ケルト神話には、100種類を超える恐ろしい怪物たちが登場します。
アイルランド、ウェールズ、スコットランド、ブルターニュ地方に伝わる怪物たちは、単なる恐怖の象徴じゃありません。古代ケルト人の自然への畏敬と、生と死の世界観を映し出す鏡なんです。
今回は、中世の写本や民間伝承をもとに、ケルト神話最恐の怪物たちを詳しく紹介していきます。
ドラゴンと蛇型の怪物:大地を這う破壊者たち

ケルト神話のドラゴンは、ただの破壊者じゃありません。
川を作り出し、国の象徴となり、時には守護者にもなる複雑な存在なんです。
Y Ddraig Goch(ウー・ザライグ・ゴッホ)- ウェールズの赤いドラゴン
外見と特徴
4本の脚と翼を持つ、全身真っ赤なドラゴンです。
面白いことに、西洋の典型的な悪役ドラゴンとは違って、ウェールズにとっては善良な守護者として描かれているんです。
伝説の戦い
ディナス・エムリスの地下で、白いドラゴンと壮絶な戦いを繰り広げました。
- 赤いドラゴン=ウェールズ人の象徴
- 白いドラゴン=サクソン人の象徴
両者の叫び声があまりにも恐ろしく、不妊、死、流産を引き起こしたといわれています。
現在の姿
5世紀のアバーフラウ王たちも、アーサー王も、この赤いドラゴンを旗印として使用しました。
現在はスノードニア山脈の地下で眠っているとされ、ウェールズ国旗の象徴として今も生き続けています。
Oilliphéist(オイリフェーシュト)- アイルランドの巨大蛇
驚きの伝説
この巨大な海蛇は、その巨体で地を這い、シャノン川を掘り出したとされています。
ある伝説では、パイプ奏者を丸呑みにしましたが、奏者は蛇の腹の中でパイプを演奏し続けました。
あまりの苦しさに、蛇自身が吐き出したという、ちょっとユーモラスな一面も。
11~12世紀の『Lebor Gabála Érenn』(アイルランド来襲の書)などに記録されています。
Caoránach(カオラーナハ)- 悪魔の母
恐ろしい蛇または竜の姿で、「悪魔の母」という異名を持つ強力な存在です。
聖パトリックがアイルランドから蛇を追放した際、ラフ・デーグで最後まで抵抗したのがこのカオラーナハでした。
この戦いは、キリスト教と古い信仰の対立を象徴しているんですね。
Afanc(アヴァンク)- ウェールズの湖の怪物
不思議な特徴
ワニと巨大なビーバーを合わせたような姿。
驚くべきことに、ウェールズ語を話すという特徴があります。
恐るべき力
バラ湖に住み、水中に入る者を誰でも貪り食います。
その暴れ方は凄まじく、洪水や疫病を引き起こしたとされています。
アーサー王やペレドゥールなどの英雄たちによって討伐されたという伝説も。
その他のドラゴン・蛇型の怪物
Ellén Trechend(アイルランド)
3つの頭を持つ、火を吐くドラゴン。
Gwiber(ウェールズ)
ヘビが人間の乳を飲んで変化した、翼のある蛇。火を吐き、村を襲いました。
Lig-na-Paiste(アイルランド)
アイルランド最後のドラゴン。聖マローによってラフ・フォイルに追放されました。
巨人と巨大な存在:混沌と破壊の化身
ケルト神話の巨人は、混沌と破壊の力を体現する原初的存在です。
神々や英雄たちの敵として、あるいは大地そのものの化身として描かれています。
Fomorians(フォモール族)- 混沌の巨人種族
恐ろしい姿
超自然的な巨人の種族で、醜く恐ろしい姿で描かれます。
- 一つ目
- 一本足
- 山羊の頭
などなど、様々な異形の姿が伝えられています。
壮絶な戦い
トゥアハ・デ・ダナン(神々の種族)の宿敵として、アイルランドの支配権をめぐって争いました。
『モイトゥラの戦い』で敗北し、アイルランドから追放されることに。
フォモール族は、秩序と混沌の対立という、古代ケルト人の世界観を体現しているんです。
Balor of the Evil Eye(邪眼のバロール)- フォモール族の王
恐怖の邪眼
フォモール族の王で、破壊的な「邪眼」を持つ巨人。
その目は通常閉じており、まぶたがあまりに重く、複数の従者が必要なほど。
無敵の力
目を開くと、視線を受けた者すべてを殺す恐るべき力を持ちます。
軍隊全体を一瞬で壊滅させることができました。
運命の皮肉
予言によれば、バロールは自分の孫に殺されると定められていました。
そのため娘を塔に閉じ込めていましたが、運命は避けられず、孫である光の神ルーによって討たれることに。
Bendigeidfran(ベンディゲイドヴラン)- 祝福されたブラン
巨大すぎる体
ウェールズの巨人王。
あまりにも巨大で、アイリッシュ海を歩いて渡ることができました。
どんな建物にも入ることができず、常に野外で過ごしていたそうです。
不思議な大釜
「再生の大釜」を所有していました。
この大釜は死者を蘇らせる力を持っていましたが、蘇った者は話すことができないという制限付き。
守護する首
戦いで致命傷を負った後、彼の首はロンドンに埋葬され、今もイギリスを守護しているとされています。
Ysbaddaden Bencawr(ウスバザデン・ペンカウル)- 巨人の首領
巨人の首領で、美しい娘オルウェンの父。
まぶたが非常に重く、鉄の杖で支えなければ目を開けることができませんでした。
娘と結婚したい英雄キルッフに39の不可能な課題を課しました。
予言により、娘が結婚すると自分が死ぬことを知っていたからです。
その他の巨人
Rhitta Gawr(ウェールズ)
26人の王の髭でマントを作った巨人。アーサー王に敗れました。
Cormoran(コーンウォール)
セント・マイケルズ・マウントに住んでいた最初の巨人。干潮時には巨人の石の心臓が見えるといいます。
John of Gaunt(コーンウォール)
カーン・ブレアの巨人で、最後の巨人の一人とされています。
海の怪物と水棲生物:深淵からの恐怖
ケルト圏は島や海岸が多く、水は生命と死、異世界への入口として畏れられました。
水棲の怪物たちは、その危険性と神秘性を体現しています。
Kelpie(ケルピー)/Each-uisge(エッハ・ウーシュゲ)- スコットランドの水馬
恐怖の罠
スコットランドの川や湖に棲む、姿を変える水の精霊。
主に黒い馬の姿で現れますが、人間の姿にも変身できます。
残酷な習性
旅人、特に子供を誘い、背に乗せると粘着性の皮膚で捕らえ、水中に引きずり込んで溺死させます。
犠牲者の内臓だけを水辺に残すという、ぞっとする伝承も。
有名な伝説
8人の子供がケルピーの背に乗り、9人目が岸に残りました。
9人目がケルピーの鼻を撫でると、手が張り付いてしまい、自分の指を切り落として逃げることに成功。
他の8人は水中に引きずり込まれ、二度と戻りませんでした。
Llamhigyn Y Dŵr(クラヴィギン・ウ・ドゥール)- ウェールズの水跳び
非常に奇妙な姿の怪物。
手足のないカエルに、コウモリの翼と毒針のある尾を持ちます。
漁師を攻撃し、犠牲者を襲った後は羊毛と長靴しか残さないという恐ろしい伝承があります。
Nuckelavee(ナックラヴィー)- オークニー諸島の悪魔
スコットランド北部で「最も邪悪な水棲生物」と呼ばれる恐怖の存在。
最大の特徴:皮膚がない
黄色い血管に黒い血が流れているのが見え、筋肉組織がむき出しという、想像するだけでも恐ろしい姿。
破壊的な力
その息だけで家畜を病気にし、作物を枯らします。
存在するだけで干ばつや疫病を引き起こすとされました。
唯一の弱点
真水の流れる川で、川を渡れません。
追われたら最寄りの川や小川に逃げ込むのが唯一の逃げ道です。
その他の水棲怪物
Dobhar-chú(ドハル・フー、アイルランド)
「水の猟犬」。7フィート(約2.1m)のワニのような生き物。
Blue Men of the Minch(ミンチの青い男たち、スコットランド)
青灰色の肌を持つ人間の姿で、嵐を起こして船を沈める。
Ceffyl Dŵr(ケヴィル・ドゥール、ウェールズ)
ウェールズの水馬。空を飛ぶこともできる最も危険な水馬の一つ。
死を告げる怪物:冥界からの使者
死と死後の世界は、ケルト文化の中心テーマです。
これらの存在は、死と生の境界を守り、死を予告します。
Dullahan(ドゥラハン)- 首なし騎士
恐怖の姿
自分の切り落とされた頭を小脇に抱えて運ぶ恐ろしい騎士。
黒馬に乗り、人間の背骨を鞭として使います。
頭部は腐ったチーズのような色で、邪悪な笑みを浮かべています。
死の宣告
死にゆく者の名前を呼び、その瞬間に対象者は死にます。
門は自動的に開き、誰も止めることはできません。
唯一の対抗手段
金(きん)だけがドゥラハンを遠ざけることができます。
スリーピー・ホロウの首なし騎士のモデルとなりました。
Banshee(バンシー)- 死を告げる女
「Bean Sídhe」(妖精の女)が語源。
長い白または銀色の髪、赤い目(泣きすぎたため)、灰色または白い服を着た女性の姿。
不吉な予兆
特定のアイルランドの家系に憑いており、家族の誰かが死ぬ前に、悲しげな叫び声や泣き声を上げて警告します。
特に「Ó」「Mac」「Mc」で始まる姓の家系と結びついているとされています。
Sluagh(スルア)- 許されざる死者の群れ
暗い雲または黒い鳥の群れとして現れる、天国からも地獄からも拒絶された魂たち。
生者の魂を盗み、死にゆく者を狩ります。
西の窓から入ると信じられ、スコットランドでは西側の窓を閉じる習慣がありました。
Cŵn Annwn(クーン・アヌーン)- 異界の猟犬
不思議な特徴
白い毛並みに赤い耳を持つ幽霊のような犬の群れ。
超自然的な美しさと恐ろしさを併せ持ちます。
逆転する音
興味深いことに、遠くでは大きく聞こえますが、近づくほど静かになります。
その遠吠えを聞くことは死の警告とされています。
獣型の怪物:神話的な力を持つ動物
これらは神話的な力を持つ動物で、英雄の試練や重要な物語の鍵となります。
Twrch Trwyth(トゥルフ・トルウィス)- 呪われた猪
元は人間の王
魔法をかけられた巨大な猪。
元はタレドの息子である王でしたが、呪いで猪の姿になりました。
魔法のアイテム
たてがみに魔法の櫛、鋏、剃刀を持ち、剛毛には毒があります。
アーサー王に狩られ、アイルランド、ウェールズ、コーンウォールを横断する壮大な狩りとなりました。
7頭の子豚は全て殺されましたが、トゥルフ・トルウィスは海に逃げ込んで生き延びました。
Cath Palug(カス・パルグ)- パルグの巨大猫
魔法の雌豚ヘンウェンから生まれた半水棲の巨大な猫。
メナイ海峡に投げ込まれましたが、アングルシー島まで泳ぎ着きました。
180人の戦士を殺した後、ケイまたはアーサー王に討たれました。
「モーンの三大圧政」の一つとされています。
Cú Sìth(クー・シー)- 妖精の猟犬
スコットランド高地とヘブリディーズ諸島に伝わる巨大な妖精の猟犬。
濃い緑色の毛並み(または白)、巨大な足。
死の吠え声
吠え声は遠くまで聞こえ、3回吠えます。
3回目の吠え声の前に安全な場所に逃げなければ、恐怖で死んでしまうといわれます。
その他の獣型の怪物
Donn Cuailnge(ドン・クーリンニェ、アイルランド)
「クーリーの褐色の雄牛」。アイルランド最大の叙事詩『タイン・ボー・クーリンニェ』の中心。
Henwen(ヘンウェン、ウェールズ)
「古き白」。魔法の雌豚で、各地で様々なものを産み落としました。
Glas Gaibhnenn(グラス・ガヴネン、アイルランド)
緑の斑点のある魔法の牛で、無限にミルクを出します。
Gwyllgi(グウィルギ、ウェールズ)
「暗闇の犬」。巨大な幽霊の黒いマスティフで、燃える赤い目、有毒な息、視線で麻痺させる力を持ちます。
変身する怪物(シェイプシフター):境界を越える存在
ケルト神話では、姿を変える能力は強大な力の証です。
これらの存在は人間と動物、現実と幻想の境界を曖昧にします。
Ceridwen(ケリドウェン)- 魔女と変身の女神
強力な魔女で、霊感の大釜(Cauldron of Awen)を所有。
壮絶な追跡劇
少年グウィオン・バッハが薬を飲んでしまうと、ケリドウェンは彼を追いかけました。
この追跡劇で、両者は次々と姿を変えます:
- グウィオン→ウサギ、ケリドウェン→グレイハウンド
- グウィオン→魚、ケリドウェン→カワウソ
- グウィオン→鳥、ケリドウェン→タカ
- グウィオン→一粒の麦、ケリドウェン→雌鶏
最終的に、ケリドウェンは麦を食べて妊娠し、グウィオンはタリエシンとして生まれ変わりました。
Púca/Pooka(プーカ)- 変身する精霊
最もよく知られるのは巨大な黒い馬の姿。
ヤギ、ウサギ、犬、人間など多様な姿に変身します。
非常にいたずら好きで気まぐれ。
ブライアン・ボル王だけが、プーカを飼いならすことに成功しました。
その他の変身怪物
Glashtyn(グラシュティン、マン島)
ハンサムな男性の姿にもなりますが、馬の耳が見分けるポイント。
Buggane(バゲーン、マン島)
巨大な鬼。教会の屋根を引きはがすほど巨大。聖トリニアンズ教会は、バゲーンに何度も屋根を破壊され、今も屋根がありません。
亡霊と吸血鬼:死者の国から来た者たち
Abhartach(アバータハ)- アイルランドの吸血鬼
小人の姿をしたアイルランドの吸血鬼。
邪悪な魔術師でもありました。
不死の呪い
殺されても夜に墓から這い出し、村人たちに血を要求しました。
最終的にイチイの剣で殺し、逆さまに埋葬し、上に大きな石を置くことで封じられました。
その墓は今も存在します。
ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』のインスピレーション源の一つとされています。
Dearg Due(ジャルグ・デュー)- 赤い血を吸う者
美しい吸血鬼の女性。
虐待された乙女の復讐の物語として語り継がれています。
その他の恐るべき怪物
Morrigan(モリガン)- 戦いと死の女神
「幻影の女王」。
カラスやワタリガラスに変身し、戦場の上空を飛び、戦士の死を予言します。
英雄クー・フーリンの死を予告し、彼の魂が去る時にその肩に止まりました。
アイルランド神話で最も強力で複雑な存在の一つです。
Ankou(アンクー)- ブルターニュの死神
骨格または痩せこけた姿で、黒い服と広いつばの帽子を被り、回転する頭を持ちます。
きしむ荷車または4頭の黒い馬が引く黒い馬車を運転し、死者の魂を集めます。
その年に死んだ最後の人が、次のアンクーになるという恐ろしい伝承も。
Fad Felen(ファド・フェレン)- 黄色い疫病
「黄色い疫病」。
老婆またはバジリスクのように擬人化され、その姿を見ると死にます。
歴史的には540年代の疫病を反映しているといわれています。
まとめ:ケルト神話の怪物が語るもの
ケルト神話の怪物たちは、単なる恐怖の対象ではなく、古代ケルト人の世界観、価値観、そして自然との関係を深く反映した文化的遺産です。
地域による特徴
アイルランド
最も豊富な記録が残り、フォモール族の伝説、英雄譚、死の前兆となる怪物が特徴的。
ウェールズ
ドラゴンと巨人の伝説が顕著で、特定の湖や山との結びつきが強い。
スコットランド
水棲の怪物(ケルピー、Each-uisge)が豊富で、独特の恐怖譚が発達。
ブルターニュ、コーンウォール、マン島
より地域的で独自の怪物を持ち、巨石遺跡との結びつきが強い。
共通テーマ
- 境界の曖昧さ:人間と動物、生と死、現実と異界の境界が流動的
- 自然への畏敬:多くの怪物は自然現象(嵐、洪水、冬)の擬人化
- 道徳的教訓:子供を水辺から遠ざける、約束を守るなどの教えを含む
- 死生観:死は終わりではなく、異界への移行と捉えられている
- 鉄とキリスト教:多くの怪物は鉄を恐れ、聖なる物を避ける
現代への影響
これらの神話は、トールキンやC.S.ルイスなどの現代ファンタジー文学に多大な影響を与えました。
ケルト神話の怪物は、数千年にわたる口承と文字記録の積み重ねによって今日まで伝えられてきた、ヨーロッパの精神文化の貴重な遺産。
これらの物語は、現代を生きる私たちに、自然との共生、死への向き合い方、そして物語の力の大切さを教えてくれています。
信頼できる情報源
一次史料
- 『マビノギオン』
- 『Lebor Gabála Érenn』
- 『タイン・ボー・クーリンニェ』
- ウェールズのトライアド
- 『Historia Brittonum』
学術的研究
- Dáithí Ó hÓgáin『Myth, Legend & Romance: Encyclopaedia of Irish Folk Tradition』(1991)
- Peter Berresford Ellis『Dictionary of Irish Mythology』(1987)
- Philip Freeman『Celtic Mythology』(Oxford, 2017)


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