もし、数百年前の町並みがそのまま残り、夜になると魔女や幽霊の噂が囁かれる町があったら、あなたは訪れてみたいですか?
ホラー小説の巨匠H.P.ラヴクラフトが創造した架空の町アーカムは、まさにそんな場所なんです。古めかしい建物が立ち並び、禁断の書物を所蔵する大学があり、数々の怪事件の舞台となってきました。多くの怪奇作品に登場し、ホラーファンの間では最も有名な架空都市の一つとして知られています。
この記事では、クトゥルフ神話の中心地となる恐怖の町「アーカム」について、その歴史、地理、特徴を詳しく解説します。
概要

アーカム(Arkham)は、アメリカの作家H.P.ラヴクラフトが創造した架空の都市です。マサチューセッツ州エセックス郡にあるという設定で、多くのホラー小説の舞台となってきました。
この町は1920年にラヴクラフトの小説『家のなかの絵』で初めて名前が登場し、その後『死体蘇生者ハーバート・ウェスト』で本格的な舞台として描かれました。現在では、クトゥルフ神話という怪奇小説群の中核をなす重要な場所として知られているんです。
アーカムの最大の特徴は、名門大学ミスカトニック大学が存在すること。この大学の図書館には、あの有名な魔道書「ネクロノミコン」が所蔵されているという設定になっています。
町全体が「時の止まった町」と呼ばれ、数世紀前の建築様式や町並みがそのまま保存されており、魔女や幽霊の伝説が今も語り継がれる不思議な雰囲気に包まれています。
アーカムの誕生~ラヴクラフトの創造~
作品での初登場
アーカムが最初に登場したのは、1920年12月12日に書かれた『家のなかの絵』という短編小説です。この作品では名前が言及されただけでしたが、1922年の『死体蘇生者ハーバート・ウェスト』で初めて物語の舞台として本格的に描かれました。
その後、ラヴクラフトの代表作の多くでアーカムが登場します。
- 『銀の鍵』(1926年)
- 『宇宙からの色』(1927年)
- 『ダニッチの怪』(1928年)
- 『闇に囁くもの』(1930年)
- 『狂気の山脈にて』(1931年)
- 『インスマスの影』(1931年)
- 『魔女の家の夢』(1932年)
モデルとなった町
アーカムには、実在するモデルとなった町があります。
主なモデル
- セイラム(マサチューセッツ州):1692年の魔女裁判で有名な町
- プロヴィデンス(ロードアイランド州):ラヴクラフト自身の故郷
ラヴクラフトが描いたアーカムの地図は、セイラムの地形と驚くほど対応しているんです。ラヴクラフト自身も1934年の手紙で、「私のアーカムのイメージは、雰囲気や家の様式はセイラムのような町だが、もっと丘が多く、大学がある」と書いています。
セイラムは実際に魔女裁判が行われた歴史的な町で、ラヴクラフトはその暗い歴史をアーカムに取り入れたんですね。
名前の由来
「アーカム」という名前の正確な由来は明らかになっていません。ただし、ロードアイランド州に実在するアークライト(Arkwright)という地名が元になっている可能性が指摘されています。
また、ラヴクラフトの死後、彼の作品を出版するために友人たちが設立した出版社「アーカムハウス」は、この町の名前から取られました。今でも、ホラー小説の専門出版社として存在しています。
町の歴史

アーカムには、数世紀にわたる詳細な歴史設定があります。
17世紀~入植と魔女の時代~
1692年、アーカムへの入植が始まりました。これは、実在のセイラムで魔女裁判が行われたのと同じ年なんです。
改革派教会の押し付けがましさを嫌った人々が、ボストンやセイラムから信仰の自由を求めて移住してきました。セイラムで魔女裁判の騒動が発生すると、アーカムの住民は寛容にも逃亡者やその家族を迎え入れ、屋根裏部屋に匿ったそうです。
移住してきた人々の中には
- エドマンド・カーター(魔術師、ランドルフ・カーターの先祖)
- キザイア・メイスン(魔女)
- その他、実際に魔術に手を染めていた人物
この時代、隠し部屋を備えた家が多く建てられ、魔女狩りも横行していました。
1699年、アーカムはマサチューセッツ州エセックス郡の市として正式に独立しました。
18~19世紀~貿易と工業の発展~
18世紀に入ると、アーカムは西インド諸島との貿易の拠点として近隣のキングスポートと共に繁栄しました。古くは港町として栄えた歴史があるんです。
1765年には、ミスカトニック大学の前身となる学問の場が創立されました。
19世紀になると、貿易業は衰退し、産業構造が大きく変化します。アーカムは工業地帯として産業転換を果たし、マサチューセッツ州有数の繊維工場地として大いに栄えました。
1806年には、町の伝統ある新聞『アーカム・ガゼット』誌が創刊されています。
19~20世紀~怪事件の時代~
この時期、アーカムでは数々の奇怪な事件が発生しました。
主な出来事
- 1880年:ミスカトニック大学に医学部が創立
- 1882年:郊外に隕石が落下。後に「焼け野」と呼ばれる場所になる
- 1888年:大規模な洪水が発生
- 1905年:腸チフスが大流行し、住民が激減。同時に狂気の殺人者が出没
- 1915年9月:ミスカトニック大学のラバン・シュリュズベリィ博士が失踪
- 1928年5月:ウォルター・ギルマンが魔女の家で死亡
- 1928年8月:ダンウィッチのウィルバー・ウェイトリーが大学図書館に侵入し死亡
- 1928年10月:ボストンのランドルフ・カーターがアーカム郊外で失踪
- 1930~1931年:ミスカトニック大学が南極大陸に学術探検隊を派遣
- 1931年3月:魔女の家が強風で破壊される
特に1905年の腸チフス流行は深刻で、町の人口が大幅に減少しました。
地理と場所
アーカムの位置
アーカムは、マサチューセッツ州エセックス郡にあるという設定です。正確な位置は明示されていませんが、実在の地理と照らし合わせると、現在のゴードン大学がある位置に相当するとされています。
周辺の町
- 北:インスマス(架空)、ニューベリーポート(実在)
- 西:ダンウィッチ(架空)
- 南東:キングスポート(架空)
- 南:セイラム(実在)、ボストン(実在)
ボストンへはボストン=マサチューセッツ鉄道を使えば、2時間足らずで行くことができます。
ミスカトニック河
アーカムの中央を東西に流れる黒々とした河がミスカトニック河です。この河により、町は南北に分けられています。
河の北側にはボストン=マサチューセッツ鉄道が走り、アーカム駅が設置されています。河と平行するように線路が走っているんですね。
ミスカトニック河の上流にはダンウィッチが、河口にはキングスポートがあるという設定になっています。
絞首刑人の丘
アーカムの西には「絞首刑人の丘(Hangman’s Hill)」と呼ばれる場所があります。これは、実在のセイラムにある「ギャロウズ・ヒル」(魔女裁判で絞首刑が行われた丘)に対応する位置にあるんです。
アーカムでもかつて魔女狩りが行われ、この丘で処刑が執行されたという設定があります。
町の特徴と雰囲気
「時の止まった町」
アーカムは、しばしば「時の止まった町」という言葉で形容されます。
町並みの特徴
- 密集する駒形切妻屋根の家々
- ジョージア風の欄干を備えた建築
- 築数百年を数える古い建物
- 数世紀前の町並みがそのまま保存されている
近隣のインスマスやキングスポートと比べても、アーカムは特に古い雰囲気を残しています。建物だけでなく、老人たちが夜な夜な語り継いできた魔女や幽霊の物語も、全く変化することなく遺されているんです。
訪れる人々
この独特の雰囲気が、様々な人々を惹きつけています。
アーカムを訪れる人々
- ニューイングランド地方の歴史・風俗を研究する学者
- 北部アメリカの伝統的な文化を好む懐古趣味の芸術家
- 古い町並みに魅力を感じる作家
- 神秘学や超常現象に興味を持つ研究者
長期滞在する訪問者も少なくないそうです。
町に残る伝説
アーカムには、いくつもの不気味な伝説が語り継がれています。
代表的な伝説
- ミスカトニック河の中洲の島で、セイラムから逃れてきた魔女たちが夜な夜な狂宴を開いていた
- 町のあちこちに隠し部屋を備えた家がある
- 特定の場所では、今も魔女の呪いが残っている
セイラムと共通の地名が幾つか存在することも、両者の深い繋がりを示しています。
町の新聞
アーカムには二つの主要な新聞があります。
- 『アーカム・ガゼット』:1806年創刊の伝統ある新聞
- 『アーカム・アドヴァタイザー』:比較的軽めの話題も扱う大衆向け新聞
これらの新聞は、ダンウィッチなど近隣の町にまで配達されているそうです。
ミスカトニック大学~禁断の知識の宝庫~
大学の概要
アーカムで最も重要な施設がミスカトニック大学(Miskatonic University)です。
大学の基本情報
- 創立:1765年(前身となる学問の場)
- 正式な大学となったのは1861年
- 位置:ミスカトニック河のほとり
- 規模:アイビーリーグに参加する名門大学
現在、アーカムはこの大学のベッドタウンとして、近隣地域に知られています。
学部と研究機関
ミスカトニック大学は、多方面で活躍している総合大学です。
主な学部・研究機関
- 医学部(1880年創立)
- 地質学科
- 人類学科
- 考古学科
物語『ダニッチの怪』では、この大学がハーバード大学と並ぶエリート校として描かれ、マサチューセッツ州の「旧家の名門」に最も人気のある二大学校だとされています。
大学の探検隊
ミスカトニック大学は、数々の学術探検を実施してきました。
主な探検
- 1930~1931年:南極大陸への学術探検隊を派遣(小説『狂気の山脈にて』)
- 1935年:ナサニエル・ウィンゲート・ピースリー元教授のオーストラリア遺跡調査を支援(小説『時間からの影』)
探検隊が使用した船の一つは「アーカム号」と名付けられました。
附属図書館の禁断書
ミスカトニック大学附属図書館には、世界中の神秘学者が羨む禁断の書物が所蔵されています。
主な所蔵物
- 「ネクロノミコン」(17世紀版、スペインで印刷されたラテン語版)
- 「無名教典(ウナウスプレヒリヒェン・クルテン)」
- 「ナコト写本」
- 「エイボンの書」
- 「ポナペ島経典」
特に「ネクロノミコン」は、世界に数冊しか存在しない貴重な写本です。他の所蔵先としては、ハーバード大学ワイドナー図書館、ブエノスアイレス大学図書館、フランス国立図書館などが挙げられます。
これらの書物は政府によって厳しく管理されており、一般人の閲覧は許可されていません。
著名な教授陣
ミスカトニック大学には、優秀な研究者が在籍しています。
代表的な教授
- ヘンリー・アーミティッジ博士:附属図書館の館長(『ダニッチの怪』)
- フランシス・モーガン博士:(『ダニッチの怪』)
- ウィリアム・ダイアー教授:南極探検隊のリーダー(『狂気の山脈にて』)
- アルバート・N・ウィルマース:民俗学者、英文学の助教授(『闇に囁くもの』)
- ラバン・シュリュズベリィ博士:1915年に失踪
物語の中では、これらの教授たちが超常現象や古代の秘密に立ち向かう重要な役割を果たします。
その他の重要施設
アーカム精神病院
アーカム・アサイレム(Arkham Sanitarium)は、小説『戸口にあらわれたもの』に登場する精神病院です。
実在のダンバース州立病院(マサチューセッツ州ダンバース)がモデルとされており、『ピックマンのモデル』や『インスマスの影』にも登場します。
超常現象に巻き込まれて精神を病んだ人々が収容される場所として描かれることが多いんです。
ちなみに、バットマンシリーズに登場する「アーカム・アサイラム」も、この施設から名前を取っていますが、内容的には別物です。
アーカム歴史協会
町の歴史を保存・研究する機関としてアーカム歴史協会(Arkham Historical Society)が存在します。古文書や遺物の保管、町の伝承の記録などを行っているという設定です。
ビリントン屋敷
1921年3月、アンブローズ・デュワートという人物がビリントン屋敷を相続しました。この屋敷は、町の中でも特に古い歴史を持つ建物の一つとされています。
魔女の家
アーカムには「魔女の家」と呼ばれる不吉な建物がありました。
魔女の家の歴史
- かつて魔女キザイア・メイスンが住んでいた
- 1928年5月:ミスカトニック大学の学生ウォルター・ギルマンがこの家で死亡
- 1931年3月:強風によって破壊される
小説『魔女の家の夢』の主な舞台となった場所です。
アーカムで起きた怪事件
アーカムは、数々の超常現象や奇怪な事件の舞台となってきました。
死体蘇生の実験
1905年、腸チフスの流行で多くの死者が出る中、狂気の殺人者が出没しました。実はこれは、ミスカトニック大学の医学生ハーバート・ウェストによる死体蘇生実験の犠牲者だったんです(小説『死体蘇生者ハーバート・ウェスト』)。
宇宙からの隕石
1882年、アーカム郊外に奇妙な隕石が落下しました。この隕石は地球外の物質でできており、周囲の生物に異常な影響を与えました。その場所は後に「焼け野」と呼ばれるようになり、人が近づかない不気味な土地となったそうです(小説『宇宙からの色』)。
ダンウィッチの怪物
1928年8月、ダンウィッチという町から来た奇怪な若者ウィルバー・ウェイトリーが、ミスカトニック大学附属図書館に侵入しました。彼の目的は「ネクロノミコン」を盗むことでしたが、侵入中に番犬に襲われて死亡。
死亡した彼の正体は、人間と邪神ヨグ=ソトースの混血という恐ろしいものでした(小説『ダニッチの怪』)。
ランドルフ・カーターの失踪
1928年10月、ボストンの神秘家ランドルフ・カーターがアーカム郊外で失踪する事件が発生しました。彼は「銀の鍵」という不思議な鍵を使って、異次元の世界へ旅立ったとされています(小説『銀の鍵』『銀の鍵の門を越えて』)。
魔女の家の悲劇
1928年5月、ミスカトニック大学の数学専攻の学生ウォルター・ギルマンが、魔女の家で死亡しました。彼は魔女キザイア・メイスンの亡霊に導かれ、異次元空間を旅する中で命を落としたとされています(小説『魔女の家の夢』)。
南極探検隊の発見
1930~1931年、ミスカトニック大学の地質学科が派遣した南極探検隊が、人類の歴史を覆す大発見をしました。太古に地球を支配していた「古のもの」という異星人の遺跡を発見したのです。
しかし、探検隊の多くは命を落とし、生還した者も精神に異常をきたしました(小説『狂気の山脈にて』)。
他の作家による描写
ラヴクラフトの死後、多くの作家がアーカムを舞台にした作品を発表しています。
オーガスト・W・ダーレス
ラヴクラフトの友人であり、「クトゥルフ神話」という名称を作ったダーレスは、数多くのアーカムを舞台にした作品を書きました。
- 『永劫の探究』(1部・2部)
- 『暗黒の儀式』(1945年)
- 『異次元の影』(1957年)
- 『魔女の谷』(1962年)
ダーレスの描くアーカムは、ラヴクラフトよりもダンウィッチに近い位置にあるという設定になっています。
その他の作家
- ロバート・ブロック:『窖に潜むもの』(1937年)
- フリッツ・ライバー:『アーカムそして星の世界へ』(1966年)
- リン・カーター:『陳列室の恐怖』(1976年)
- ブライアン・ラムレイ:『タイタス・クロウ・サーガ』(1976年)
これらの作品により、アーカムの世界はさらに広がり、詳細な設定が追加されていきました。
現代への影響
ゲームでの登場
アーカムは、多くのゲーム作品に登場しています。
『アーカムホラー』:協力型ボードゲームで、プレイヤーはアーカムの町を探索しながら、世界に侵入しようとする恐怖の存在を阻止します。
『クトゥルフ神話TRPG』:テーブルトークRPGで、アーカムはよく使われる舞台の一つ。『アーカムのすべて/H.P.ラヴクラフトアーカム』というサプリメントも出版されています。
その他のメディア
映画:『The Haunted Palace』(1963年、ロジャー・コーマン監督)は、ラヴクラフトの小説『チャールズ・ウォードの奇怪な事件』を基にした作品で、アーカムが舞台となっています。
小説:スティーヴン・フィリップ・ジョーンズの『Lovecraftian: The Shipwright Circle』では、アーカムが主要な舞台として登場します。
アンソロジー:2006年には『Arkham Tales』というアンソロジーが出版され、様々な作家によるアーカムを舞台にした短編が収録されました。
DC コミックスへの影響
バットマンシリーズに登場する「アーカム・アサイラム」は、ラヴクラフトのアーカムから名前を取っています。編集者ジャック・C・ハリスとライターのデニス・オニールが、ラヴクラフトへのオマージュとしてこの名前を選んだそうです。
ただし、ゴッサム・シティにある精神病院という設定で、内容的にはラヴクラフトのアーカムとは無関係です。
まとめ
アーカムは、ホラー文学史上最も有名な架空都市の一つです。
重要なポイント
- H.P.ラヴクラフトが1920年に創造した架空の町
- マサチューセッツ州に位置し、実在のセイラムがモデル
- 1692年の入植開始以来、数百年の詳細な歴史設定がある
- 「時の止まった町」と呼ばれる古い町並みが特徴
- 名門ミスカトニック大学があり、「ネクロノミコン」などの禁断書を所蔵
- 魔女伝説や超常現象の舞台として数々の怪事件が発生
- ラヴクラフトの死後も多くの作家によって作品の舞台とされている
- ゲームや映画など、様々なメディアで描かれ続けている
古い建物、禁断の知識、暗い歴史。これらが絡み合うアーカムは、今も多くのホラーファンを魅了し続けています。もし勇気があるなら、あなたもミスカトニック大学の門をくぐり、図書館の奥深くに眠る「ネクロノミコン」を探してみますか?
参考文献
- 「クトゥルフ神話大事典」(学研プラス)
- 「クトゥルフ神話の世界」(新紀元社)
- ウィキペディア「アーカム」項目(英語版・日本語版)
- H.P.ラヴクラフト各種作品(『死体蘇生者ハーバート・ウェスト』『ダニッチの怪』『狂気の山脈にて』など)
- キース・ハーパーほか「アーカムのすべて/H.P.ラヴクラフトアーカム」


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