「魔女」と聞いて、あなたはどんなイメージを持ちますか?
アメリカ・マサチューセッツ州にあるセイレムという町では、約330年前に実際に魔女裁判が行われ、多くの無実の人々が命を落としました。
そして今、この町は恐怖の歴史を観光資源に変え、世界中から訪れる人々を魅了し続けています。さらに、H・P・ラヴクラフトの怪奇小説に登場する架空の都市「アーカム」のモデルにもなり、現実と虚構が交差する不思議な場所でもあるんです。
この記事では、魔女裁判の舞台となったセイレムの歴史と、クトゥルフ神話との深い関係について詳しくご紹介します。
概要

セイレムは、アメリカ合衆国マサチューセッツ州エセックス郡に位置する歴史的な都市です。
ボストンの北東約24kmに位置し、人口は約4万4千人(2020年時点)。1626年頃にロジャー・コナントら漁師たちによって開拓され、17世紀から18世紀にかけて貿易港として大いに栄えました。
町の名前「セイレム」は、ヘブライ語の「シャレム(平和)」に由来します。エルサレムの古名でもあるこの言葉には、新天地での平和な暮らしへの願いが込められていました。
しかし皮肉なことに、この町は1692年に起きた魔女裁判で世界的に知られることになります。この事件は、アメリカ史上最も大規模な魔女狩りとして、今なお人々の記憶に残っているんです。
セイレムの魔女裁判とは
事件の始まり
1692年、セイレム村(現在のダンバース)で恐ろしい出来事が始まりました。
村の牧師の娘たちを含む数人の少女が、原因不明の奇妙な発作を起こし始めたんです。体が痙攣したり、意味不明な言葉を叫んだり、まるで何かに取り憑かれたような症状でした。
当時の人々は、この異常な症状を魔術のせいだと考えました。少女たちは尋問され、「誰が魔術をかけたのか」を問い詰められます。恐怖に怯えた少女たちは、次々と村人の名前を挙げていきました。
裁判の展開
魔女裁判の経過
- 1692年2月:最初の3人の女性が魔女として逮捕される
- その後数ヶ月:疑いをかけられる人が急増し、約200名が逮捕される
- 証拠の特殊性:「霊的な証拠」(幽霊を見たという証言など)が認められた
- 裁判の舞台:セイレム村からセイレム市に判事が派遣され、審理が行われた
裁判では、通常では証拠として認められないような「霊的な証拠」が採用されました。「被告の幽霊が現れた」といった証言だけで、有罪とされることもあったんです。
悲劇の結末
この魔女裁判による犠牲者の数は深刻でした。
犠牲者の内訳
- 絞首刑:19名
- 圧死刑:1名(ジャイルズ・コリー。有罪・無罪の答弁を拒否したため)
- 獄死:5名以上
- 合計死者:25名以上
事件は、州総督が「霊的証拠」の使用を禁止したことで、ようやく収束に向かいます。1693年5月には残りの被告全員が釈放されました。
裁判に関わった人々
この裁判で判事の一人を務めたのが、ジョン・ホーソーンという人物です。彼は容赦なく有罪判決を下し続け、「絞首刑判事」として恐れられました。
興味深いことに、彼は後の時代に活躍する作家ナサニエル・ホーソーンの先祖にあたります。ナサニエルは先祖の行いを恥じ、姓のスペルを変えたとも言われているんです。
なぜ魔女狩りが起きたのか
セイレムで大規模な魔女狩りが起きた背景には、いくつかの要因があったと考えられています。
社会的緊張
当時のセイレムの状況
- 都市部と農村部の対立:裕福なセイレム市と貧しいセイレム村の間に経済格差があった
- 宗教的緊張:ピューリタンの厳格な信仰が支配的で、異端への恐怖が強かった
- 先住民との戦争:近隣で起きていた戦争による不安と恐怖
- 疫病の流行:天然痘などの病気による死者の増加
現代の研究
現代の研究者たちは、様々な角度からこの事件を分析しています。
医学的には、少女たちの症状はヒステリーや麦角中毒(カビに汚染された穀物による中毒)だったのではないかという説があります。社会学的には、抑圧された社会での集団ヒステリーだったという見方もあるんです。
アーカムとの深い関係
セイレムは、単なる歴史的な町というだけではありません。怪奇小説の巨匠H・P・ラヴクラフトが創造した架空の都市「アーカム」のモデルとなった場所でもあるんです。
ラヴクラフトとセイレム
アメリカの怪奇小説家H・P・ラヴクラフト(1890-1937)は、マサチューセッツ州の雰囲気や歴史に深く影響を受けていました。
彼が創造した「クトゥルフ神話」の舞台となる架空都市「アーカム」は、セイレムをモデルにしていると広く認められています。ラヴクラフト自身も、1934年の手紙の中でこう書いています。
「私の頭の中のアーカムは、セイレムのような雰囲気と家屋様式を持つ町だが、より丘が多く、大学がある」
地理的な対応
実在のセイレムと架空のアーカムは、驚くほど地理的に対応しています。
セイレムとアーカムの対応関係
- ノース川(セイレム)→ ミスカトニック川(アーカム)
- リバー・ストリート(セイレム)→ 川沿いの通り(アーカム)
- セイラム州立大学(セイレム)→ ミスカトニック大学(アーカム)
魔女裁判の影響
アーカムの設定でも、セイレムの魔女裁判が重要な歴史的背景として組み込まれています。
ラヴクラフトの作品では、1692年にセイレムで魔女狩りから逃れた人々がアーカムに移住してきたという設定があるんです。そして、その中には本物の魔術師も含まれていました。
アーカムに逃れた魔術師たち
- エドマンド・カーター:「銀の鍵の門を越えて」に登場
- ジョセフ・カーウィン:「チャールズ・ウォードの奇怪な事件」に登場
- キザイア・メイスン:「魔女の家の夢」に登場
彼らの子孫たちが、後のアーカムで不気味な事件を引き起こすという物語が展開されていきます。
ミスカトニック大学と禁断の書
アーカムのミスカトニック大学図書館には、恐るべき禁断書「ネクロノミコン」が所蔵されているという設定です。
面白いことに、実在のセイレムにもペクスター図書館があり、ラヴクラフトの設定ではここにも「ネクロノミコン」の写本が収蔵されているとされています。現実と虚構の境界が曖昧になる、不思議な関係ですね。
現在のセイレム:魔女の街として
かつての悲劇の舞台は、今では観光都市として生まれ変わっています。
魔女のシンボル化
セイレム村は後に「ダンバース」と改名して忌まわしい過去から距離を置きましたが、セイレム市は逆の道を選びました。
童話に登場するような魔女のイメージを街のシンボルとして積極的に採用したんです。
街中に溢れる魔女のマーク
- 警察のエンブレム:魔女のマークが入っている
- スポーツチーム:チーム名に「Witches(魔女)」を使用
- お土産:魔女グッズが豊富
- 学校名:「Witchcraft Heights」という公立小学校がある
主要な観光スポット
セイレムには、歴史を学べる重要な史跡が数多くあります。
代表的な観光地
- 魔女裁判記念碑:2017年に特定されたプロクターズ・レッジにある犠牲者の慰霊碑
- ウィッチハウス:判事ジョナサン・コーウィンの家(1642年建造)
- ピーボディ・エセックス博物館:航海史と世界各国の美術品を収蔵
- 七破風の家:ナサニエル・ホーソーンの小説の舞台となった家
- セイラム海事国定史跡:大航海時代の波止場を保存
毎年10月のハロウィーンシーズンには、世界中から数十万人の観光客が訪れ、街は魔女祭りで賑わいます。
日本との意外な繋がり
実は、セイレムと日本には深い歴史的な繋がりがあるんです。
江戸時代の貿易
1797年から1808年の間、セイレムと長崎の間で特殊な貿易が行われていました。
オランダ東インド会社がアメリカの船会社と傭船契約を結び、アメリカ船がオランダ国旗を掲げて長崎に入港していたんです。これは日本の鎖国政策に配慮した、非常に珍しい形の日米貿易でした。
セイレムから日本へ向かった主な船
- イライザ号(1797年、1798年)
- フランクリン号(1799年)
- エンペラー・オブ・ジャパン号(1800年)
- マサチューセッツ号(1800年)
この貿易により、セイレムは中国貿易に加えて、日本との交易でも繁栄しました。
現代の交流
現代でも、セイレムと日本の繋がりは続いています。
1984年からセイレムは東京都大田区と姉妹都市関係を結んでいます。毎年、大田区の中学生がセイレムに派遣されるなど、活発な交流が行われているんです。
また、大田区立郷土博物館とセイレムのピーボディ・エセックス博物館の間でも、長年の交流があります。
日本美術の恩人
セイレムは、日本美術史にとっても重要な場所です。
アーネスト・フェノロサ(1853-1908)という東洋美術史家・哲学者がこの地で生まれ育ちました。彼は明治時代の日本で美術教育に尽力し、日本の伝統文化の保護に大きく貢献した人物です。
岡倉天心とともに日本美術の復興運動を推進し、現在の東京藝術大学の前身である東京美術学校の設立にも関わりました。
まとめ
セイレムは、悲劇の歴史と怪奇の伝説が交差する、世界でも稀有な場所です。
重要なポイント
- マサチューセッツ州の港湾都市で、1626年に開拓された
- 1692年の魔女裁判でアメリカ史上最大の魔女狩りが発生し、25名以上が犠牲になった
- H・P・ラヴクラフトの「アーカム」のモデルとなり、クトゥルフ神話の舞台に
- 現在は悲劇の歴史を観光資源として活用し、「魔女の街」として世界的に有名
- 江戸時代には長崎との特殊な貿易関係があり、現在も大田区と姉妹都市
- 日本美術の恩人フェノロサの生誕地でもある
- 毎年ハロウィーンには数十万人の観光客が訪れる
もし機会があれば、この歴史と神話が交差する不思議な町を訪れてみてはいかがでしょうか。きっと、教科書では学べない、生きた歴史を感じることができるはずです。


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