森の中に立つ大きな木の前を通るとき、何か視線を感じたことはありませんか?
平安時代から江戸時代にかけて、日本各地には「木に宿る邪悪な存在」の伝説が数多く語り継がれてきました。
山梨県の身延山に現れた「槐の邪神」は、そんな樹木の妖怪の中でも特に強欲で恐ろしい存在として知られています。
この記事では、通行人に供物を強要した恐怖の邪神「槐の邪神」について詳しくご紹介します。
概要
槐の邪神(えんじゅのじゃしん)は、江戸時代の怪談集『太平百物語』に登場する、樹木に宿った妖怪です。
山梨県(当時の甲州)の身延山の麓、大木が立ち並ぶ森の中に生えていた巨大な槐の木に宿っていたとされています。
槐(えんじゅ)とは
槐はマメ科の落葉高木で、中国では古くから神聖な木とされてきました。日本でも魔除けの木として信仰されることがありますが、この話では逆に邪悪な存在が宿ってしまったんですね。
邪神が宿る理由
この大木のそばには粗末な祠(ほこら)があり、地元の人々からは「大森の邪神」と呼ばれ恐れられていました。精霊というよりも、大木にすみついた妖怪だったと考えられています。
伝承
槐の邪神には、その強欲さと恐ろしさを物語る有名なエピソードが残されています。
通行料を要求する邪神
この邪神には明確なルールがありました。
邪神の掟
- 日が暮れてから前を通る者は必ず供物が必要
- 金銀や衣類などの価値あるものを供える
- 供物がない者には必ず祟りがある
つまり、この森を通るためには「通行料」を払わなければならなかったんです。
貧しい農民の体験
あるとき、一人の貧しい農民に親の危篤の知らせが届きました。
急いで実家に帰る必要がありましたが、この大木の前を通るのが一番の近道。しかし、あいにく供える物が何もありません。
仕方なく、「後で必ず供え物を持ってきます」と邪神に断りを入れて、先を急いだんです。
邪神の追跡
すると、とんでもないことが起こりました。
恐怖の展開
- 邪神が甲冑(よろいかぶと)をつけた武士の姿になった
- 男を猛烈なスピードで追いかけてきた
- 男は頭を地面にすりつけて必死に謝った
- なんとか許してもらうことができた
想像してみてください。夜道で突然、武士の姿をした化け物に追いかけられる恐怖を…
五百文では足りなかった
後日、農民は約束通り貧乏ながらも五百文(当時のお金)の銭を供えに行きました。
ところが、邪神は金額が気に入らなかったようです。
なんと農民を鍋で煮て食べようとしたんです!
まさに命の危機。邪神の強欲さと残忍さがよく分かるエピソードですね。
不動明王による救済
絶体絶命のピンチに、救世主が現れました。
農民が日ごろ信仰していた不動明王の童子(仏教の守護神の使い)が姿を現し、邪神を退治してくれたんです。
結末
- 不動明王の童子が邪神を倒した
- 邪神がため込んでいた金銀財宝が発見された
- その財宝はすべて農民に与えられた
信仰心の厚い農民は、最終的には救われ、邪神の不当な要求から解放されました。
この話が伝えること
この伝承には、いくつかの教訓が込められています。
- 仏教信仰の大切さ:日ごろから信心深ければ、いざという時に守られる
- 悪は最後には滅びる:不当な要求を続ける邪悪な存在は、いずれ正義に倒される
- 自然への畏敬:大木には精霊が宿るという当時の自然信仰
まとめ
槐の邪神は、江戸時代の人々の恐怖と信仰心を象徴する妖怪です。
重要なポイント
- 山梨県身延山の槐の大木に宿った邪悪な妖怪
- 通行人に金銀や衣類などの供物を強要
- 供物がないと祟りをもたらす恐ろしい存在
- 甲冑姿の武士に変身して追いかける能力
- 最終的には不動明王の童子によって退治された
- 『太平百物語』の「大森の邪神往来を悩ませし事」に記録
樹木に宿る妖怪の話は日本各地に残っていますが、槐の邪神のように具体的な「通行料」を要求し、さらには人を食べようとするほど凶暴な存在は珍しいんです。
もし夜に大きな木の前を通ることがあったら、少しだけこの話を思い出してみてください。そして、自然への敬意を忘れずに。
参考文献
- 『太平百物語』「大森の邪神往来を悩ませし事」
- 『百物語怪談集成』太刀川清・高田衛・原道生編


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