どんなに食べても、どんなに飲んでも、決して満たされることがない――。
そんな苦しみが永遠に続く世界があるとしたら、あなたはどう感じるでしょうか?
仏教では、生前に強欲や嫉妬に支配された人が死後に落ちる世界を「餓鬼道(がきどう)」と呼び、そこに住む存在を「餓鬼」と呼んでいます。この記事では、仏教が説く六道輪廻の世界の一つ「餓鬼」について、その恐ろしくも悲しい姿と伝承を詳しくご紹介します。
概要

餓鬼(がき)は、仏教において死後の世界である六道(ろくどう)の一つ「餓鬼道」に生まれた存在のことです。
六道とは、人が死後に生まれ変わるとされる6つの世界(天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道)のこと。その中で餓鬼道は三悪道(さんあくどう)と呼ばれる苦しみの世界の一つなんです。
元々の言葉はサンスクリット語の「プレータ(preta)」で、これは「死者の霊」を意味していました。それが仏教の世界観に組み込まれ、特定の悪業を犯した人が生まれ変わる苦しみの境界として位置づけられるようになったんですね。
餓鬼の最大の特徴は、永遠に続く飢えと渇きです。食べ物や飲み物を求めても決して満たされることがなく、手に取った瞬間に火に変わってしまうという、想像を絶する苦しみの中で生きています。
餓鬼道に落ちる理由
では、どんな人が餓鬼道に落ちるのでしょうか?
仏教の教えによると、生前に次のような行いをした人が餓鬼道に転生するとされています。
餓鬼道に落ちる原因となる行為
- 貪欲(どんよく):自分の欲望ばかりを追い求める
- 物惜しみ:困っている人に施しをしない
- 嫉妬(しっと):他人の幸せを妬む
- 強欲:必要以上に財産や食べ物を求める
- 食べ物の独占:自分だけが美食を楽しみ、家族にも分け与えない
つまり、「与えること」を知らず、常に「奪うこと」「独り占めすること」ばかり考えていた人が、その報いとして餓鬼になるというわけです。
これは仏教の因果応報(いんがおうほう)の考え方そのもの。生前の行いは必ず結果として自分に返ってくるという教えなんですね。
姿・見た目
餓鬼の姿は、その苦しみを象徴するような恐ろしい特徴を持っています。
餓鬼の外見的特徴
- 首:針のように細い
- 体:骨と皮だけの痩せ細った身体
- 腹:大きな山のように膨れ上がっている
- 口:針の穴ほどの小ささ(種類によっては)
- 全身:飢えと渇きで衰弱している
この姿の意味は深いんです。
口が極端に小さいのに腹が大きいということは、どんなに食べたくても食べられず、満たされることが永遠にないという苦しみの象徴。平安時代に書かれた源信の『往生要集(おうじょうようしゅう)』には、「いつも激しく飢渇していて、首はきわめて細く、身体も痩せ細っているが、お腹だけは大きくふくらんでいる」と記されています。
特徴

餓鬼には、その苦しみを際立たせる特別な「呪い」のような特徴があります。
食べ物が火に変わる
最も恐ろしいのが、手に取った食べ物や飲み物が瞬時に火に変わってしまうという現象です。
清らかな川を見つけて水を飲もうと近づいても、大力の鬼が杖で打つと水が沸騰した炎に変わってしまう。やっと見つけた食べ物も、口に入れた瞬間に燃え上がり、喉を焼いてしまう――。
これは、生前に他人から奪った食べ物や、独り占めした富に対する報いとされているんです。
住む場所
餓鬼が住む場所についても、仏教の経典には詳しく記されています。
『正法念処経(しょうぼうねんじょきょう)』によると、餓鬼の本拠地は閻魔王界(えんまおうかい)。これは人間が住む世界の地下500由旬(約7000km)の場所にあるとされています。
また、餓鬼には大きく2つの住処があります。
餓鬼の住処
- 薜茘多世界(べれいたせかい):餓鬼の本拠地で、閻魔王が支配する領域
- 人中(にんちゅう):人間界に紛れ込んでいる餓鬼もいる
人間界に住む餓鬼は、夜に起きて昼に寝るという、人間とは正反対の生活をしているそうです。
餓鬼の種類
驚くべきことに、餓鬼には非常に多くの種類が存在します。
『正法念処経』では36種類もの餓鬼が分類されていて、それぞれ異なる苦しみを受けているんです。また、『阿毘達磨順正理論(あびだつまじゅんしょうりろん)』という仏教書では、3つの大分類があります。
無財餓鬼(むざいがき)
全く食べることができない餓鬼です。
どんな食べ物も飲み物も、手に取った瞬間に炎になってしまいます。常に貪欲に駆られ、飢えと渇きに苦しみ続けます。唯一食べられるのは、人間が行う施餓鬼供養(せがきくよう)で供えられたものだけだとされています。
少財餓鬼(しょうざいがき)
ごくわずかな飲食だけができる餓鬼です。
ただし、その食べ物は人間の糞尿、嘔吐物、膿、血、屍など、とても不浄なものばかり。『正法念処経』では、以下のような種類が記されています。
少財餓鬼の例
- 食吐(じきと):人が嘔吐したものしか食べられない
- 食糞(じきふん):糞尿の池で蛆虫や糞を食べる
- 食血(じきけつ):生物から出た血だけを食べる
- 食肉(じきにく):肉だけを食べられる
- 食気(じっけ):供物の香りだけを食べる
生前、自分だけが美食を楽しんで家族にも分け与えなかった人が、「食気」という餓鬼になり、供養の線香の香りだけで生きることになるという話は、因果応報の厳しさを物語っています。
多財餓鬼(たざいがき)
比較的多くの飲食ができる餓鬼です。
人間が残したものや、施されたものを食べることができます。中には天部の神々のような享楽を受ける者もいて、これを富裕餓鬼とも呼びます。
ただし、どれだけ食べても心が満たされることは決してありません。これも生前の貪欲の報いなんですね。
特殊な餓鬼たち

『正法念処経』には、さらに具体的で恐ろしい餓鬼の種類が記されています。いくつか代表的なものを見てみましょう。
針口餓鬼(しんこうがき)
口が針穴のように小さく、腹は大山のように膨れている餓鬼です。
生前、貪欲や物惜しみの心から布施をせず、困っている人を助けなかった者がこの餓鬼になります。食べたものが口の中で炎になって吹き出し、蚊や蜂などの毒虫にたかられ、常に火で焼かれているという、まさに地獄のような苦しみです。
鑊身餓鬼(かくしんがき)
眼と口がなく、身体は人間の2倍もある餓鬼です。
私利私欲で動物を殺し、少しも悔いることがなかった者がなります。手足が非常に細く、常に火の中で焼かれ続けているそうです。
食小児餓鬼(じきしょうにがき)
生まれたばかりの赤ん坊を食べる恐ろしい餓鬼です。
邪悪な呪術で病人をたぶらかした者が、地獄での苦しみを経た後に転生します。
神通餓鬼(じんつうがき)
珍しいことに、神通力を持つ餓鬼もいます。
他人から騙し取った財産を悪い友人に分け与えた者がこの餓鬼になります。苦痛を受けることはないのですが、涸渇した他の餓鬼たちに囲まれ、その苦しみの表情を永遠に見続けなければならないという、精神的な拷問を受けます。
伝承と説話
餓鬼にまつわる伝承は、日本の古典文学にも数多く残されています。
焔口餓鬼の伝説
『救抜焔口陀羅尼経(くばつえんくだらにきょう)』という経典には、有名な焔口餓鬼(えんくがき)の話があります。
焔口餓鬼の物語
釈迦の高弟・阿難(あなん)尊者が静かに瞑想していたとき、突然焔口という恐ろしい餓鬼が現れました。
焔口は痩せ細った体で、口から火を吐いています。そして阿難にこう告げたのです。
「お前は三日後に死んで、醜い餓鬼に生まれ変わる」
恐れた阿難が釈迦に相談すると、釈迦は特別な秘呪(陀羅尼)を教えました。
「この呪文を唱えて祈れば、一つの器の食べ物でも無限の食物となり、一切の餓鬼の空腹を満たすことができる」
この教えが、後に施餓鬼会(せがきえ)という供養の儀式の起源になったとされています。
『今昔物語集』の餓鬼
平安時代末期に編纂された『今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)』にも、餓鬼の恐ろしい姿が描かれています。
ある尊者が神通力で餓鬼界に行ったとき、一人の餓鬼を見つけました。
その餓鬼の身体は約30メートルもあり、眼、鼻、身体の節々から数十メートルもの火焔を放っています。
尊者が「お前は前世にどんな罪を犯したのか?」と問うと、餓鬼は泣きながらこう答えました。
「私は貧しい僧でしたが、欲が強くて寺の建物を立派にすることばかり考えていました。しかも、豪族の出身でしたが、他の僧に悪口を言って布施もしませんでした。このため、餓鬼道に落ちたのです」
『日本霊異記』の牛になった女
奈良時代から平安時代初期に書かれた『日本霊異記(にほんりょういき)』には、餓鬼道と畜生道の境界のような話も残されています。
田中忠文という女性は、多くの財産を持っていたのに、けちで人に恵むことをしませんでした。高利貸しで容赦なく金を取り立てていたのです。
彼女が病気で亡くなり、七日目の供養で生き返ったとき、その姿は恐ろしいものでした。
腰から上が牛の姿となり、頭には角が生え、腕は牛の前脚となり、手は蹄のような形をして、悪臭を放っていたのです。
これは生前の強欲に対する報いでした。
餓鬼への供養
仏教では、苦しむ餓鬼たちを救うための供養があります。
施餓鬼会(せがきえ)
施餓鬼会は、飢えと渇きに苦しむ餓鬼たちに食べ物と飲み物を供養する儀式です。
焔口餓鬼の伝説から生まれたこの儀式では、『救抜焔口陀羅尼経』に説かれる特別な陀羅尼(呪文)を唱えて食物に加持します。すると、その食べ物が無限に増え、すべての餓鬼の空腹を満たすことができるとされているんです。
施餓鬼会の特徴
- 食物を供えた精霊棚に「三界萬霊供養」の札を立てる
- 餓鬼道の霊、有縁無縁の万霊の安らぎを祈る
- お盆の時期に行われることが多い
- 本来は特定の日に限らず、僧院では毎夜行うこともある
一般的にはお盆の行事として知られていますが、実は盂蘭盆(うらぼん)とは別の独立した儀式なんですね。
なぜ供養が必要なのか
餓鬼への供養は、単なる慈悲の行為ではありません。
仏教の教えでは「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」、つまりすべての生き物には仏になる可能性があるとされています。
餓鬼も例外ではなく、適切な供養を受けることで、その苦しみから解放され、より良い世界に転生できる可能性があるのです。
また、生きている私たち自身も、いつか餓鬼道に落ちる可能性があります。だからこそ、餓鬼への供養は他人事ではなく、自分自身への戒めでもあるんですね。
まとめ
餓鬼は、人間の欲望と執着が生み出す恐ろしい存在です。
重要なポイント
- 仏教の六道の一つ「餓鬼道」に住む存在
- 生前の貪欲、物惜しみ、嫉妬が原因で転生する
- 永遠に続く飢えと渇きに苦しむ
- 細い首、痩せた体、膨れた腹という特徴的な姿
- 食べ物が火に変わるという呪いを受けている
- 無財・少財・多財の3種類に大別される
- 施餓鬼会という供養の儀式がある
- すべての生き物に仏性があり、救済の可能性がある
餓鬼の物語は、単なる恐怖譚ではありません。それは「与えること」の大切さ、「足るを知る」ことの重要性を教えてくれる、深い教訓なのです。
現代社会でも、際限のない欲望に駆られ、他人への思いやりを忘れてしまうことがあります。餓鬼の姿は、そんな私たち自身の心を映す鏡なのかもしれませんね。


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