もし今、あなたが亡くなったとしたら、どこに生まれ変わると思いますか?
仏教では、人は死後に六つの世界のどこかに転生すると考えられています。その中で最も恐ろしく、最も苦しみの深い世界が「地獄道」なんです。炎に包まれ、氷に閉ざされ、さまざまな責め苦を受け続ける世界——それは決して神様が与える罰ではなく、自分自身の行いが生み出した結果なのです。
この記事では、仏教における地獄道の全体像、そこに落ちる原因、地獄の種類、そして日本で発展した独特の地獄思想について詳しくご紹介します。
概要

地獄道とは、仏教における六道輪廻の世界の一つで、最も苦しみが深い世界を指します。
六道とは、すべての生き物が生まれ変わる六つの世界のこと。天道・人道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道の六つですが、地獄道はその最下層に位置しています。
地獄道の基本情報
- サンスクリット語で「ナラカ(Naraka)」
- 奈落迦、那落迦、捺落迦とも音写される
- 「奈落」という言葉の由来にもなっている
- 閻魔大王をはじめとする十王が支配する世界
- 地下深くに広がる巨大な牢獄のような場所
地獄道は「三悪道(さんあくどう)」の一つに数えられます。三悪道とは、餓鬼道・畜生道・地獄道という特に苦しみの激しい三つの世界のこと。その中でも地獄道は最悪の境遇とされているんですね。
ただし、ここで大切なのは、地獄は神様が与える罰ではないということです。自分が生前に犯した罪や悪行の結果として、自然に落ちる場所なんです。
地獄道に落ちる原因
では、どんな人が地獄道に落ちるのでしょうか?
業(カルマ)と因果応報
仏教では「業(ごう)」または「カルマ」という概念が重要になります。業とは生前の行いすべてを指す言葉です。
業の三つの種類
- 身業(しんごう):体で行う行為(殺生、盗み、邪淫など)
- 口業(くごう):言葉による行為(嘘、悪口、無駄話など)
- 意業(いごう):心で思う行為(貪欲、怒り、無知など)
実際に行ったことだけでなく、口に出したことや心の中で思ったことまで、すべてが業として記録されているんですね。
この業は因果応報という法則に従って、必ず結果を生み出します。善い行いは善い結果を、悪い行いは悪い結果を招く——この流れは生と死の境を超えて続いていくのです。
地獄に落ちる具体的な罪
『往生要集』などの仏典によれば、次のような行いをした者が地獄道に落ちるとされています。
重い罪の例
- 殺生(せっしょう):生き物を殺すこと
- 偸盗(ちゅうとう):他人の物を盗むこと
- 邪淫(じゃいん):不適切な性的関係を持つこと
- 妄語(もうご):嘘をつくこと
- 飲酒(おんじゅ):酒に溺れること
これらは「五戒(ごかい)」と呼ばれる基本的な戒めに反する行為です。特に殺生や妄語といった重い罪を犯した者は、死後に地獄道へと落ちていくとされています。
地獄の種類と構造
地獄にはさまざまな種類があり、罪の重さによって落ちる場所が異なります。
地獄の位置
仏教の世界観によれば、地獄は人間が住む大地の地下深くに存在します。
私たちが暮らす閻浮提(えんぶだい)という大地の下、4万由旬(ゆじゅん、約52万キロメートル)を過ぎた最深部に、最も恐ろしい無間地獄(むけんじごく)があるとされています。
八大地獄(八熱地獄)
地獄の中でも特に有名なのが八大地獄です。これは上から下へ順に並んでいて、下に行くほど苦しみが激しくなります。
八大地獄の一覧
- 等活地獄(とうかつじごく):殺生を犯した者が落ちる。互いに傷つけ合い、死んでは蘇り、また傷つけられる
- 黒縄地獄(こくじょうじごく):殺生と盗みを犯した者が落ちる。体に黒い縄で印をつけられ、のこぎりで切られる
- 衆合地獄(しゅうごうじごく):殺生・盗み・邪淫を犯した者が落ちる。山に押しつぶされる
- 叫喚地獄(きょうかんじごく):上記の三つに加え飲酒を犯した者が落ちる。熱湯で煮られて叫び続ける
- 大叫喚地獄(だいきょうかんじごく):さらに妄語を加えた者が落ちる。叫喚地獄よりも激しい苦しみ
- 焦熱地獄(しょうねつじごく):邪見(間違った教え)を説いた者が落ちる。炎で焼かれ続ける
- 大焦熱地獄(だいしょうねつじごく):さらに重い罪を犯した者が落ちる。焦熱地獄の10倍の苦しみ
- 無間地獄(むけんじごく):最も重い罪を犯した者が落ちる。阿鼻地獄とも呼ばれ、絶え間ない苦しみが続く
無間地獄(阿鼻地獄)に落ちる罪として特に重いのが、親を殺すこと、仏を傷つけること、僧侶を殺すことなどです。ここでは休むことなく苦しみが続き、その期間も他の地獄とは比較にならないほど長いとされています。
八寒地獄
熱い地獄だけでなく、極寒の地獄も存在します。
八寒地獄では、氷に閉ざされた極寒の世界で凍えながら苦しみ続けます。あまりの寒さに体が青く腫れ上がり、皮膚が裂け、体が砕け散るという恐ろしい責め苦が待っているのです。
十六遊増地獄(じゅうろくゆうぞうじごく)
八大地獄にはそれぞれ四つの門があり、門の外にはさらに四つの小地獄が設けられています。これを合わせると一つの大地獄につき16の小地獄、全体で128の地獄が存在することになります。
十王の裁きと中陰
死後、すべての人間は地獄に直行するわけではありません。まず十王による裁判を受けることになります。
三途の川と冥界の旅
人が亡くなると、まず三途の川(さんずのかわ)を渡ります。この川の渡り方は、生前の行いによって三つに分かれているんですね。
三途の川を渡り終えると、死者は冥界の王庁を訪れ、そこで閻魔大王をはじめとする十王の裁きを受けることになります。
十王による審判
十王は一週間ごとに死者を裁き、六道のどこに転生するかを決定します。
十王の審判スケジュール
- 初七日(しょなのか):秦広王(しんこうおう)が裁く
- 二七日(ふたなのか):初江王(しょこうおう)が裁く
- 三七日(さんしちにち):宋帝王(そうていおう)が裁く
- 四七日(ししちにち):五官王(ごかんおう)が裁く
- 五七日(ごしちにち):閻魔王(えんまおう)が裁く
- 六七日(ろくしちにち):変成王(へんじょうおう)が裁く
- 七七日(しちしちにち):泰山王(たいざんおう)が裁く
五七日の審判を行う閻魔大王が最も有名で、生前の行いをすべて見通し、最終的な判断を下すとされています。
この七週間、つまり四十九日(しじゅうくにち)の期間を「中陰(ちゅういん)」と呼びます。死者はこの期間に様々な仏から教えを受け、魂を浄化する機会が与えられるのです。
地獄絵と十王
日本のお寺に伝わる地獄絵には、十王の裁きの様子が詳しく描かれています。それぞれの王の前には、生前の罪を映し出す「浄玻璃の鏡(じょうはりのかがみ)」があり、嘘は一切通用しません。
日本における地獄思想の発展
地獄の概念は古代インドから中国を経て日本に伝わりましたが、日本では独自の発展を遂げました。
平安時代の末法思想
日本で地獄思想が特に強調されるようになったのは、平安時代の末法思想の流行からです。
末法思想とは、仏教の教えが衰退していき、やがて正しい悟りを開く人がいなくなるという考え方。平安時代の人々は、自分たちが生きる時代がまさにその「末法の世」だと信じていました。
この不安の中で、恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)という僧侶が『往生要集(おうじょうようしゅう)』という書物をまとめました。
『往生要集』の影響
『往生要集』は、地獄の恐ろしさを詳細に描写することで、人々に極楽往生を願わせようとした書物です。
この書物の影響で、日本各地に地獄絵が描かれるようになりました。お寺の壁画や絵巻物に描かれた地獄の様子は、文字が読めない庶民にも強烈な印象を与えたんですね。
六道絵の誕生
鎌倉時代になると、地獄だけでなく六道すべてを描いた「六道絵(ろくどうえ)」が制作されるようになります。
有名な六道絵の遺品
- 北野天神縁起の中の2巻
- 聖衆来迎寺(しょうじゅらいごうじ)の六道絵15幅
- 十二因縁絵巻
これらの絵画は、罪業の深さを人々に教えるための教育資料として、お寺で大切に保管されてきました。
民間信仰との融合
日本では、地獄思想が民間信仰と結びついて独自の発展を遂げました。
たとえば賽の河原(さいのかわら)の伝説。幼くして亡くなった子供たちが、三途の川のほとりで石を積んで両親への供養の塔を作ろうとするのですが、鬼がやってきてそれを壊してしまう——という悲しい話です。
この賽の河原で子供たちを救うのが地蔵菩薩だとされ、日本各地に地蔵信仰が広まっていきました。
まとめ
地獄道は、仏教における六道輪廻の最下層に位置する、苦しみの極みの世界です。
重要なポイント
- 六道の中で最も苦しみが深い世界
- 生前の悪業(殺生・盗み・嘘など)の報いとして落ちる場所
- 八大地獄を中心に、さまざまな種類の地獄が存在する
- 死後は十王の裁きを受け、四十九日かけて転生先が決まる
- 日本では平安時代に独自の地獄思想が発展した
- 地獄絵や六道絵によって民衆に広く伝えられた
ただし忘れてはならないのは、地獄は決して永遠の場所ではないということです。どれほど長く苦しんでも、いつかはその業が尽き、再び六道のどこかに生まれ変わる機会が訪れます。
仏教が地獄を説く本当の目的は、人々を脅すことではなく、日々の行いを見つめ直し、善い生き方を選ぶきっかけを与えることなのです。


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