【忠義と美貌の若き英雄】水滸伝「燕青(えんせい)」とは?その姿・功績・伝承をやさしく解説!

主人のために命を懸けて戦い、美しい容姿と多彩な才能で敵を翻弄する。

そんな完璧な若武者が、中国の古典小説『水滸伝』には登場します。

彼の名は燕青(えんせい)。梁山泊108人の豪傑の中でも、最も知的で洗練された人物として知られているんです。

この記事では、忠義と才能を兼ね備えた若き英雄「燕青」について、その魅力的な姿や活躍、そして謎に満ちた最期まで詳しくご紹介します。

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概要

燕青(えんせい)は、中国四大奇書の一つ『水滸伝』に登場する架空の人物です。

梁山泊に集まった108人の英雄たちの中で第36位に位置し、天巧星(てんこうせい)という星の生まれ変わりとされています。

天巧星の「巧」という字が示すように、彼は技芸に優れた多才な人物なんですね。

渾名(あだな)は「浪子(ろうし)」。これは「伊達者(だてもの)」や「優男(やさおとこ)」を意味する言葉で、彼の洗練された魅力を表しています。

梁山泊の豪傑たちは壮年や中年の荒くれ者が多いのですが、燕青は登場時わずか22歳という若さ。最年少クラスの彼が、なぜ仲間たちから一目置かれていたのか。それは彼が単なる武人ではなく、知恵と教養を兼ね備えた稀有な存在だったからです。

偉業・功績

燕青の功績は、戦場での武勇だけにとどまりません。

主人・盧俊義の救出

燕青の最初の大きな功績は、主人である盧俊義(ろしゅんぎ)の救出劇でした。

梁山泊の軍師・呉用の策略によって、盧俊義は役人に捕らえられ流罪となってしまいます。しかも番頭の李固(りこ)は、護送役人に賄賂を贈って盧俊義を暗殺しようと企んでいたんです。

このとき燕青は何をしたか。

  • 城内に潜入して陰謀を察知
  • 護送隊を密かに追跡
  • 役人が暗殺を実行しようとした瞬間、弓矢で射殺
  • 主人を見事に救出

この一連の行動は、燕青の冷静な判断力と行動力を示しています。その後、梁山泊の仲間たちと協力して北京を攻撃し、盧俊義を完全に救い出したんですね。

相撲王者の撃破

燕青のもう一つの有名な功績が、任原(にんげん)という相撲の達人を破ったことです。

任原は「擎天柱(けいてんちゅう)」という渾名を持つ巨漢で、2年連続で相撲大会の優勝者でした。泰山で開かれた奉納相撲大会で、小柄な燕青が技術と俊敏さで任原を投げ飛ばしたんです。

体格差を技術で覆す。これぞ燕青の真骨頂でした。

朝廷帰順の最大功労者

燕青の最も重要な功績は、梁山泊の朝廷への帰順を実現させたことです。

梁山泊のリーダー・宋江は、賊として朝廷に追われるのではなく、正式に朝廷に仕える道を望んでいました。そこで燕青に白羽の矢が立ちます。

燕青の作戦はこうでした。

  1. 皇帝の寵愛を受けている芸妓・李師師(りしし)に接近
  2. 美貌と音楽の才能で彼女の心をつかむ
  3. 李師師を義理の姉として、皇帝への橋渡し役を依頼
  4. ある夜、皇帝が李師師を訪問した際に直接面会
  5. 梁山泊の帰順の願いを伝える

この大胆な計画は見事に成功し、梁山泊は朝廷の正式な軍隊として認められることになりました。粗暴な武力では成し遂げられない、知恵と教養を活かした外交的勝利だったんです。

方臘討伐でのスパイ活動

朝廷帰順後、梁山泊軍は各地の反乱を鎮圧するよう命じられます。その中で最大の敵が方臘(ほうろう)という反乱軍のリーダーでした。

燕青は仲間の柴進(さいしん)とともに、商人に変装して方臘の本拠地に潜入。方臘の信頼を勝ち取り、最終決戦では内側から敵を切り崩します。方臘の甥・方傑(ほうけつ)を討ち取るなど、大きな戦果を上げました。

変装、潜入、情報収集、内応。燕青は現代でいうスパイのような役割を完璧にこなしたんですね。

系譜

燕青の生い立ちは、孤児からの立身出世物語です。

孤児時代

燕青は幼くして両親を亡くし、天涯孤独の身となりました。

詳しい出身や家族については『水滸伝』でも語られていません。おそらく身分の低い家の出だったと考えられます。

盧俊義との出会い

転機が訪れたのは、北京(大名府)一の大富豪盧俊義(ろしゅんぎ)に拾われたときでした。

盧俊義は燕青の才能を見抜き、単なる使用人としてではなく、側近として大切に育てます。武芸、学問、芸事など、さまざまな教育を受けさせてくれたんです。

主従を超えた絆

盧俊義と燕青の関係は、単なる主人と召使いの関係ではありませんでした。

盧俊義は燕青を信頼し、時には家族のように可愛がりました。一方、燕青は盧俊義への恩義を一生忘れず、絶対的な忠誠心を持ち続けます。

この主従関係こそが、燕青の人生を決定づけたといえるでしょう。梁山泊に加わったのも、最後に姿を消したのも、すべては盧俊義のためだったんです。

姿・見た目

燕青の外見は、梁山泊の豪傑たちの中でも際立って美しいものでした。

絶世の美青年

『水滸伝』では燕青の容姿をこう描いています。

燕青の外見的特徴

  • 身長:6尺余り(約180cm前後)で小柄
  • 体格:細身でしなやか
  • :色が白く、絹のように滑らか
  • 顔立ち:赤い唇、厚い眉毛
  • 体型:広い肩幅と細い腰

武芸者としては小柄な部類ですが、そのバランスの取れた体つきは、まさに理想的な美男子だったんですね。

全身の華やかな刺青

燕青のもう一つの特徴が、全身に施された見事な刺青です。

当時の中国では、刺青は罪人の印として使われることもありましたが、燕青の刺青は違います。大きな花々が全身を彩る、芸術作品のような刺青だったんです。

この華やかな刺青が、「浪子(伊達者)」という渾名の由来の一つとなっています。

洗練された身のこなし

容姿だけでなく、燕青の身のこなしも洗練されていました。

武芸者でありながら、宮廷の芸人のような優雅さを持ち合わせていたんです。この二面性が、彼を特別な存在にしていました。

特徴

燕青は「多芸多才」という言葉がぴったりの人物でした。

百発百中の弩(いしゆみ)の名手

燕青の武器は弩(ど)、つまり石弓です。

通常の弓よりも強力で扱いが難しい武器ですが、燕青の腕前は百発百中。遠くの敵を正確に射抜くことができました。

盧俊義を暗殺しようとした役人たちも、燕青の矢によって瞬時に倒されています。

天下一の相撲の達人

小柄な体格ながら、燕青は相撲(中国拳法の一種)の達人でした。

力任せではなく、技術と俊敏さで相手を投げ飛ばす。任原のような巨漢を倒せたのも、この洗練された技術があったからです。

後世、中国武術の一派である「燕青拳(えんせいけん)」は、彼が創始者だという伝説もあるほどなんですよ。

芸事の達人

武芸だけでなく、燕青は芸事にも長けていました。

燕青が精通していた芸事

  • 琴(きん):弦楽器の演奏が得意で、仲間を楽しませた
  • 歌唱:美しい声で歌を歌った
  • 舞踊:優雅な踊りを披露できた
  • 音楽全般:さまざまな楽器を演奏できた

これらの才能が、李師師という宮廷の芸妓の心をつかみ、皇帝への謁見を実現させたんです。

言語と方言の達人

燕青のもう一つの特技が、各地の方言や商売人の隠語に通じていたことです。

変装してスパイ活動をする際、この能力が大いに役立ちました。どんな地域に行っても、どんな身分の人々の中に紛れ込んでも、自然に溶け込めたんですね。

頭の回転の速さ

何より燕青は頭の切れる人物でした。

状況を瞬時に判断し、最適な行動を取る。危険を察知する能力も優れていました。盧俊義が陰謀にかかりそうな時も、いち早く気づいて警告しています(残念ながら聞き入れられませんでしたが)。

李逵を制御できる稀有な存在

梁山泊には李逵(りき)という、非常に粗暴で短気な豪傑がいました。

誰の言うことも聞かない李逵ですが、燕青の言葉だけは従ったんです。燕青は李逵を制御できる数少ない人物として、仲間たちから重宝されました。

武力だけでなく、人心掌握の能力もあったんですね。

伝承

燕青の物語で最も有名なのは、主人との永訣(えいけつ)の場面です。

方臘討伐後の別れ

すべての戦いが終わり、梁山泊の生き残った英雄たちは都へ凱旋することになりました。

このとき燕青は、盧俊義に真剣な表情で進言します。

「旦那様、これ以上の出世や富を求めるより、どこか静かな場所で隠棲しましょう」

しかし盧俊義は聞く耳を持ちませんでした。

「故郷に錦を飾ろうというのに、何を馬鹿なことを言うのか」

涙の暇乞い

盧俊義が取り合わないと悟った燕青は、涙を流しながら暇乞いをします。

「私を置いてどこへ行くのか」と問う盧俊義に、燕青は「いつもあなた様のおそばにおります」と答えました。

しかし翌朝、燕青の姿は消えていました。残されていたのは、一通の手紙だけ。

予言の的中

燕青が姿を消した翌日、盧俊義は朝廷の罠にかかり、毒を盛られて殺されてしまいます

燕青の予言は的中したのです。もし盧俊義が燕青の進言を聞いていれば、このような悲劇は避けられたかもしれません。

謎に包まれた最期

その後の燕青の消息を知る者はいませんでした。

民間伝承では、燕青は李師師を探し出し、二人で静かに余生を送ったという説があります。富や名声ではなく、平穏な生活を選んだというロマンチックな結末ですね。

また、続編『水滸後伝』では、かつての仲間たちと再会して共に戦う姿が描かれています。

『岳飛伝』での登場

別の作品『岳飛伝』にも燕青は登場します。

ここでは海塩県の蛇山(じゃざん)の王として、逃亡中の南宋皇帝・高宗を助ける場面が描かれているんです。時代設定は『水滸伝』よりも後なので、燕青がその後も生き続けていたという設定になっています。

出典・起源

燕青という人物は、どこから生まれたのでしょうか。

『水滸伝』の成立

『水滸伝』は、14世紀(元末明初)に成立したとされる中国の長編小説です。

作者は施耐庵(しだいあん)とされていますが、諸説あります。実在の盗賊団の話をもとに、さまざまな民間伝承や演劇を取り入れて作られた作品なんですね。

歴史上の原型人物

燕青のモデルとなった人物がいるという説があります。

それが南宋の抗金将領・梁興(りょうこう)、別名梁青(りょうせい)という武将です。

梁興の功績

  • 金(女真族の王朝)と数百回も戦った
  • 300人以上の敵将を討ち取った
  • 1135年、太行山で金の将軍2人を討ち取る
  • 名将・岳飛とともに金軍と戦った

中興小記という歴史書には、梁興が「梁小哥(りょうしょうか)」と呼ばれていたと記録されています。『水滸伝』でも李師師が燕青を「小哥」と呼んでいるんです。この共通点から、梁興が燕青のモデルではないかと考えられています。

初期の文献での登場

実は『水滸伝』が完成する前から、燕青という人物は存在していました。

宋元時代の文献

  • 『大宋宣和遺事』:宋江配下の36人のリーダーの一人として燕青が登場
  • 龔開『宋江三十六人賛』:燕青について「平康の巷(花街)で、誰が君の名を知ろうか。太行の春色、一尺の碧」という詩的な賛辞が書かれている

これらの文献は『水滸伝』の原型となったもので、すでに燕青というキャラクターが確立していたことがわかります。

民間伝承と演劇

『水滸伝』成立前から、宋江と梁山泊の物語は民間で語られ、演劇として上演されていました。

燕青というキャラクターも、こうした口承文学や演劇の中で徐々に形作られていったと考えられています。美青年で多才、そして忠義者という設定は、観客を魅了する要素だったんでしょうね。

まとめ

燕青は、『水滸伝』108人の豪傑の中でも最も洗練された人物です。

重要なポイント

  • 天巧星の生まれ変わりで、渾名は「浪子」(伊達者)
  • 22歳という若さで梁山泊に加わった最年少クラスの英雄
  • 絶世の美青年で、全身に華やかな刺青を施している
  • 弩の名手、相撲の達人、芸事にも精通した多芸多才な人物
  • 主人・盧俊義への絶対的な忠誠心を持つ忠義者
  • 李師師との関係を築き、朝廷帰順の最大功労者となる
  • 最後は主人の命を案じて姿を消し、その後は消息不明
  • 歴史上の武将・梁興(梁青)が原型とされる

燕青の物語が今も多くの人々を魅了するのは、彼が単なる武人ではなく、知恵と教養、そして何より深い忠義の心を持った人物だからでしょう。

現代の私たちにとっても、燕青の生き方は多くのことを教えてくれます。力だけでなく知恵を使うこと、人との絆を大切にすること、そして時には身を引く勇気を持つこと。

もし『水滸伝』を読む機会があれば、ぜひこの若き英雄・燕青の活躍に注目してみてくださいね。

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