戦車に乗り、槍と盾を構えた美しい女神。その一方で、人々に愛と豊かさをもたらす優しい女神でもある——。
古代の地中海世界には、このような二つの顔を持つ不思議な女神が広く信仰されていました。
彼女の名は「アスタルテ」。シリアやフェニキアで生まれ、エジプト、ギリシャ、カルタゴ、さらには遠くスペインまで、その信仰は地中海全域に広がっていったんです。
この記事では、愛と戦争という相反する力を持つ女神アスタルテについて、その起源や姿、興味深い神話や伝承を詳しくご紹介します。
概要

アスタルテは、古代の地中海世界で広く崇拝された女神です。
起源は紀元前3000年頃の古代シリア・レバノン地方とされ、特にビブロス(現在のレバノン)という都市で盛んに信仰されていました。
女神としての主な役割
- 戦争と戦闘の女神
- 愛と美の女神
- 王や戦士の守護者
- 馬と戦車の守護神
- 豊穣と繁栄をもたらす存在
最も特徴的なのは、「愛」と「戦い」という一見相反する二つの性質を併せ持っていたことです。メソポタミアのイシュタル、イナンナといった女神と共通の起源を持つと考えられています。
フェニキア人(古代レバノンの海洋民族)の交易活動によって、その信仰はキプロス、マルタ、カルタゴ(現在のチュニジア)、シチリア、さらにはスペインまで広がりました。ギリシャではアフロディーテ、ローマではヴィーナスと同一視されるほど重要な女神だったんですね。
系譜
アスタルテの家族関係は、地域や時代によって大きく異なります。
ウガリット神話での位置づけ
古代シリアのウガリット(紀元前14~13世紀)では、最高神エルの神々の集団に属していました。
嵐と豊穣の神バアルの陪神(ばいしん:神に仕える神)として、女神アナトと共にバアルのそばに仕える存在でした。「バアルの名」という別名を持ち、バアルと非常に密接な関係にあったことが分かります。
エジプトでの系譜
エジプトに伝わった際には、明確な系譜が与えられました。
エジプトでの家族関係
- 父:プタハ(メンフィスの創造神)
- 夫:セト(バアルと習合した神)
- 姉妹:アナト(共にセトの妻とされる)
伝承によれば、海の潮に飲み込まれそうになっていたアスタルテを、エジプトの神々がメンフィスに導いてプタハの養女にしたとされています。外国由来の女神であることが、ここまではっきりと示された神話は珍しいんです。
フェニキアでの位置づけ
フェニキア(紀元前1200年頃~紀元前300年頃)では、最高神バアル(ハダド)の配偶神として、神々の中で最も重要な女神の地位を占めていました。
ティルス(現在のレバノン南部の都市)では、英雄神メルカルトの妻とされ、王家の守護神として崇められたんですね。
姿・見た目
アスタルテの姿は、時代や地域によってさまざまに描かれました。
戦士としての姿
最も特徴的なのは、武装した女戦士としての姿です。
戦士アスタルテの特徴
- 盾と槍で武装している
- 頭に二本の羽根をつけた白い冠をかぶる
- 戦車に乗っている、または馬にまたがっている
- 時には裸体で描かれることもある
古代エジプトの碑文には、馬に乗って弓を構えるアスタルテの姿が刻まれています。当時のエジプト人は馬に乗る習慣がなかったため、この姿は彼女が外国由来の女神であることを示しているんです。
聖なる象徴
アスタルテには、特別な象徴動物がありました。
- ライオン:最も重要な象徴で、彼女の力強さを表す
- 馬:戦車と共に、戦いの女神としての性質を示す
- 鳩:愛の女神としての側面を表す
エジプトのエドフやトードでは、ライオンの頭を持つアスタルテの像が作られました。太陽円盤を頭上に乗せた姿で表現され、強力な女神としての威厳を示していたんですね。
愛の女神としての姿
一方で、裸体の美しい女性として描かれることもありました。
豊かな体つきの女性像として表現され、しばしば自らの乳房を手で支える姿で彫像が作られました。これは豊穣と生命力を象徴する表現だったんです。
特徴

アスタルテの最大の特徴は、相反する二つの性質を併せ持っていたことです。
戦争の女神として
主な役割
- ファラオ(エジプトの王)の守護
- 戦車と軍馬の守護
- 戦士たちの勝利を導く
エジプト第18王朝(紀元前1550~1295年頃)以降、アスタルテは王を守護する戦争の女神として重要視されました。ラムセス2世(紀元前1279~1213年頃)は、ヒッタイト帝国との条約でアスタルテに加護を祈ったという記録も残っています。
興味深いのは、アスタルテが馬と戦車の守護神とされたことです。馬は紀元前17世紀頃にヒクソス(異民族)がエジプトに持ち込んだもので、それまでエジプトには存在しませんでした。アスタルテが外国から来た新しい女神だからこそ、この新しい動物の守護を担ったんですね。
愛と豊穣の女神として
戦いの一面とは対照的に、愛と生命の女神でもありました。
エジプトでは愛の女神ハトホルと同一視され、「天の女主人、すべての神々の女主人」という称号を与えられました。また、太陽神ラーの娘の一人とされるほど重要な存在になったんです。
この二面性は、メソポタミアのイシュタルやイナンナから受け継いだ古い性質でした。生命を育む力と、敵を滅ぼす力——。古代の人々は、この二つが同じ根源から生まれると考えていたのかもしれません。
癒しの女神として
意外なことに、アスタルテには病を癒す力もあったとされています。
ウガリットの古文書には、蛇に咬まれた人を癒すためにアスタルテを呼び出す呪文が記されています。また、エジプトの医学文書にも、治療神エシュムンと共にアスタルテが癒しの神として登場するんです。
神話・伝承
アスタルテにまつわる神話は、各地で異なる形で語り継がれました。
バアルとヤムの物語(ウガリット神話)
最も有名な神話の一つが、嵐の神バアルと海の神ヤムの戦いです。
ヤムは神々に多くの貢物を要求し、神々を困らせていました。アスタルテは交渉のために遣わされましたが、ヤムは彼女を気に入り、今度はアスタルテ自身を差し出すよう要求します。
結局、神々はさらに多くの貢物を捧げることで、この危機を乗り越えました。この物語では、アスタルテは戦士というより、外交的な役割を果たしているんですね。
別の伝承では、バアルがヤムを倒した後、アスタルテがヤムの体をバラバラにして撒き散らすよう進言したともされています。
狩りの女神の伝説(ウガリット)
ウガリットの「夢の書」には、アスタルテが狩猟の女神として活躍する物語が記されています。
ある時、アスタルテは女神アナトと共に砂漠へ狩りに出かけました。彼女は地面に身を伏せて獲物を待ち、武器を手に狩りを行います。見事に獲物を仕留めたアスタルテは、それを最高神エルと月神ヤリフに捧げたそうです。
この姿は、まるでライオンのよう。彼女のシンボルがライオンだったのも納得できますね。
エジプトでの伝承
エジプトに伝わった物語も興味深いものがあります。
「アスタルテと海の神」の物語
エジプトに輸入されたこの神話では、海の神ヤムがエジプトの神々に繰り返し貢物を要求します。神々は最初、蛇の女神レネヌテトに貢物を届けさせますが失敗。次にアスタルテを送りますが、ヤムは彼女を気に入り、アスタルテ自身を渡すよう求めます。
悲しむアスタルテでしたが、ヤムが彼女の歌声と笑顔を見て「激しく嵐のような女神」と呼んだという記述が残っています。穏やかな外見の裏に、激しい力を秘めた女神だったんですね。
セトの妻としての悲劇
エジプト神話では、アスタルテはセトの妻とされましたが、これが悲劇を生みます。
セトはオシリス神を殺害した悪神として知られています。そのため、セトの敵対者であるホルス神が、セトの妻であるアスタルテとアナトに呪いをかけ、子を産めなくしてしまったとされているんです。
本来は愛と豊穣の女神だったアスタルテが、子を産めなくなる——。この神話は、外国の女神がエジプトの複雑な神話体系に組み込まれる過程で生まれた、少し悲しい物語かもしれません。
病魔を追い払う女神
一方で、アスタルテには守護者としての面もありました。
怒りの女神セクメトが病の悪霊をまき散らす時、アスタルテはアナトと共にそれらを追い払ったという伝承が残っています。戦いの女神だからこそ、病魔とも戦えたということなんですね。
出典・起源
アスタルテの起源をたどると、古代シリア・レバノン地方に行き着きます。
最古の記録
アスタルテの名前が記録された最も古い文書は、紀元前3000年頃の古代都市エブラ(現在のシリア)のものです。「アシュタルタ」「イシュタルタ」という名前で記録されていました。
その後、紀元前2500年頃のマリ(シリアの古代都市)では、「アトタラト」という名前で崇拝されていたことが分かっています。マリはアスタルテ信仰の中心地の一つでした。
ビブロスでの崇拝
アスタルテの最も重要な聖地は、古代フェニキアの都市ビブロス(現在のレバノンのジュバイル)でした。
ビブロスでは、アスタルテは「天界に住む万能の母神」として、また「星の女王」として崇められていました。実は「アスタルテ」という名前も、「星の女王」を意味する現地の言葉「アストロアケ」に由来するとされているんです。
イシュタル・イナンナとの関係
アスタルテは、メソポタミア(現在のイラク)の女神と深い関係があります。
関連する女神たち
- イナンナ(シュメールの女神、紀元前3000年頃)
- イシュタル(バビロニアの女神、紀元前2000年頃)
- イシュハラ(フリ人の女神)
- シャウシュカ(フリ人の愛と戦争の女神)
これらの女神は、愛と戦争の二面性を持つという共通点があります。アスタルテは、これら東方の女神たちと共通の起源を持ち、西方(地中海世界)で発展した形と考えられているんですね。
エジプトへの伝播
エジプトにアスタルテの信仰が入ってきたのは、第18王朝(紀元前1550~1295年頃)のことです。
この時期、エジプトは周辺地域と活発に交流し、多くの外国の神々を受け入れました。アスタルテは「アースティルティト」という名前でエジプト化され、特に下エジプト(ナイル川デルタ地帯)の都市メンフィスで盛んに崇拝されました。
地中海世界への広がり
紀元前1200年頃からフェニキア人が地中海貿易で活躍すると、アスタルテの信仰も各地に広がりました。
主な信仰地域
- キプロス島:キティオン、パフォス、アマトゥス
- マルタ島:タス・シルジの巨大神殿
- シチリア島:エリュクス山の有名な神殿
- カルタゴ(チュニジア):タニトと共に崇拝
- イベリア半島(スペイン):フェニキア植民地
ギリシャではアフロディーテ、ローマではヴィーナス、エトルリア(イタリア)ではウニと同一視され、それぞれの文化に溶け込んでいったんです。
まとめ
アスタルテは、愛と戦いという相反する力を併せ持つ、地中海世界を代表する女神です。
重要なポイント
- 古代シリア・レバノン起源で、地中海全域に広がった国際的な女神
- 戦争の女神と愛の女神という二つの顔を持つ
- ライオン、馬、鳩を聖なる動物とする
- メソポタミアのイシュタル、イナンナと共通の起源を持つ
- ビブロス、メンフィス、ティルス、カルタゴなど各地で崇拝された
- ギリシャのアフロディーテ、ローマのヴィーナスと同一視された
- フェニキア人の交易活動によって信仰が広まった
3000年以上前に生まれた女神アスタルテは、地域や時代を超えて人々に愛され、恐れられ、崇拝され続けました。愛と戦いの二面性は、生命の持つ創造と破壊の力そのものを表していたのかもしれません。
古代の人々が見上げた夜空で輝く金星(明けの明星・宵の明星)——その美しくも力強い輝きこそが、「星の女王」アスタルテの本質だったのではないでしょうか。


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