深い山の中で、突然「バキバキッ」「ドォーン」という大木が倒れる音が響き渡る。
慌てて音のする方を見ても、誰もいない。木も倒れていない。
これは一体、何の音なのでしょうか?
日本の山では古くから、このような不思議な現象が報告されてきました。人々はこれを「天狗倒し(てんぐたおし)」と呼び、山の主である天狗の仕業だと恐れたのです。
この記事では、山中で起こる不可解な音の怪異「天狗倒し」について、その特徴や伝承を分かりやすくご紹介します。
概要

天狗倒しは、山の中で木を切り倒すような大きな音が聞こえるのに、実際には何も倒れていないという不思議な現象です。
日本各地の山岳地帯で報告されており、特に山小屋に泊まる木こりや猟師、登山者が体験することが多い怪異なんですね。この現象は山天狗の仕業とされ、天狗が引き起こすさまざまな怪異の中でも代表的なものの一つとして知られています。
神奈川県や群馬県、愛知県など、全国の山岳地帯で同様の報告があり、地域によっては今でも語り継がれている伝承です。
どんな音が聞こえるの?
天狗倒しで聞こえる音には、特徴的なパターンがあります。
天狗倒しの音の特徴
- 木を切る音:ノコギリやオノで木を切るような「ギコギコ」「ザクザク」という音
- 木が倒れる音:大木が倒れる「ドォーン」「ガシャーン」という轟音
- 山鳴り:山全体が鳴動するような低い「ゴゴゴ」という音
- 風の音:突然、風もないのに一陣の風が吹き抜けるような音
不思議なのは、これだけ大きな音がするのに、翌朝見に行っても木は一本も倒れていないということ。まるで音だけが響いているような、実体のない現象なんです。
起こる場所と時間
天狗倒しには、発生しやすい条件があります。
よく起こる場所
- 深い山の中の山小屋
- 人里離れた山道
- 天狗が住むとされる霊山
- 深い谷間や幽谷
起こりやすい時間
- 夜中から明け方にかけて
- 特に深夜の静まり返った時間帯
昼間にはほとんど報告がなく、人が眠りにつく夜間に集中しているのが特徴です。
伝承・実例
愛知県の木挽き職人の体験談
江戸時代の記録『三州横山話』には、愛知県北設楽郡での恐ろしい体験談が残っています。
三作という木挽き(材木を切る職人)が仲間8人と山小屋にいたときのこと。深夜に酒を飲んで、石油缶を叩いて騒いでいたところ、突然、山から異変が起こったんです。
起きた怪異
- 山の上から石が投げつけられる
- 大きな岩が転がってくる
- 山小屋全体が激しく揺れる
- 火の玉が飛び交う
- 周りの木が倒れる大音響
職人たちは恐怖で抱き合い、一晩中震えていました。ところが夜が明けて外を確認すると、木は一本も倒れていなかったというのです。
これは「天狗倒し」だけでなく、「天狗礫(つぶて)」「天狗火」「天狗の揺さぶり」という複数の天狗の怪異が同時に起きた珍しい事例として語り継がれています。
奥州での猟師の体験
現在の岩手県にあたる奥州桧築では、夜の山道で猟をしていた若者たちの体験談があります。
山道を歩いていると、突然、左右から石が降ってきました。仲間の一人が天狗の仕業だと気づき、「みんな、早く座れ!」と叫んだそうです。全員が地面に座ると、石は頭の上を飛び交い、まるで自分たちを狙っているかのような恐ろしい音を立てました。
やがて静かになったので朝まで獲物を探しましたが、この怪異に遭った日は必ず獲物が捕れないと言われており、案の定、何も捕れずに帰ることになったといいます。
対処法はあるの?
天狗倒しに遭遇したとき、昔の人々はどうしていたのでしょうか。
伝えられている対処法
- 鉄砲を3発撃つ:大きな音で天狗を驚かせると、怪異が止むとされる
- 地面に座る:立っていると石などが当たるため、低い姿勢をとる
- 騒がない:山で大騒ぎすると天狗が怒るため、静かにする
- 山の神に祈る:山の主である天狗に敬意を示す
特に鉄砲を3発撃つという方法は、神奈川県などで広く信じられていた対処法です。ただし、本当に効果があったかどうかは定かではありません。
天狗倒しと関連する怪異
天狗倒しは、天狗が引き起こす怪異の一つですが、同時に他の現象も起こることがあります。
天狗礫(てんぐつぶて)
石が空から降ってくる現象。どこから飛んでくるのか分からず、まるで天狗が投げているようだとされます。実際に石が落ちた音がしても、地面に石は見つからないことが多いんです。
天狗火(てんぐび)
山中に現れる不思議な火の玉。人が近づくと遠ざかり、離れると近づいてくる、まるで意思を持っているような動きをします。
天狗の揺さぶり
山小屋が風もないのに激しく揺れる現象。まるで誰かが小屋を揺さぶっているようだと恐れられました。
これらの怪異は単独で起こることもあれば、先ほどの木挽き職人の体験談のように、一度に複数起こることもあったようです。
なぜ天狗の仕業とされたのか?
山で起こる不思議な音を、なぜ人々は天狗の仕業だと考えたのでしょうか。
天狗と結びついた理由
- 天狗は山の主:日本では古くから、山には天狗という神秘的な存在が住むと信じられていた
- 説明できない現象:科学的知識のなかった時代、山で起こる不可解な現象を超自然的な存在の仕業と考えた
- 山への畏敬:人里離れた深い山は異界であり、そこには人知を超えた力があると考えられていた
天狗は山伏の姿をした神通力を持つ存在とされ、人間が山に対して失礼な振る舞いをすると、このような怪異を起こして警告すると信じられていたんですね。
まとめ
天狗倒しは、山中で木が倒れるような大音響が聞こえるのに、実際には何も起きていないという不思議な怪異です。
重要なポイント
- 山中で木を切ったり倒したりする音が聞こえるが、実際には何も倒れていない
- 夜間、特に深夜に山小屋や山道で起こる
- 天狗の仕業とされ、山の主への畏敬の念から生まれた伝承
- 天狗礫、天狗火、天狗の揺さぶりなど、他の天狗の怪異と同時に起こることもある
- 全国の山岳地帯で報告されている
- 対処法として鉄砲を3発撃つなどの方法が伝えられている
今では地質学的な要因や動物の鳴き声など、科学的な説明がされることもありますが、深い山の中で一人、不思議な音を聞いたとき、昔の人々が感じた畏怖の念は、現代でも変わらないのかもしれませんね。


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