「地獄に落ちるぞ!」という言葉、一度は聞いたことがあるのではないでしょうか?
でも、地獄って本当はどんな場所なんでしょう。地面の下にあるんでしょうか。それとも、どこか遠い場所にあるんでしょうか。
仏教では、悪いことをした人が死後に行く世界として「地獄」が説かれています。しかし、キリスト教の地獄とも少し違いますし、単なる怖い話でもありません。
この記事では、仏教における地獄の全体像について、その意味や種類、関連する伝承を分かりやすくご紹介します。
概要

地獄(じごく)は、仏教における死後の世界の一つです。
仏教では、生き物は死後に六つの世界のどこかに生まれ変わると考えられており、これを六道(ろくどう)といいます。その六道の中で、最も苦しみの多い世界が地獄なんですね。
六道の種類
- 天道(てんどう):神々が住む楽しい世界
- 人間道(にんげんどう):私たちが住む世界
- 修羅道(しゅらどう):争いが絶えない世界
- 畜生道(ちくしょうどう):動物たちの世界
- 餓鬼道(がきどう):飢えと渇きに苦しむ世界
- 地獄道(じごくどう):最も苦しみの激しい世界
地獄は、生前に悪い行いをした人の魂が送られる場所とされています。サンスクリット語では「ナラカ」、漢字では「奈落(ならく)」「泥犂(ないり)」とも書かれます。
地獄はどこにあるの?
地獄の場所については、仏教とキリスト教で少し考え方が違うんです。
キリスト教の地獄
キリスト教では、地獄は地下の奥深くにある場所だとされています。つまり、地球の中心に向かって掘っていけば、いつか地獄にたどり着くというイメージですね。
仏教の地獄
一方、仏教における地獄は、特定の場所というよりも、自分自身が生み出す苦しみの世界なんです。
どういうことかというと、地獄は自分の行い(業=ごう)によって現れる世界だということ。だから、どんなに運動神経が良くても、どんなに強くても、地獄の苦しみからは逃れられません。
お釈迦様は『大無量寿経』という経典で、こう説いています。
「苦より苦に入り、闇より闇に入る」
つまり、この世で苦しんでいる人は、死んだ後も地獄の苦しみを受けるということなんですね。現世での心の闇が、そのまま死後の地獄につながっていくという教えです。
『倶舎論』における地獄の位置
ただし、経典によっては地獄の位置が具体的に説明されていることもあります。
『倶舎論』という仏教の論書によると、私たちが住む世界(閻浮提=えんぶだい)の地下4万由旬(ゆじゅん、1由旬は約7~14km)のところに、最も深い無間地獄があり、その上に他の地獄が重なっているとされています。
この世の地獄と死後の地獄
仏教では、地獄には二つの意味があるんです。
この世の地獄
「何のために生きているか分からない」
「毎日が不安で暗い」
「人生が辛くて仕方がない」
このような、現在進行形で苦しい生活のことを「この世の地獄」といいます。「自業苦(じごく)」と書くこともあるほど、自分の行いが生み出した苦しみなんですね。
死後の地獄
そして、この世で苦しんでいる人は、死んだ後も地獄に落ちて苦しむとされています。これが「死後の地獄」です。
お釈迦様の教えでは、この二つはつながっているんですね。現世での心の状態が、そのまま死後の世界を決めるという考え方です。
地獄に落ちる条件

「どんな人が地獄に落ちるの?」という疑問は当然ですよね。
仏教では、五戒(ごかい)という五つの戒めが説かれており、これを破ると地獄に落ちる可能性が高いとされています。
五戒の内容
- 殺生(せっしょう):生き物を殺すこと
- 偸盗(ちゅうとう):盗みをすること
- 邪淫(じゃいん):不適切な性行為をすること
- 妄語(もうご):嘘をつくこと
- 飲酒(いんしゅ):酒に関する悪行
さらに、これに邪見(じゃけん)=仏教の教えに反する誤った考えを持つこと、が加わることもあります。
意外と厳しい?
実は、仏教の考え方ではほとんどの人が地獄に落ちるとされているんです。
なぜなら、私たちは日常的に蚊やアリなどの小さな虫を殺してしまうことがありますよね。これも殺生に含まれるんです。
ただし、罪の軽重によって落ちる地獄の種類が違うとされています。
地獄の種類
地獄にはさまざまな種類があります。ここでは簡潔にご紹介しますね。
八大地獄(はちだいじごく)
最も有名なのが、八熱地獄(はちねつじごく)とも呼ばれる八つの大きな地獄です。
罪の軽い順に並べると:
- 等活地獄(とうかつじごく):殺生の罪
- 黒縄地獄(こくじょうじごく):殺生と盗みの罪
- 衆合地獄(しゅうごうじごく):殺生、盗み、邪淫の罪
- 叫喚地獄(きょうかんじごく):上記に加えて飲酒の罪
- 大叫喚地獄(だいきょうかんじごく):上記に加えて妄語の罪
- 焦熱地獄(しょうねつじごく):上記に加えて邪見の罪
- 大焦熱地獄(だいしょうねつじごく):上記に加えて清らかな人を犯した罪
- 阿鼻地獄(あびじごく):父母殺害など最も重い罪
下に行くほど、苦しみが激しくなるんですね。
八寒地獄(はっかんじごく)
熱で苦しめる八大地獄に対して、極寒で苦しめる地獄もあります。
- 頞部陀(あぶだ)地獄:寒さで鳥肌が立つ
- 尼剌部陀(にらぶだ)地獄:鳥肌が潰れてあかぎれができる
- 頞哳吒(あたた)地獄:「あたた」としか言えない
- 臛臛婆(かかば)地獄:「ははば」としか言えない
- 虎虎婆(ここば)地獄:「ふふば」としか言えない
- 嗢鉢羅(うばら)地獄:身体が青蓮華のように裂ける
- 鉢特摩(はどま)地獄:身体が紅蓮華のように裂ける
- 摩訶鉢特摩(まかはどま)地獄:最も広大な寒冷地獄
名前の由来が寒さで発する声だったり、身体の状態を蓮の花に例えたりしているのが興味深いですね。
小地獄
八大地獄には、それぞれ十六の小地獄が付属していると言われています。
例えば、等活地獄には次のような小地獄があります:
- 屎泥処(しでいしょ):煮えたぎる糞尿の沼がある地獄
- 刀輪処(とうりんしょ):刀の雨が降り注ぐ地獄
- 多苦処(たくしょ):無数の苦しみがある地獄
八大地獄と小地獄を合わせると、全部で136の地獄があるとされています。
孤地獄(こじごく)
これらの他に、各地に散在する小さな地獄もあると言われています。特定の場所に属さず、あちこちにある地獄なんですね。
地獄の苦しみはどれくらい激しいの?
「地獄ってどれくらい苦しいの?」という疑問は当然ですよね。
お釈迦様は、お弟子さんからこの質問を受けたとき、こう答えました。
「地獄の苦しみは説き尽くすことができない」
つまり、人間の言葉では表現できないほど激しいということなんです。
槍の例え
それでも弟子たちが「なんとか例えて教えてください」と頼んだところ、お釈迦様はこんな例えを出しました。
「朝100本の槍で貫かれ、昼100本の槍で貫かれ、晩に100本の槍で貫かれる。毎日300本の槍で貫かれて、体につながった部分がなくなるほどになる。その苦しみを、この小石(豆粒ほど)だとすれば、地獄の苦しみはヒマラヤ山のようなものだ」
つまり、想像を絶する苦しみだということですね。
地獄での時間
さらに恐ろしいのが、地獄にいる期間です。
例えば、最も軽いとされる等活地獄でさえ、その寿命は人間界の約1兆6千億年に相当するんです。
最も重い阿鼻地獄(無間地獄)になると、一中劫(いっちゅうこう)という、ほぼ無限に近い時間、苦しみ続けることになります。
一中劫の長さを表す例えとして、こんな話があります:
「縦横高さがそれぞれ1由旬の巨大な石を、100年に一度、柔らかな綿の布で軽く払う。その繰り返しで石が完全になくなるまでの時間が一中劫である」
気が遠くなるような長さですね。
三途の川(さんずのかわ)
地獄の話をする上で欠かせないのが、三途の川です。
三途の川とは
三途の川は、この世(現世)とあの世(来世)の境界にある川だとされています。
死んだ人の魂は、必ずこの川を渡って向こう岸に行かなければなりません。『地蔵菩薩発心因縁十王経』という経典に詳しく書かれています。
渡り方は三種類
面白いことに、三途の川には三つの渡り方があるんです。これが「三途」という名前の由来だとも言われています。
渡河方法
- 金銀七宝の橋:善人が渡る立派な橋
- 山水瀬(さんすいせ):軽い罪人が渡る浅瀬
- 強深瀬(ごうしんせ):重い罪人が渡る激流
つまり、生前の行いによって、渡り方が決まるということですね。
懸衣翁と奪衣婆
三途の川には、懸衣翁(けんえおう)と奪衣婆(だつえば)という老夫婦の係員がいます。
彼らの役割は、六文銭(ろくもんせん)という渡し賃を持っていない死者の衣類を剥ぎ取ること。日本では、死者に六文銭を持たせて葬る習慣がありましたが、これはこの渡し賃のためだったんですね。
特に奪衣婆は、江戸時代に民衆信仰の対象となり、各地に像が建てられました。
賽の河原(さいのかわら)
三途の川の河原は、賽の河原と呼ばれています。
親に先立った子供たちの場所
賽の河原は、親より先に死んでしまった子供たちがいる場所だとされています。
親に先立つことは親不孝とされ、子供たちはここで石を積んで塔を作ります。これは親の供養のためなんですね。
永遠に続く苦しみ
しかし、塔が完成しそうになると、鬼がやってきて壊してしまうんです。子供たちは何度も何度も塔を作り直しますが、その度に壊される…この繰り返しが続きます。
「賽の河原」という言葉は、ここから「報われない努力」「徒労」という意味でも使われるようになりました。
地蔵菩薩の救い
ただし、救いもあります。
最終的には、地蔵菩薩(じぞうぼさつ)が現れて、子供たちを救ってくれるとされているんです。
日本各地の地蔵像は、この伝承に基づいて建てられたものも多いんですよ。
地獄に関わる存在
地獄には、さまざまな存在がいるとされています。
閻魔大王(えんまだいおう)
閻魔大王は、死者を裁く裁判官のような存在です。
死んだ人の魂は、閻魔大王の前に連れて行かれ、生前の行いについて裁きを受けます。そして、六道のどこに生まれ変わるかが決定されるんですね。
閻魔大王は、十王(じゅうおう)と呼ばれる十人の王の一人で、死後七日ごとに行われる裁判を担当しています。
獄卒(ごくそつ)
獄卒は、地獄で罪人を苦しめる鬼たちのことです。
- 牛頭(ごず):牛の頭を持つ鬼
- 馬頭(めず):馬の頭を持つ鬼
これらの獄卒は、罪人を追い回したり、さまざまな責め苦を与えたりします。しかし、彼らは単に残酷なのではなく、罪人に自分の罪を悟らせるという役割を持っているとも考えられています。
地蔵菩薩
地蔵菩薩は、地獄に落ちた人々を救う存在です。
仏教では、お釈迦様が入滅してから、次の仏である弥勒菩薩が現れるまでの間、地蔵菩薩がこの世界の人々を救うとされています。
特に、賽の河原で苦しむ子供たちを救う存在として知られており、日本各地に地蔵像が建てられているんですね。
地獄は単なる恐怖の場所じゃない
ここまで読んで、「地獄って怖い場所だな」と思ったかもしれません。
でも、仏教における地獄は、単に人を脅すための話ではないんです。
地獄の本当の意味
地獄の教えは、今の生き方を見直すためのものなんですね。
「悪いことをすると地獄に落ちる」というのは、「だから今、正しく生きよう」というメッセージでもあります。
また、「この世が地獄のように苦しい」と感じている人に、「その苦しみの原因は自分の心の中にある」ということを気づかせる教えでもあるんです。
救いの道
仏教では、地獄に落ちた人でも、必ず救われる道があるとされています。
どんなに重い罪を犯した人でも、心から反省し、仏の教えに従えば、地獄から抜け出すことができる。これが仏教の根本的な考え方なんですね。
だからこそ、地蔵菩薩のように地獄にまで降りて人々を救う存在が説かれているんです。
まとめ
仏教の地獄は、単なる恐怖の場所ではなく、深い意味を持つ概念です。
重要なポイント
- 地獄は六道の中で最も苦しみの多い世界
- 特定の場所ではなく、自分の行いが生み出す苦しみの世界
- 現世での苦しみと死後の地獄はつながっている
- 八大地獄を中心に、136もの地獄があるとされる
- 三途の川と賽の河原という関連する伝承がある
- 閻魔大王が死者を裁き、獄卒が罪人を苦しめる
- 地蔵菩薩が地獄の人々を救う存在
- 地獄の教えは「正しく生きよう」というメッセージ
地獄の話は確かに恐ろしいですが、それは私たちに「今をどう生きるか」を考えさせてくれる、大切な教えなのかもしれませんね。
参考文献
- 『大無量寿経』
- 『長阿含経』
- 『往生要集』源信僧都
- 『倶舎論』天親菩薩
- 『正法念経』
- 『地蔵菩薩発心因縁十王経』
- 岩波『仏教辞典』第三版


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