古い図書館の奥深く、人目につかない場所に封印された禁断の書があることを知っていますか?
その本を開いた者は、決して口にしてはならない秘密と、人間の理性を超えた恐怖に直面するといわれています。
18世紀初頭のフランスで出版され、即座にカトリック教会によって発禁処分となった『屍食教典儀』は、クトゥルフ神話を代表する魔道書の一つなんです。
この記事では、フランスの闇に葬られた禁書『屍食教典儀』について、その恐るべき内容と歴史をご紹介します。
概要

屍食教典儀(ししょくきょうてんぎ)は、フランス語でCultes des Goules(カルト・デ・グール)、英語ではCults of the Ghoulsと呼ばれる架空の魔道書です。
クトゥルフ神話という怪奇小説の世界観に登場する文献で、ロバート・ブロックという作家が生み出しました。
物語の設定では、1702年あるいは1703年にフランスで出版されたとされ、当時フランス国内に存在した邪教団についての詳細な記録が収められているんです。
その内容があまりにも過激だったため、出版直後にカトリック教会によって発禁処分となり、現在ではごく少数の写本しか残っていないとされています。
著者について
この禁書を書いたとされるのが、ポール・アンリ・ダレット伯爵(一部の資料ではフランソワ=オノーレ・バルフォアとも)という人物です。
ダレット伯爵の経歴
ダレット伯爵はフランスの王党派貴族だったといわれています。その生涯は波乱に満ちたものでした。
- 16世紀の人物:資料によって時期に幅がありますが、16世紀に活動した貴族とされる
- フランス革命からの逃亡:フランス大革命を逃れてバイエルン(現在のドイツ南部)に亡命
- 改名と移住:ドイツに帰化する際、名前をゲルマン風の「ダーレス」に改めた
- 新大陸へ:1835年にアメリカのウィスコンシン州に移住したとされる
意外な子孫?
面白いことに、この架空の貴族の子孫として設定されているのが、実在の作家オーガスト・ダーレスなんです。
ダーレスは1939年にクトゥルフ神話の専門出版社「アーカムハウス」を設立した重要人物。自伝で「私の先祖はフランス系のバイエルン人」と書いていますが、貴族だったとは明言していません。
これについては「H・P・ラヴクラフトが親しい友人をからかうために作った壮大な嘘」という説もあるんです。ラヴクラフトには、真面目な顔で大法螺を吹いて相手を信じ込ませる癖があったそうですよ。
本の内容
『屍食教典儀』には、一体どんなことが書かれているのでしょうか?
記載されている主な内容
この魔道書は、フランス国内で活動していた邪教団の総合カタログのような役割を果たしています。
記述されている主なテーマ
- 人肉嗜食の実践方法:いわゆる食人行為についての詳細な記録
- 屍体性愛:死者に対する禁忌の行為
- 降霊術:死者の霊を呼び出す儀式
- 不老長生の秘法:人肉食による不死の実現方法
- 各教団の教義と行動:複数の邪教団についての目録
装丁と形式
当時一般的だった四つ折り判(クォート判)という形式で印刷されました。これは大きな紙を4回折って作る製本方法で、持ち運びやすいサイズだったんです。
つまり、この恐ろしい内容の本が、実用書のような体裁で出版されていたということですね。
発禁と現存状況
出版されるや否や、『屍食教典儀』は激しい非難を浴びることになります。
カトリック教会の激怒
反人道的で反キリスト教的な内容に、カトリック教会は即座に反応しました。出版直後に発禁処分が下され、公の場から姿を消すことになったんです。
しかし、禁止されればされるほど、秘密裏に読まれるのが禁書の宿命。地下で密かに出回り続けたといわれています。
現存する写本
クトゥルフ神話の設定では、現在14部が現存するとされています(資料によって数に違いがあります)。
主な所蔵先
- ミスカトニック大学附属図書館:少なくとも4部を所蔵
- その他の大学図書館:約10部程度が分散保管
- 個人コレクション:行方不明のものも多数
有名な所有者
この本を所有していたとされる人物の中でも特に有名なのが、フランシス・ダッシュウッド卿です。
18世紀イギリスの貴族で、「地獄の火クラブ」という秘密結社を設立した人物なんです。このクラブは性的な乱交と黒魔術を中心とした活動を行っていました。
ダッシュウッドは1762年に大蔵大臣という要職に就きますが、同年にクラブの活動が暴露されてしまいます。『屍食教典儀』は一時期彼の所有下にあったといわれていますが、その後の行方は不明です。
後世への影響
『屍食教典儀』は、後の文学作品にも影響を与えたとされています。
サド侯爵との関連
フランス文学の研究者の中には、あの有名な「サド侯爵」(ドナティアン・アルフォンス・フランソワ・ド・サド)の作品に、『屍食教典儀』の影響が見られると指摘する人もいます。
サドの作品が持つ過激さと倒錯性は、この魔道書からインスピレーションを得ているのかもしれません。
クトゥルフ神話での位置づけ
クトゥルフ神話の中では、グール(食屍鬼)に関する最も詳しい文献とされています。
特にロバート・ブロックの短編「哄笑する食屍鬼」では、主人公がグール調査のために『屍食教典儀』を参考にする場面が描かれているんです。
また、ダレット伯爵が邪神を四大元素に当てはめたという設定もあります。火・水・風・土という4つの元素にそれぞれ対応する邪神を割り当てる分類法が、この本に記されているというわけです。
創作の背景
『屍食教典儀』は、どのようにして生まれたのでしょうか?
創造者ロバート・ブロック
この架空の魔道書を生み出したのは、アメリカの怪奇作家ロバート・ブロックです。
初出は1935年の短編「自滅の魔術」(または「The Secret in the Tomb」)とされていますが、この作品では著者名と題名が言及されるだけでした。
本格的に登場するのは、同じ年の「哄笑する食屍鬼」なんです。
ラヴクラフト・サークルの遊び
クトゥルフ神話を生み出したH・P・ラヴクラフトと、その周辺の作家たち(ラヴクラフト・サークル)には、お互いの創作した設定を作品に取り入れるという習慣がありました。
これは相互へのオマージュ(敬意を表すこと)であり、一種の遊びでもあったんです。
- ラヴクラフトが創造した『ネクロノミコン』
- クラーク・アシュトン・スミスが創造した『エイボンの書』
- ロバート・E・ハワードが創造した『無名祭祀書』
これらと並んで、ブロックの『屍食教典儀』も神話体系の重要な文献として定着していきました。
歴史的な魔女裁判からの影響
『屍食教典儀』のような禁書の概念は、実際のヨーロッパの歴史からインスピレーションを得ています。
15〜18世紀のヨーロッパでは、魔女裁判が盛んに行われました。その過程で、悪魔崇拝や黒魔術についての膨大な記録が残されたんです。
ブロックはこうした歴史的背景を参考にしながら、より過激で恐ろしい内容の魔道書を創造したのでしょう。
まとめ
『屍食教典儀』は、クトゥルフ神話を代表する禁断の魔道書です。
重要なポイント
- ロバート・ブロックが創造した架空の魔道書
- 1702年頃にフランスで出版されたという設定
- 人肉嗜食や屍姦など、邪教団の記録を収めた恐怖の書
- 出版直後にカトリック教会により発禁処分
- 現在は14部程度が現存(ミスカトニック大学に4部)
- 著者のダレット伯爵はオーガスト・ダーレスの先祖という設定
- グールに関する最も詳しい文献とされる
- サド侯爵の作品にも影響を与えた可能性
架空の書物でありながら、詳細な設定と歴史的リアリティによって、まるで本当に存在するかのような説得力を持つ『屍食教典儀』。その背景には、ヨーロッパの暗黒史と、作家たちの豊かな想像力があったんですね。


コメント