死後の世界で、私たちはどんな裁きを受けるのでしょうか?
仏教では、亡くなった人は十人の王様による裁判を受けると信じられています。その中でも八番目の裁判官である平等王(びょうどうおう)は、ちょっと特別な存在なんです。
恐ろしい顔をしているのに、実は慈悲深い心を持っているという、なんとも不思議な王様。
この記事では、死後100日目の裁きを担当する平等王について、その役割や特徴、そして他の十王との関係まで詳しく解説します。
概要

平等王は、仏教の十王信仰における八番目の裁判官です。
死後100日目(百か日)の審理を担当し、観音菩薩(かんのんぼさつ)を本地(本来の姿)としています。十王の中でも特に重要な位置を占めており、亡者にとって最後の救済チャンスを与える存在として知られているんです。
面白いのは、初七日から四十九日までの七回の裁判で判決が下った後に、さらに審理を行うという点。つまり、平等王が行うのは「再審」なんですね。すでに地獄や餓鬼道に落ちた者でも救済される可能性があり、天界に行った者はさらに徳を積めるようになっています。
平等王の姿と性格
恐ろしい外見と慈悲の心
平等王の最大の特徴は、見た目と中身のギャップです。
その形相(顔つき)は恐ろしく、初めて見た亡者は震え上がってしまうほど。中国風の法服を着て、厳めしい表情で裁判官の椅子に座っている姿で描かれることが多いんです。
でも実は、内面には深い慈悲の心を持っているというから驚きですよね。観音菩薩が本地であることからも、その慈悲深さがうかがえます。
裁判での態度
平等王の裁判スタイルは、他の王とはちょっと違います。
平等王の裁判の特徴
- 亡者の話をじっくり聞いてくれる
- 生前に布施(寄付や善行)を行った者には仏教の本質を教える
- 刑罰を受けながらも功徳を積んだ者には、天界への道も開かれる
- 貪欲な者には厳しい刑罰を与える
死後100日目の審理

審理までの道のり
平等王の庁舎に到着するまでに、亡者は「鉄氷山」という恐ろしい場所を通らなければなりません。
この鉄氷山は、極寒の河原で、亡者はその寒さに苦しめられるんです。夏の暑さに慣れた私たちには想像もつかない寒さでしょうね。
再審査の意味
平等王の審理が「再審」として行われる理由は、仏教の慈悲の精神にあります。
最初の七回(四十九日まで)の裁判で、すでに六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)のどこに行くかは決まっています。でも、平等王の審理では:
- 悪道に落ちた者:遺族の供養次第で救済される可能性がある
- 善道に行った者:さらに徳を積んで、より良い転生先へ
つまり、亡者にとっても遺族にとっても、まだ希望が残されているということなんです。
十王信仰における位置づけ
十王の審理の流れ
十王による裁判は、以下の順番で行われます:
- 秦広王(初七日)- 殺生の罪を審理
- 初江王(二七日)- 盗みの罪を審理
- 宋帝王(三七日)- 邪淫の罪を審理
- 五官王(四七日)- 妄言の罪を審理
- 閻魔王(五七日)- 総合的な判定
- 変成王(六七日)- 六道の振り分け
- 泰山王(七七日)- 転生先の詳細決定
- 平等王(百か日)- 再審査と救済
- 都市王(一周忌)- さらなる救済機会
- 五道転輪王(三回忌)- 最終決定
平等王と閻魔王の違い
「平等王」という名前は、実は閻魔王の別名として使われることもあります。でも、十王信仰では明確に別の存在として区別されているんです。
主な違い
- 閻魔王:五七日(35日目)の裁判を担当、浄玻璃の鏡で罪を映し出す
- 平等王:百か日(100日目)の裁判を担当、慈悲による救済を重視
道教との関係

中国の道教では、平等王は「大海の底を司る」とされています。
その庁舎には大熱悩大地獄と十六の小地獄が付属しているといわれ、かなり恐ろしい場所として描かれています。ただし、文献によっては都市王と順番が入れ替わることもあり、解釈には幅があるようです。
遺族ができること
供養の重要性
平等王の審理において、遺族の供養は極めて重要な意味を持ちます。
亡者の運命は、生前の行いだけでなく、遺族がどれだけ真心を込めて供養を行うかにもかかっているんです。百か日法要をきちんと営むことで、亡者の苦しみを軽減し、より良い転生先への道を開くことができるとされています。
現代における意味
現代でも百か日法要は広く行われていますが、その背景にはこうした信仰があったんですね。
単なる形式的な儀式ではなく、亡くなった人を思い、その人のために祈ることが、平等王の慈悲の心を動かすと信じられてきました。
まとめ
平等王は、恐ろしい外見の裏に慈悲の心を持つ、十王信仰における重要な裁判官です。
重要なポイント
- 死後100日目の再審査を担当する八番目の王
- 観音菩薩を本地とし、慈悲深い性格を持つ
- すでに決まった判決も覆す可能性がある救済の王
- 遺族の供養によって亡者を救うことができる
- 形相は恐ろしいが、内面は慈悲に満ちている
亡くなった人にとって最後の希望となる平等王。その存在は、仏教の「誰もが救われる可能性がある」という教えを体現しているといえるでしょう。百か日法要の際には、この慈悲深い王様のことを思い出してみてくださいね。

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