【30日間の怪異勝負】妖怪「山本五郎左衛門」とは?魔王が仕掛けた恐怖の試練

神話・歴史・伝承

もしも、あなたの家に30日間、毎晩妖怪が現れて脅かしてきたら、どうしますか?

江戸時代の広島で、実際にそんな恐ろしい体験をした少年がいました。

その少年を襲った妖怪たちの頭領こそが、魔王の眷属「山本五郎左衛門(さんもとごろうざえもん)」だったのです。

この記事では、日本の妖怪史上でも珍しい「30日間の怪異勝負」を仕掛けた魔王・山本五郎左衛門について詳しくご紹介します。

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概要

山本五郎左衛門は、江戸時代中期の妖怪物語『稲生物怪録(いのうもののけろく)』に登場する妖怪の大将です。

寛延2年(1749年)、備後国三次(現在の広島県三次市)で起きた怪異事件の首謀者として知られています。数多くの妖怪たちを従えて、16歳の武家の少年・稲生平太郎(いのうへいたろう)を恐怖に陥れようとしました。

しかし単なる悪い妖怪ではありません。実は、ライバルの魔王と「勇気ある少年100人を驚かせる」という賭けをしていたんですね。平太郎はその86人目の挑戦者だったわけです。

名前については「山本」「山ン本」「山本太郎左衛門」など、文献によって微妙に違いがあります。また、日本での名前が山本五郎左衛門で、本来は魔王という上位の存在だとされています。

姿・見た目

山本五郎左衛門の姿は、意外にも普通の武士のような格好で現れたんです。

人間形態での姿

  • 裃(かみしも)を着た40歳ほどの武士
  • 腰に大小二本の刀を差している
  • 堂々とした大男の風格

ただし、これはあくまで仮の姿。

真の姿についての描写

絵巻物によると、駕籠(かご)から巨大な毛むくじゃらの脚がはみ出している場面があり、これが魔王としての真の姿の一部だと考えられています。

また、平田神社所蔵の妖怪画では、三つの目を持つ烏天狗(からすてんぐ)として描かれることもあります。でも本人は「天狗でも狐狸でもない」と否定しているんですね。

つまり、その正体は人間には理解できないような、異界の存在だったということでしょう。

特徴

山本五郎左衛門には、普通の妖怪とは違う特別な性質があります。

魔王としての能力

  • 多数の妖怪を統率:さまざまな姿の妖怪たちを自在に操る
  • 怪異を起こす力:30日間、毎日違う恐怖を演出できる
  • 異界への移動:雲に乗って瞬時に移動が可能
  • 変身能力:人間の姿に化けることができる

行動パターンの特徴

実は山本五郎左衛門には明確なルールがあったんです。

  • 「難に逢う月日」を迎えた人間だけを狙う
  • 期限はきっちり30日間
  • 相手が耐え抜いたら素直に負けを認める
  • 約束や賭けは必ず守る

この律儀さは、ただの悪霊ではなく、格式ある魔王だからこそなんでしょうね。

性格の特徴

意外にも紳士的で礼儀正しい一面があります。平太郎が30日間耐え抜いた後は、その勇気を褒めたたえ、きちんと謝罪までしています。また、お礼として魔除けの木槌を贈るという義理堅さも見せました。

伝承

山本五郎左衛門といえば、「稲生平太郎への30日間の試練」が最も有名な伝承です。

30日間の怪異事件のあらすじ

事の発端は、平太郎が肝試しで比熊山(ひくまやま)に行ったことでした。

1749年7月1日から始まった怪異は、日に日にエスカレートしていきます。

  • 一つ目の巨大な妖怪が出現
  • 家が激しく揺れ動く
  • 宙に浮く家具
  • 女の生首が笑いかけてくる
  • 天井から青い瓢箪がぶら下がる
  • 知人の幽霊が現れる
  • 戸口を塞ぐほど大きな老婆の顔

これらの恐怖に、平太郎は一度も怯むことなく立ち向かいました。

クライマックス:7月30日の対面

ついに最終日、山本五郎左衛門は正体を現します。

平太郎が脇差で斬りかかっても手応えはなく、五郎左衛門は「さてさて、汝は気の強き者なり」と平太郎を讃えました。

そして驚くべき真相を明かします。実は、ライバルの魔王「神野悪五郎(しんのあくごろう)」と、どちらが上位の魔王かを決める賭けをしていたというのです。その内容は「勇気ある少年100人を驚かせる」というもの。

インド、中国、日本と渡り歩いて85人まで成功していた五郎左衛門でしたが、86人目の平太郎に敗北。賭けに負けて、また最初からやり直すことになったと語りました。

木槌の授与

負けを認めた五郎左衛門は、平太郎に特別な木槌を授けます。

「今後、もし神野悪五郎に襲われたら、この槌を打ち鳴らせ。私が現れて力を貸そう」

この木槌は実在していて、現在は広島市東区の国前寺(こくぜんじ)に寺宝として保管されています。毎年1月7日の稲生祭でだけ一般公開されるそうです。

類話:石川悪四郎の伝承

興味深いことに、広島には似たような話がもう一つあります。

『耳嚢(みみぶくろ)』という随筆には、「石川悪四郎」という妖怪の話が載っています。五太夫という少年が真定山で一夜を過ごした後、家に妖怪が現れるようになったが、勇敢に耐え抜いたところ、妖怪が感心してねじ棒を残して去ったという話です。

細部は違いますが、基本的な筋書きは稲生物怪録とそっくりなんですね。

起源

山本五郎左衛門の物語は、実在の人物の体験がもとになっています。

実在の稲生武太夫

稲生平太郎は後の稲生武太夫(いのうぶだゆう)という、三次藩の実在の藩士でした。本人が書いたとされる『三次実録物語』という覚書も残っています。

物語の成立と広がり

武太夫の同僚・柏正甫(かしわせいほ)が聞き書きして『稲生物怪録』としてまとめました。その後、国学者の平田篤胤(ひらたあつたね)が校訂版を作ったことで、全国的に知られるようになったんです。

文献による違い

実は、写本によって細かい部分が違っています。

  • 名前:「山本五郎左衛門」「山ン本五郎左衛門」「山本太郎左衛門」
  • 授けた品:木槌だったり、巻物だったり
  • 賭けの人数:85人目だったり86人目だったり

でも、30日間の怪異平太郎の勇気、そして魔王の敗北という核心部分は共通しています。

まとめ

山本五郎左衛門は、日本の妖怪史上でも特異な存在です。

重要なポイント

  • 魔王クラスの上級妖怪で、多くの眷属を従える
  • 神野悪五郎との「100人の少年を驚かす賭け」をしていた
  • 稲生平太郎に30日間の怪異を仕掛けたが敗北
  • 負けを潔く認め、魔除けの木槌を授けた
  • 実在の人物の体験談がもとになっている
  • 木槌は現在も国前寺に実在する

ただ恐ろしいだけでなく、約束を守り、敗北を認める潔さを持つ山本五郎左衛門。妖怪というより、異界の紳士といった方がふさわしいかもしれませんね。

もし現代に現れたら、どんな怪異を起こすのでしょうか。スマホが勝手に動き出したり、SNSに謎の投稿が現れたり…30日間耐えられる自信、ありますか?

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