もし死んだ後に、生まれ変わる世界が6つあると言われたら、あなたはどう思いますか?
仏教では、私たちは死後、生前の行いによって6つの世界のどこかに生まれ変わると考えられてきました。天国のような世界から地獄まで、その世界は実に多様なんです。
平安時代の日本では、この6つの世界を描いた「六道絵」という絵画が作られ、人々に生き方の教訓を伝えてきました。この記事では、仏教の世界観である「六道」について、その成り立ちから各世界の特徴まで分かりやすくご紹介します。
概要

六道(ろくどう)とは、仏教において私たちが死後に生まれ変わるとされる6種類の世界のことです。
古代インドで生まれた仏教の考え方で、「六趣(ろくしゅ)」「六界(ろっかい)」とも呼ばれます。「趣」というのは「趣く(おもむく)」つまり「向かっていく場所」という意味なんですね。
六道を構成する6つの世界は次の通りです。
六道の構成
- 天道(てんどう) – 神々が住む天界
- 人道(にんどう) – 私たち人間が住む世界
- 修羅道(しゅらどう) – 争いが絶えない世界
- 畜生道(ちくしょうどう) – 動物として生きる世界
- 餓鬼道(がきどう) – 飢えと渇きに苦しむ世界
- 地獄道(じごくどう) – 罪を償う苦しみの世界
これらの世界は、大きく三善道(さんぜんどう)と三悪道(さんあくどう)に分けられます。
三善道は天道・人道・修羅道のことで、比較的良い境遇とされる世界です。一方、三悪道は畜生道・餓鬼道・地獄道のことで、苦しみが多い世界とされています。
ただし、仏教では六道すべてが「迷いの世界」だと説かれているんです。なぜなら、どの世界も永遠には続かず、いずれまた別の世界へと生まれ変わる運命にあるからなんですね。
輪廻転生と業(カルマ)の仕組み
六道を理解するには、輪廻転生(りんねてんせい)という考え方を知る必要があります。
車輪のように巡る生まれ変わり
輪廻転生とは、生き物が死んでも魂は消えず、何度も生まれ変わり続けるという考え方です。まるで車輪が回り続けるように、生と死を繰り返すことから「輪廻」と呼ばれているんですね。
この考え方は、紀元前1500年頃の古代インドに起源があります。当時の聖典『ウパニシャッド』には、すでに輪廻転生の思想が明確に記されていました。
業(カルマ)が運命を決める
では、死後にどの世界へ生まれ変わるかは、どうやって決まるのでしょうか?
それを決めるのが業(ごう)、サンスクリット語で「カルマ」と呼ばれる概念です。業とは、生前の行いすべてのこと。実際に行った行動だけでなく、話した言葉や心の中で思ったことまで含まれるんです。
業の仕組み
- 善い行い(善業)→ 善い世界に生まれ変わる
- 悪い行い(悪業)→ 苦しい世界に生まれ変わる
- 行いの積み重ねが、次の人生を決定する
この「因果応報」の流れは、生と死の境を超えて続きます。前世の行いが今世に影響し、今世の行いが来世を決めるわけです。
ただし、仏教では「善行を積むことは難しく、悪行の誘惑は多い」と考えられています。そのため、多くの人は三悪道に落ちてしまうとされているんですね。
三悪道 – 苦しみに満ちた3つの世界

まずは、最も苦しみが大きいとされる三悪道から見ていきましょう。
地獄道 – 罪を償う責め苦の世界
地獄道(じごくどう)は、六道の最下層に位置する世界です。
地下深く、なんと地表から4万由旬(約52万キロメートル)も下にあるとされています。
地獄道の特徴
- 殺生(生き物を殺すこと)や嘘(妄語)などの重い罪を犯した者が落ちる
- 8つの大地獄(八大地獄)があり、さらにその周辺に小地獄がある
- 最下層は「無間地獄(阿鼻地獄)」で、最も苦しい場所
- 責め苦が絶え間なく続く
地獄には様々な種類があります。焼けた鉄の地面を歩かされる「等活地獄」、黒い縄で体を切り刻まれる「黒縄地獄」、鉄の山に押しつぶされる「衆合地獄」など、それぞれ異なる苦しみが待っているんです。
興味深いのは、地獄での服役期間が決まっているということ。罪を償い終えると、また別の世界へ生まれ変わることができるとされています。
餓鬼道 – 飢えと渇きが満たされない世界
餓鬼道(がきどう)は、欲望と飢餓に苦しむ世界です。
閻魔王が支配する閻魔王界が餓鬼たちの本拠地で、地表から500由旬(約6,500キロメートル)下にあるとされています。
餓鬼道の特徴
- 貪りの心が強く、施しをしなかった者が落ちる
- 常に飢えと渇きに苦しむが、決して満たされない
- 食べ物を口にしようとすると火に変わってしまう
- 首が針のように細く、お腹だけが大きく膨らんだ姿
『正法念処経』という経典では、餓鬼を36種類に分類しています。
例えば、人が吐いたものしか食べられない「食吐餓鬼」、線香の煙だけを食べる「食気餓鬼」、人の血しか飲めない「食血餓鬼」など、それぞれ異なる苦しみを背負っているんです。
日本では、餓鬼を救うために施餓鬼会(せがきえ)という供養が行われます。お盆の時期に、食べ物を供えて餓鬼たちの苦しみを和らげようとする仏教行事なんですね。
畜生道 – 本能のままに生きる動物の世界
畜生道(ちくしょうどう)は、人間以外の動物として生まれ変わる世界です。
「傍生(ぼうしょう)」とも呼ばれ、「横たわって生きるもの」という意味があります。
畜生道の特徴
- 無知や愚かさから他者を害した者が落ちる
- 24億種もの生き物が存在するとされる
- 弱肉強食の厳しい世界
- 本能のままに生き、知恵や理性に乏しい
平安時代初期の説話集『日本霊異記』には、畜生道に関する興味深い話が残されています。
ある僧侶が寺の薪を一本盗んで返さなかったところ、死後に牛に生まれ変わり、その寺で薪を運ぶ「役牛」として働くことになったというんです。まさに、自分が盗んだものの罪を、畜生の身で償う形になったわけですね。
動物は人間に使役され、食べられ、狩られる存在です。常に命の危険にさらされ、安らぎのない世界とされています。
三善道 – 比較的良いとされる3つの世界

次に、三悪道よりは良いとされる三善道を見ていきましょう。
修羅道 – 終わりなき戦いの世界
修羅道(しゅらどう)は、争いと戦いが絶えない世界です。
「修羅」とは、サンスクリット語の「アスラ」を略した言葉で、古代インド神話に登場する戦いの鬼神を指します。
修羅道の特徴
- 憎しみや嫉妬心が強く、争いを好んだ者が生まれ変わる
- 誇り高く、力や勝ち負けに執着する
- 天界の神々と戦い続ける運命にある
- 善行を積んでいても、怒りに支配されていると落ちる
修羅道の起源は興味深いものがあります。
紀元前1500年頃、中央アジアの遊牧民アーリア人がインドに侵攻しました。彼らの神インドラ(帝釈天)が、征服された土地の人々の上に君臨したんです。
しかし、征服されたインドの民の中には、この外来の神を受け入れない人々もいました。そこから、反逆の鬼神アスラの神話が生まれたとされています。つまり修羅道は、歴史的な征服と抵抗の記憶を反映しているのかもしれませんね。
奈良の興福寺にある有名な阿修羅像は、戦いの神でありながら悲しみを含んだ穏やかな表情をしています。これは、アスラが戦いをやめて仏教に帰依し、守護神になることを決意した瞬間の姿だと言われているんです。
人道 – 苦楽が交差する人間の世界
人道(にんどう)は、私たち人間が住むこの世界のことです。
人道の特徴
- 五戒(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒)を守った者が転生する
- 生老病死の苦しみがある
- 喜びも悲しみも、成功も失敗もある
- 修行と悟りの可能性がある唯一の世界
平安時代の僧侶・源信が著した『往生要集』では、人間界を3つの側面から見つめています。
第一は「不浄の相」。人間の肉体は汚いものだという教えです。源信は人体を詳細に描写し、外見は美しく飾っても、内側は不浄なもので満ちていると説きました。
第二は「苦の相」。人間は暑さ寒さに苦しみ、老いや病に悩まされます。
第三は「無常の相」。どんなに長生きしても、必ず終わりが来るということです。
このように苦しみの多い人間界ですが、実は仏教では特別な世界とされているんです。なぜなら、人間だけが仏法に出会い、修行を通じて悟りを開き、六道輪廻から解脱できる可能性を持っているからなんですね。
天道 – 神々が住む歓楽の世界
天道(てんどう)は、六道の最上位に位置する世界です。
インドの神々が住む天界で、快楽と喜びに満ちた場所とされています。
天道の特徴
- 善行を重ね、悪行を慎んだ者が転生する
- 空を飛び、神通力を持つ天人として生まれ変わる
- 欲望が満たされ、長寿と幸福に包まれる
- しかし、やがて寿命が尽きる
天道には階層があります。欲界・色界・無色界という3つの領域に分かれ、上に行くほど精神性が高くなるんです。
最上位の天界は「有頂天(うちょうてん)」と呼ばれます。現代でも「有頂天になる」という表現を使いますが、これは元々この天界の名前から来ているんですね。
ただし、どんなに高い天界でも、永遠ではありません。天人にも寿命が訪れる時が来るんです。
その時には天人五衰(てんにんごすい)という5つの衰えの兆候が現れます。
天人五衰の兆候
- 頭の花飾りがしおれる
- 衣服が汚れてくる
- 脇の下から汗が出る
- 体から悪臭が漂う
- 自分の居場所を楽しめなくなる
この衰えが現れると、天人は再び六道のどこかへ転生することになります。場合によっては地獄に落ちることさえあるんです。
つまり、天道の幸福も一時的なもので、永遠の安らぎではないということなんですね。
死後の裁きと転生の過程
では、私たちが死んだ後、どのようにして六道のいずれかに振り分けられるのでしょうか?
三途の川と十王の裁き
仏教の伝承によれば、人は死ぬとまず三途の川(さんずのかわ)を渡ります。そして冥界の王宮に到着し、そこで十王(じゅうおう)の裁きを受けるんです。
十王とは、閻魔大王をはじめとする10人の裁判官のこと。彼らが生前の罪を調べ、六道のどこに転生するかを決定します。
日本の寺院に伝わる地獄絵には、この裁きの様子が詳しく描かれています。
中陰(ちゅういん)- 魂を浄化する49日間
死後から次の生を受けるまでの期間を中陰と呼びます。これは49日間とされているんです。
仏教では、すべての生き物は本来、仏になる可能性を持っていると説かれています(「一切衆生悉有仏性」という言葉があります)。
生まれたての赤ん坊は純真無垢な心を持っていますが、人生を送る中で罪を犯したり、煩悩に縛られたりしてしまいます。
そこで、死後の49日間は、汚れてしまった魂を生まれた時のように浄化するための期間なんですね。
中陰の過程
- 7日ごとに異なる仏から教えを受ける
- 初七日:不動明王の教え
- 二七日:釈迦如来の教え
- 三七日:文殊菩薩の教え
- 四七日:普賢菩薩の教え
- 五七日:地蔵菩薩の教え
- 六七日:弥勒菩薩の教え
- 七七日(四十九日):薬師如来の教え
この供養を受けた人は、静かな安らぎを得られるとされています。それが「成仏(じょうぶつ)」なんです。
六道を超えて – 解脱への道

六道すべてが苦しみの世界だとすれば、そこから抜け出す方法はないのでしょうか?
迷いの世界からの解脱
仏教では、修行を積むことで解脱(げだつ)、つまり六道輪廻から解き放たれることができると説きます。
その先には安らかな仏界、極楽浄土のような世界があるとされているんです。
仏界に至るための修行には、3つの段階があります。
修行の三界
- 声聞(しょうもん) – 釈迦の言葉によって出家し修行する者
- 縁覚(えんがく) – 釈迦の因縁果報の教えを学び修行する者
- 菩薩(ぼさつ) – 出家・在家を問わず、広く人々を救う道を行く修行者
この修行の三界を成就した者だけが、静かな悟りの世界に至ることができるんです。
修行の三界と仏界、そして六道を合わせて十界(じっかい)と呼びます。
六道絵 – 教えを伝える仏画
平安時代中期から、六道の世界を視覚化した六道絵(ろくどうえ)という仏画が作られるようになりました。
これは浄土教の発展とともに盛んになったもので、屏風、壁画、掛け軸、絵巻物などに描かれました。
特に地獄の描写が中心で、罪業の深さを人々に教訓するのが目的でした。リアルな苦しみの様子を描くことで、善行の大切さを伝えたんですね。
鎌倉時代の代表作としては、滋賀県の聖衆来迎寺に伝わる『六道絵』15幅などがあります。
平安時代末期に編まれた『今昔物語集』にも、六道に関する話が数多く収録されています。地獄に落ちた母親が法華経の功徳で天に生まれ変わる話や、餓鬼となった元僧侶の話など、当時の人々が六道をどう捉えていたかがよく分かるんです。
まとめ
六道は、仏教が説く死後の世界観であり、私たちの生き方を問いかける教えでもあります。
重要なポイント
- 六道とは死後に生まれ変わる6つの世界(天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄)
- 生前の行い(業・カルマ)によって転生先が決まる
- 三善道と三悪道に分けられるが、すべて迷いの世界
- 死後49日間の中陰を経て、十王の裁きで転生先が決定
- 修行によって六道輪廻から解脱し、仏界に至ることができる
- 平安時代には六道絵という仏画で教えが広まった
古代インドで生まれた六道の思想は、日本に伝わり、独自の発展を遂げました。現代の私たちには非科学的に思えるかもしれませんが、「善い行いをすれば良い結果が、悪い行いをすれば悪い結果が返ってくる」という因果応報の教えは、今でも心に響くものがありますね。
六道の物語は、私たちにどう生きるべきかを考えさせてくれる、深い教訓を含んでいるのです。


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