南米ベネズエラのジャングル奥地で、探検隊が遭遇した奇妙な獣人。
排泄物を投げつけ、木の棒を振り回して襲いかかってくる凶暴な姿は、まさに未知の生物そのものでした。
そして驚くべきことに、射殺されたその生物の写真が今も残されているんです。
この記事では、「写真に収められた謎の類人猿」として知られる未確認動物モノスについて、その姿や特徴、正体の謎を詳しくご紹介します。
概要

モノスは、1920年代にベネズエラで発見された未確認動物です。
モノ・グランデ(Mono Grande)やド・ロワの類人猿とも呼ばれ、発見者であるスイス人地質学者フランソワ・ド・ロワの名前にちなんでAmeranthropoides loysi(アメラントロポイデス・ロイシ)という学名まで付けられました。
「モノ・グランデ」はスペイン語で「巨大な猿」という意味で、現地の人々がこの生物をそう呼んでいたことに由来します。
最大の特徴は、射殺された個体の写真が現存しているという点です。多くの未確認動物が目撃証言だけなのに対し、モノスには明確な視覚的証拠が残されているんですね。
しかし現在では、この生物の正体について科学的な検証が進み、「既知の動物であるクモザルではないか」という見解が主流になっています。
姿・見た目
モノスの外見は、写真と目撃証言から詳しく分かっています。
外見的特徴
- 体長:約150cm(ド・ロワの主張)
- 体毛:全身が黒っぽい毛で覆われている
- 腕:異常に長い
- 尾:写真では確認できない(尻尾がないように見える)
- 性別:射殺された個体はメス
写真には、石油缶の上に座らせた状態で撮影された個体が写っています。顎の部分には支柱として木の棒が立てられており、まるで生きているかのようなポーズをとっているんです。
体長の謎
ド・ロワは体長を約150cmと主張していましたが、ここに大きな疑問があります。
未確認動物研究家のアイヴァン・サンダーソンが写真を詳しく分析したところ、実際の体長はせいぜい70cm程度だったと結論づけたんです。
もし本当に70cmだとすれば、これは南米に生息するクモザルのサイズとほぼ一致します。体長の食い違いが、モノスの正体をめぐる論争の中心になっているんですね。
特徴
モノスには、普通の猿とは違う興味深い行動特性があります。
攻撃的な性質
モノスの最大の特徴は、その極めて攻撃的な性格です。
発見時の行動パターン:
- 大きな奇声を上げて威嚇する:耳障りで非常に大きな声で吠える
- 排泄物を投げつける:自分の糞を武器として使用
- 木の棒や石を投げる:道具を使って攻撃してくる
- 直接襲いかかる:1954年の目撃例では人間に飛びかかった
特に注目すべきは、道具を使って攻撃するという点です。木の棒や石を拾い上げて投げつけてくるというのは、かなり高い知能を持っている証拠かもしれません。
社会性
目撃例では常に2頭で行動していました。
- 1920年の事例:大きい個体(オス)と小さい個体(メス)のペア
- 1954年の事例:2頭が協力して人間を襲撃
この行動パターンから、つがいで行動する習性があると考えられます。
興味深いのは、1920年の射殺時の出来事です。探検隊がオスを狙って撃ったところ、メスがオスをかばうように弾丸を受けて死亡したという証言があるんです。これが本当なら、かなり高度な社会的絆を持っていることになります。
生息域
モノスの目撃報告は、すべてベネズエラとコロンビアの国境付近に集中しています。
具体的には:
- タラ川付近の熱帯雨林
- エル・モノ・グランデ渓谷
深いジャングルの奥地に生息していると考えられ、人間との接触は極めて稀だったようです。
伝承
モノスにまつわる伝承は、主に2つの有名な遭遇事件を中心に語られています。
フランソワ・ド・ロワの遭遇(1920年)
これが最も有名な事件です。
事件の経緯:
- スイス人地質学者フランソワ・ド・ロワが率いる調査隊が、油田開発のためベネズエラのジャングルを探査中
- タラ川付近の森で突然2頭の大型の猿に遭遇
- 2頭は大声で吠えながら、排泄物や木の棒を投げつけて襲撃してきた
- 身の危険を感じた調査隊が銃で応戦
- メスと思われる個体を射殺、オスは森の奥へ逃走
死体の処理:
射殺後、ド・ロワは死体を保存しようと提案しましたが、今後の調査活動の妨げになるという理由で断念。結局、食料として解体されてしまいました。
ただし、解体前に石油缶の上に座らせて撮影した写真は残されています。また、ド・ロワは証拠品として頭蓋骨を持ち帰ろうとしたのですが、現地でのアクシデントで破損してしまい、廃棄せざるを得なかったそうです。
この頭蓋骨が現存していれば、モノスの正体は簡単に判明したはずなのに、とても残念な話ですね。
エメリー・マルチネスの遭遇(1954年)
最初の目撃から約30年後にも、新たな遭遇事件がありました。
事件の経緯:
- イギリス人ハンター、エメリー・マルチネスがエル・モノ・グランデ渓谷でハンティング中
- 突然2頭の奇妙な大型の猿に襲われる
- 1頭がマルチネスを押さえつけ、もう1頭が茂みへ引きずり込もうとした
- マルチネスは手元の岩で殴りつけて撃退
- 命からがら逃げ出した
残念ながら、この事件では写真などの証拠は一切残されていません。しかし、2頭で協力して攻撃するという行動パターンは、1920年の事例と共通しています。
先住民の伝承
ヨーロッパ人が到達する前から、現地の先住民の間には「サルバヘ(Salvaje)」と呼ばれる伝説がありました。
伝承の内容:
- 毛深い人間のような生物
- 女性を攫っていく
- 小屋を作って住む
- 時には人肉を食べる
19世紀初頭、ドイツの博物学者アレクサンダー・フォン・フンボルトが南米を旅した際、オリノコ川流域でこの伝説を聞いています。ただし、フンボルト自身はこれを単なる神話だと考えていました。
起源
モノスという名前と概念の起源は、複数の要素が絡み合っています。
名前の由来
「モノス」という呼び名は、実はスペイン語で単に「猿」を意味する言葉なんです。
ベネズエラの公用語はスペイン語ですから、現地の人々が「大きな猿がいる」と話していたのを、ヨーロッパ人が聞いて広まったと考えられます。
学名の誕生
写真を見た人類学者ジョージ・モンタンドンが、1929年に「新種のアメリカ類人猿」として学会に発表しました。
Ameranthropoides loysi(アメラントロポイデス・ロイシ)という学名の意味:
- Amer:アメリカの
- anthropoides:人に似た
- loysi:ロワ(ド・ロワ)の
つまり「ロワが発見したアメリカの人に似た猿」という意味になります。
ただし、モンタンドンがこの学名を付けた背景には問題がありました。彼はアメリカ原住民の祖先だと考えたんです。これは当時の白人至上主義的な人種差別意識が影響していたとされています。
科学的検証の始まり
発表当初は「新発見の類人猿」として大きな話題になり、日本でも動物図鑑に掲載されたほどでした。
しかし、すぐに疑問の声が上がり始めます。
主な疑問点:
- 写真に写っている個体の身体的特徴がクモザルとほぼ一致
- 体長の主張(150cm)と写真から計算した実際のサイズ(70cm)の矛盾
- 重要な証拠である頭蓋骨が現存しない
- スケッチや詳細な記録が残されていない
未確認動物研究家のアイヴァン・サンダーソンは、「クモザルの一種に過ぎない」と明言しました。サンダーソンは「オーパーツ」という言葉を作った超常現象研究家としても知られる人物で、未確認動物に対して比較的肯定的な立場だったのに、モノスについては存在を否定したんです。
まとめ
モノスは、写真という証拠がありながら、その正体をめぐって今も議論が続く謎の生物です。
重要なポイント:
- 1920年にベネズエラで発見され、射殺された個体の写真が現存
- 体長150cmと主張されたが、実際は70cm程度の可能性
- 極めて攻撃的で、道具を使って人間を襲う
- 2頭で行動し、社会的な絆を持つ
- 現在の有力説は「ケナガクモザルの変種」
モノスの正体については、主に3つの説があります。
- クモザル説:最も有力。既知のクモザルを誇張した
- 変異種の猿説:突然変異で大型化した猿
- 新種の類人猿説:未発見の類人猿(現在はほぼ否定されている)
科学的には、写真の個体は南米に普通に生息するクモザルの一種だったと考えられています。尻尾が見えないのは撮影角度の問題か、撮影前に切断された可能性があるとされているんです。
しかし、1954年の遭遇事件のように、写真以外にも複数の目撃証言があることも事実。もしかしたら、まだ発見されていない大型の霊長類が、ベネズエラの奥地に潜んでいるのかもしれませんね。


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