に、ウプウアウトは神秘的な役割を持つ存在として登場します。
特に重要なのが「口開けの儀式」での役割です。これは死者のミイラに対して行われる儀式で、死者が冥界で再び話したり食べたりできるようにするためのものでした。ウプウアウトはこの儀式を助け、死者を冥界へと導いたんです。
ピラミッド文書の記述
後期のピラミッド文書では、ウプウアウトは「ラー」と呼ばれることがあります。
ラーは太陽神の名前ですが、なぜウプウアウトがそう呼ばれたのでしょうか?これは、地平線から昇ってくる太陽が、まるで天空を「切り開く」ように見えたからだと考えられています。「道を開くもの」という性格が、太陽にも結びつけられたんですね。
ウアジェトの聖域伝説
ファラオを称賛する目的で広められた伝承があります。
それは、ウプウアウトがウアジェトの聖域で生まれたというものです。ウアジェトは下エジプト最古の守護女神で、その聖域は下エジプトの中心部にありました。
この伝承によって、もともと上エジプトでしか信仰されていなかったウプウアウトが、エジプト統一の象徴として王室の儀礼に組み込まれることになったんです。
オシリス神話との結びつき
時代が進むと、ウプウアウトはオシリス神話の体系に取り込まれていきました。
アビドスという都市では、ウプウアウトは冥界の王オシリスのそばに控え、「アビドスの主人」という称号で呼ばれるようになりました。そして、オシリスの敵と戦う戦士という役割も与えられたんです。
戦いの神としての性格と、死者を守る役割が、オシリス神話の中で見事に融合したわけですね。
出典・起源
ウプウアウトの起源は、エジプト神話の中でも特に古いものです。
最古の記録
ウプウアウトの信仰は第1王朝(紀元前3100年~2890年頃)の時代にはすでに存在していたことが分かっています。
当時のファラオであるナルメル王のパレット(化粧板)に、ウプウアウトの名前を見ることができるんです。つまり、エジプト統一王国が成立した最初期から、この神は重要な存在だったということですね。
信仰の中心地
ウプウアウト信仰の中心は、上エジプト第13ノモス(州)の首都アシウトでした。
アシウトは「番人」を意味する「サウティ」という語が語源だとされています。この都市はナイル川の谷の戦略的に重要な場所に位置していたため、守護神も当然、番犬や戦士としての性格を強く持っていたんですね。
ギリシャ人はこの都市を「リコポリス(狼の都市)」と呼びました。ウプウアウトを狼だと考えたからです。
他の地域での信仰
アシウト以外にも、いくつかの重要な場所でウプウアウトは崇拝されていました。
主な信仰地
- サイス: 下エジプト第5ノモスの州都で、同じく戦闘の女神ネイトの神殿でも祭られた
- アビドス: 上エジプト第8ノモスの都市で、冥界神ケンティ・アメンティウムと混同された
- ヘリオポリス: 太陽神ラーと結びつき、「オンの魂を導くもの」と呼ばれた
- メンフィス: 古王国の首都
- クバ: 各地のネクロポリス(墓地)
シナイ半島の碑文
シナイ半島で発見された碑文には、興味深い記録が残っています。
それは、ウプウアウトがセケムケト王(第3王朝)の勝利のために「道を切り開いた」という内容です。これは、実際の戦闘でウプウアウトの旗が掲げられ、王の勝利を祈願していたことを示す貴重な証拠なんです。
神話体系への統合
時代が下ると、ウプウアウトは次第に他の神々と同一視されるようになっていきました。
特にオシリス信仰が広まると、多くの神々と同様に、ウプウアウトもオシリスの神話体系に取り込まれていったんです。この過程で、同じ姿と役割を持つアヌビスと密接に結びつき、時には混同されることもありました。
しかし、最後まで戦いの神としての性格は失われることなく、ローマ支配時代に入っても、完全武装した軍団兵士の姿で崇拝され続けたのです。
まとめ
ウプウアウトは、古代エジプトで最も古くから信仰されてきた戦争と王権の守護神です。
重要なポイント
- 名前は「道を開くもの」を意味する
- 黒いジャッカルまたは狼の姿で表現される
- ファラオの先頭に立って障害を取り除く戦いの神
- 同時に死者を冥界へと導く葬祭の神でもある
- 第1王朝(紀元前3100年頃)から信仰されていた非常に古い神
- アシウト(リコポリス)が信仰の中心地
- 「二つの国を開くもの」としてエジプト統一の象徴となった
- 後にオシリス神話に取り込まれ、アヌビスと結びついた
- ローマ時代まで軍神として崇拝され続けた
戦場でも冥界でも、常に先頭に立って道を切り開いていったウプウアウト。その勇敢な姿は、古代エジプトの人々にとって、王権と勝利の象徴そのものだったのです。


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