もし山を何周もぐるぐる巻きにするほど巨大な百足がいたら…想像しただけで背筋が凍りますよね?
日本の伝説には、そんな恐ろしい怪物が実際に登場するんです。
平安時代、近江国(今の滋賀県)の三上山には、山を七巻き半もする超巨大な百足が住んでいて、龍神の一族を苦しめていたと伝えられています。
この記事では、日本各地に伝わる恐怖の巨大妖怪「大百足」について詳しくご紹介します。
概要

大百足(おおむかで)は、日本各地の伝説で語られる巨大な百足の妖怪です。
「百足」は「ムカデ」とも読み、たくさんの足を持つ気味の悪い姿の毒虫のこと。この百足が何百メートル、時には何十キロメートルにもなったのが「大百足」なんですね。
最も有名な伝説は、近江国(滋賀県)の三上山を七巻き半する大百足の話です。平安時代の武将・藤原秀郷(俵藤太)によって退治されたこの怪物は、琵琶湖の龍神を苦しめる恐ろしい存在でした。
興味深いのは、大百足が龍や蛇の宿敵として描かれることが多い点です。蛇には足がありませんが、百足にはたくさんの足があるため、戦いでは百足の方が有利だと考えられていたんです。
また、群馬県の赤城山や栃木県の日光にも、百足の神が登場する伝説が残っています。
伝承

俵藤太の大百足退治
大百足といえば、何と言っても藤原秀郷(俵藤太)の退治伝説が有名です。
勇者を探す龍神
ある日、若き日の秀郷が近江国の瀬田の唐橋を通りかかると、橋に大きな蛇が横たわって人々の通行を妨げていました。人々が怖がって誰も渡れない中、秀郷は臆することなく大蛇を踏みつけて悠々と渡ってしまったんです。
その夜、秀郷の家に美しい娘が訪ねてきました。実は昼間の大蛇は、琵琶湖に住む龍神の娘が姿を変えたものだったんですね。
娘は秀郷の勇気を見込んで、こう懇願しました:
「三上山に山を七巻き半する大百足が住んでいて、私たち龍神の一族を苦しめています。どうかあの怪物を退治してください」
秀郷は快く引き受けました。
唾をつけた矢の秘密
秀郷は白い鉢巻きを締め、弓矢を持って三上山に向かいました。
山には娘の言う通り、巨大な百足が巻き付いていました。琵琶湖の南東にある瀬田の唐橋まで達するほどの長さ、数十キロメートルもある怪物です。
秀郷は得意の弓で矢を放ちますが、百足の硬い皮膚に弾かれてしまいます。二本目も効果なし。とうとう最後の一本になってしまいました。
そこで秀郷は、百足は人の唾液を嫌うという言い伝えを思い出したんです。
最後の矢に唾を吐きかけ、八幡大菩薩に祈りを捧げて渾身の一矢を放つと、見事に百足の眉間(脳天)を射抜きました。
苦しみもだえた百足は「俺は七巻き半、奴は鉢巻(八巻き)…」と悔しそうに言い残して絶命したそうです。
龍宮からの贈り物
翌朝、再び娘が現れて、百足退治の礼として様々な宝物を贈りました:
- 尽きることのない米俵:米を取り出しても減らない不思議な俵
- 巻絹:使っても使っても尽きない絹
- 赤銅の釣鐘:三井寺に奉納された(後の「弁慶の引きずり鐘」)
- 黄金札の鎧:子孫に伝わる武士の重宝
- 黄金作りの太刀:「遅来矢(ちくし)」という名の宝刀
このことから、秀郷は「俵藤太(たわらのとうた)」という名で呼ばれるようになったんですね。
赤城山と日光の戦い
関東地方にも、百足にまつわる興味深い伝説があります。
赤城山(群馬県)に棲む百足の神と、日光の男体山(栃木県)に棲む蛇の神が、国土を奪い合って争ったという話です。
戦いの経緯
- 当初は足がたくさんある百足の方が優勢でした
- 蛇の神は、鹿島(茨城県)の神の助言を得て弓の名人を味方につけました
- 名人・小野猿麻呂が見事に百足の左眼を射抜きました
- 百足はほうほうのていで赤城山に逃げ帰りました
このとき戦場となった場所が、今の奥日光の戦場ヶ原なんです。この地名の由来は、まさにこの神々の戦いから来ているんですね。
龍神の宿敵
なぜ百足と蛇(龍)は対立するのでしょうか?
中国の古書『抱朴子』には、「龍はこれを恐れて雷で打ち落とす」という記述があります。
同じ長虫の仲間でも:
- 蛇:足がなく、動きに制限がある
- 百足:たくさんの足があり、機動力が高い
この違いから、戦いでは百足の方が有利だと考えられていたんですね。
ただし、日本の説話のほとんどでは、最終的に百足は退治されてしまいます。唾液や弓矢といった人間の武器が、百足の弱点だったようです。
毘沙門天の使い
実は大百足には、悪い面だけではなく別の側面もあるんです。
中国の『抱朴子』によると、百足は毘沙門天の使いとされ、金や銅の鉱脈がある場所を探し当てる能力があるとされていました。
「鉱脈を探して山に入るときには、竹の筒に百足を入れていけ」という記述もあり、鉱山を探す際の重要な存在だったんですね。
不気味な姿で恐れられる一方で、人々の暮らしに役立つ存在としても認識されていたわけです。
まとめ
大百足は、山を巻くほど巨大な恐ろしい妖怪として、日本各地で語り継がれてきました。
重要なポイント
- 日本各地に伝わる巨大な百足の伝説
- 最も有名なのは藤原秀郷(俵藤太)による退治伝説
- 三上山を七巻き半する超巨大な怪物
- 琵琶湖の龍神を苦しめる宿敵として描かれる
- 唾をつけた矢が弱点だった
- 赤城山と日光の戦場ヶ原にも百足の神の伝説がある
- 蛇(龍)との対立は足の数の差が原因
- 毘沙門天の使いとして鉱脈を探す能力もあった
平安時代の人々にとって、山を何周もするような巨大生物の存在は、龍神でさえも太刀打ちできない恐怖そのものだったでしょう。
でも同時に、鉱山を探す手がかりとして人々の生活に役立つ面もあったんですね。
もし山で不思議な音が聞こえたら、それは地中の百足が鉱脈を教えてくれているのかもしれません。


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