洪水神話とは?世界の大洪水伝説を比べてわかる「型」の一致

神話・歴史・文化

洪水で人類が滅び、わずかな生き残りから新しい世界が始まる。 ノアの方舟、ジウスドラ、デウカリオン、マヌ。 土地も神も違うのに、話の骨組みだけがよく似ています。

こうした話をまとめた呼び名が、洪水神話です。 この記事では各地の伝承を並べ、どこまで共通しどこから違うのかを見ていきます。 広がりは本当に世界全域なのか、日本にはあるのか。 最後に「ラグナロクは洪水の物語なのか」という問いにも、原典に当たって答えます。

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洪水神話の定義

まずこの言葉が何を指すのかを確かめておきます。 定義は思っているより厳格で、大水が出てくる話ならすべて含まれるわけではありません。 ここを押さえておくと、あとの各地の比較がぐっと見やすくなります。

滅び、少数の生存者、新しい人類

この言葉が指すものの範囲は、意外に厳密です。 『日本大百科全書』は、大昔に起きた洪水で人類が少数を除いて絶滅し、水が引いたあとに新しい時代が始まって、生き残った者の子孫が今の人類になった、という筋立ての神話としています。

分解すると、三つの部品でできあがっています。

  1. 世界と人類が水で滅ぶ
  2. ごく少数だけが生き残る
  3. その生存者から現在の人類が始まる

この三つが揃って初めて、本格的な大洪水伝説として扱われます。 たとえば大水の場面だけがあって新しい人類の始まりにつながらない話は、同じ系統の変種として別に扱われるのです。

英語では flood myth と呼び、洪水そのものを指す語としては deluge が使われます。 海外の資料を当たるときの入り口は、この二語。 のちほど紹介するヴィッツェルの論文も、表題に flood myth を使っています。

覚えておきたいのは、この三部構成が滅亡の物語であると同時に、起源の物語でもあるという点です。 読者がふつう思い浮かべるのは「人類が滅びかけた話」ですが、語り手にとっての主題はむしろ「だから今の我々がいる」という後半にあります。

分布は広いが、普遍ではない

「大洪水の物語は世界中にある」という言い方は、実は少し雑です。

『日本大百科全書』は、この種の神話は広く分布しているがけっして人類普遍的なものではないとはっきり書いています。 具体例として挙がるのがアフリカでした。キリスト教やイスラム教が入る前は土着の洪水伝承がなかったと思われる地域がある、という指摘です。

ところが、この見取り図そのものが更新されつつあります。 2008年の学会報告をもとに2010年に発表された比較神話学の論文で、ハーバード大学のミヒャエル・ヴィッツェルは、アフリカやオーストラリアにこの種の神話が乏しいという印象は、スティス・トンプソンらが編んだ神話索引が作り出したものだと指摘しました。 見られる地域を詳しく見直すと、サハラ以南アフリカ、ニューギニアやメラネシア、オーストラリアにも決して欠けてはいない、というのが彼の主張です。 興味深いのは、著者自身が2001年の論文では誤ってそう考えていたと明記している点です。

つまり現状はこうなっています。

  • 「世界中どこにでもある」は言いすぎ
  • 「アフリカにはない」も、いま見直されている最中

どちらか一方を採用して断定するには、まだ材料が足りません。 ここでは判定を下さず、両方を並べたまま先に進みます。

罰としての水と、理由を語らない水

水による滅びの語りは、なぜ水が来たのかという一点で大きく二つに割れます。

ひとつは、神が人間の罪を怒り、罰として氾濫を起こす形式。 もうひとつは、そうした倫理的な動機を含まない形式です。

前者は古代バビロニアの神話に始まり、ユダヤ教・キリスト教の伝承で特にはっきりしています。 後者は東南アジアやオセアニアに伝わる話の大部分がこちらに入る、というのが『日本大百科全書』の整理です。

ただしここでも見立ては割れます。 ヴィッツェルがゴンドワナ圏と呼ぶ、サハラ以南アフリカ・メラネシア・オーストラリアの伝承についても、彼は水が来る理由は報復か過失の結果であることが多いと論じています。 細部がどうであれ報復という側面がはっきり出る、というのが彼の見立てです。

確かなのは、罰の主体と対象が地域ごとに大きく違うということでしょう。 旧約系では神が人類全体の罪を裁きます。 東南アジアからオセアニアにかけて点々と伝わる形では、神同士の争いに人間が巻き込まれます。 同じ「報復」でも、誰が誰に向けたものかはまるで別でした。

この違いは、話の読み味を大きく変えます。 罰として水が来る話では、生き残る人物はたいてい正しい者か、神に目をかけられた者です。 生存は、いわば選別の結果でした。 理由を語らない話ではそうではなく、生き残ったのは避難に成功した者であって、道徳的な優劣とは切り離されています。 同じ「少数が生き残る」という結末でも、選ばれたのか、うまく逃げたのかで、伝承が担う教訓はまるで別物になります。

本格的な形からは外れるものの、近い親類として扱われる系統もありました。

内容主な分布典拠
兄妹が天降る型洪水の場面を欠き、原初の海に浮かぶ島へ兄妹が天降る日本、琉球、東南アジアの島々『日本大百科全書』
火による滅亡型水ではなく火で人類が滅ぼされるアッサムのラケール人など『日本大百科全書』
治水神話氾濫した水を治めた功績を語る古代中国両事典
原初海洋モティーフ世界の始まりは水に覆われていたとする北方ユーラシアから北アメリカ『世界大百科事典』

同じ表に並んでいますが、上二つと下二つは別々の事典が立てた分類です。 どの切り口で分けるかは事典によって違う、という点は押さえておいてください。

『世界大百科事典』は、本格的な形と原初海洋モティーフ、治水神話の三つに混沌から秩序への転化という基本テーマが共通していると指摘します。 水そのものが主役なのではなく、「秩序のない状態から今の世界へ」という移行を語る枠組みが先にあり、その枠を埋める素材として水が選ばれている。 この枠組みを借りると、『日本大百科全書』が別に挙げる「火で滅ぶかたち」が近い親類として扱われる理由も見えてきます。

世界の大洪水伝説を並べる

代表的なものを、生き残った人物と助かった手段で並べ直してみます。

地域・典拠生き残る者水が来た理由助かった手段
シュメールジウスドラ断片が欠けており不明巨大な船
バビロニア(ベロッソス伝)クシストロス記載なし
バビロニア『ギルガメシュ叙事詩』第11の書板ウトナピシュティム神々の決定(罪の明示を欠く)
旧約聖書『創世記』ノア人間の悪方舟
ギリシャデウカリオンとピュラ人間の堕落へのゼウスの怒り箱舟
インド『シャタパタ・ブラーフマナ』マヌ明示されない舟と魚の導き
ニューギニア(バルマン族)大魚を食べなかった男と家族記載なし高いヤシの木
カリフォルニア(ルイセイニョ族)小山へ逃れた少数の者記載なし高所への避難

理由の欄に注目してください。 「人間が悪かったから」と明記されるのは、実は限られた地域だけです。

記録が最も古いのはメソポタミア

現存する記録として最もさかのぼれるのは、古代シュメールの例です。 ただし断片的にしか伝わっていません。

先ほどの表と同じ三つの欄、つまり誰が生き残ったか・なぜ水が来たか・どう助かったかで見ていきます。

誰が生き残ったか。 シュルッパクの王ジウスドラです。 神々の集会が人類を絶やすと決めたことを知らされ、備えた側に回りました。 ただし原典に神名は明示されず、知らせたのはエンキだと考えられています。

どう助かったか。 巨大な船によってです。 オックスフォード大学のシュメール語文学電子コーパスに収められた英訳では、七日七夜のあいだ嵐と波がその船を揺さぶり続けます。 嵐が去ると日神ウトゥが現れ、ジウスドラは船に開口部を穿ってその光を迎え入れました。 そして牛を屠り、数えきれないほどの羊を捧げます。 のちに彼はアンとエンリルの前にひれ伏します。 二神は彼に神と同じ絶えることのない命を与え、日の出る地ディルムンへ移しました。

なぜ水が来たか。 ここだけが答えられません。

粘土板は、神々が絶滅を決めた理由を記した部分を失っています。 船の造り方を指示する場面も、同じく欠落しています。 つまり最古の記録は、罰としての水だったのかどうかを判断する材料そのものを欠いているわけです。

三つの欄のうち二つは埋まり、動機の欄だけが空白のまま残ります。

この物語は、のちにアッカド語で書き直されました。 『アトラ・ハシース物語』と『ギルガメシュ叙事詩』第11の書板が、どちらもこの系統に連なります。 第11の書板で洪水を語るのはウトナピシュティムという人物です。 シュメールの断片で欠けていた造船の指示が、ここでは寸法まで具体的に語られ、水が引いたかどうかを鳥を放って確かめる場面も加わります。

この系統をもっと詳しく追いたい方は、アトラ・ハシース叙事詩(Atrahasis):メソポタミア最古の人間創造と大洪水の物語シュメール神話の神 一覧|人類最古の神々と壮大な神話世界を徹底解説が参考になります。 神々の系統や、後の時代への影響についてはアッカド神話の神一覧|メソポタミア最古の神々を徹底解説もあわせてどうぞ。

この物語はのちにギリシャ語でも書き残されました。 ヘレニズム期のバビロニア神官ベロッソスによる版で、主人公はクシストロス、警告する神はクロノスの名で呼ばれています。

創世記のノアの方舟

三つの欄で見ると、この話が飛び抜けているのはどう助かったかの解像度でした。

『世界大百科事典』が伝える箱舟は、木造で方形の三層構造。 長さ約135メートル、幅約23メートル、高さ約14メートル。 横に戸口があり、上から約50センチ下に天窓がひとつ。 外側はアスファルトで防水されています。

積み込まれたのは家族と鳥獣で、雌雄各2匹ずつ。 潔い動物は各7匹、汚れた動物は各2匹とする異伝もあります。 洪水の長さも150日と40日の二通りが伝わります。

箱舟はアララトの山に漂着しました。 天窓が高くて外が見えないノアは、烏に続いて鳩を放ちます。 鳩がオリーブの若葉をくわえて戻ってきたことで、水が引いたと知りました。

ここで前の節を思い出してください。 シュメールの断片で失われていたのは、まさに造船を指示する場面でした。 その空白が、ノアの物語では寸法から防水材まで埋まっています。

そして同事典は、この物語が前2千年紀以降のメソポタミアの洪水神話の影響下で記されたとみて、箱舟の防水方法や、鳥を放って外界を確かめる場面に叙述の類似が目立つと指摘します。 つまりノアの話は、よく知られた版であると同時に、後段で扱う伝播説を検討するときの物差しにもなっているわけです。

罰としての水:ギリシャのデウカリオン

ギリシャで「ノアにあたる人物」とされるのがデウカリオン(Deukaliōn)です。

プロメテウスの子で、妻ピュラ(Pyrrha)はエピメテウスとパンドラの娘。 テッサリア地方を治めていました。 人間の堕落に怒ったゼウスが人類を滅ぼそうと大水を起こしたとき、デウカリオンは父から警告を受けており、あらかじめ用意した箱舟に妻と乗り込みます。 十日目にパルナッソス山にたどり着き、死を免れました。

ここは事典を三つ突き合わせると、細部が揃いません。 『世界大百科事典』は十日目・テッサリア地方とし、託宣の主を明示しません。 一方『日本大百科全書』は九日九夜漂ったとし、統治地をフティア地方、人類の再生を尋ねた相手を女神テミスとしています。 『ブリタニカ国際大百科事典』では、託宣の主はゼウスでした。 細部が揺れること自体は、この話が長く語り継がれた証でもあります。

面白いのはその後です。 人類を取り戻したいと願う二人に、母の骨を背後へ投げよという託宣が下ります。 二人はこれを石と解釈し、肩越しに石を投げました。 するとデウカリオンの投げた石は男に、ピュラの投げた石は女になったといいます。 二人の長男ヘレン(Hellēn)がギリシャ人の祖となり、古代のギリシャ人は自らをヘレネス、国土をヘラスと呼ぶようになりました。

なお『世界大百科事典』には、この物語は方舟の話と同工異曲であり、地理的な条件からギリシャ本来のものとは考えにくく、メソポタミア起源だろうという見方が載っています。

魚に導かれたマヌ、治水に徹した禹

インドの人祖マヌ(Manu)の話は、後期ヴェーダ文献『シャタパタ・ブラーフマナ』に伝わります。 『マハーバーラタ』などの古文献にも、同じ筋が出てきました。

この一篇の生存は、取引の結果として説明されます。

朝の洗面の水に、一匹の魚が入り込みます。 魚はいきなり持ちかけました。私を育てよ、そうすれば救ってやろう、と。 何から救うのかと問うマヌに、魚は洪水がすべての生き物を押し流すと答えます。 つまり予告は見返りではなく、取引の条件として最初に示されたわけです。

魚の指示どおり、マヌは瓶から穴へ、穴から海へと器を替えて育てました。 大魚になった時点で、魚はその洪水が来る年を告げます。 そして海へ運ばれていきました。

告げられた年、マヌは船を用意します。 水が出ると船に乗り込み、泳ぎ寄った魚の角に船の綱を結びました。 そのまま北方の山へ導かれ、水が引くのを待って少しずつ降りたといいます。 生き物はすべて押し流され、地上にはマヌ一人が残されました。

子孫を求めて礼拝と苦行に入り、その祭祀のなかで澄ましバターや酸乳といった乳製品を水に捧げます。 一年後、そこから一人の女が生まれました。 原典でこの女はイダー(Iḍā)と呼ばれ、マヌは彼女とともに現在の人類の祖となります。

この神話は叙事詩やプラーナに引き継がれ、その過程でマヌを救った魚はヴィシュヌ神の化身マツヤとされるようになりました。

一方、中国で有名な禹の話は扱いが違います。 氾濫した水を流して治めたこの功績は、しばしば大洪水神話と呼ばれますが、『日本大百科全書』はむしろ治水神話の部類に入ると整理しています。 人類が滅び、生存者から新しい人類が始まるという三部構成を持たないためです。 禹の話の力点は、世界の作り直しではなく、統治の正しさにあります。

舟に乗らない生き残りたち

各地の話を、助かった手段で並べ直してみました。 すると方舟の印象に隠れて見えにくくなっていた解決法が、いくつも顔を出します。 高い山や木にのぼって助かる例が、思っていたよりも残っているのです。

ニューギニアのバルマン族が伝えるのは、木の高さが生死を分けた話です。 大魚に手をつけた者は溺れ、口にせず高いヤシへのぼった男とその家族だけが残りました。 カリフォルニアのルイセイニョ族でも、逃げ場になったのは船ではなく小山です。

生存の手段が舟である場合も、話の力点は造船に置かれるとはかぎりません。 西シベリアのハンティの伝承では、舟づくりそのものが妨害の対象になります。 至高神から水の到来を告げられた息子が舟を組むあいだ、悪魔が妻をそそのかし、酒で夫の行き先を白状させて舟を壊してしまう。 それでも息子は三日で二艘目を仕上げ、その手際を見ていた者たちも筏を組んで生き延びました。 ここでの眼目は方舟の設計ではなく、準備を邪魔されながら間に合わせることのほうにあります。

船を持たない生存者たちの存在は、この主題を考えるうえで見逃せません。 「大きな船で助かる」という細部までが一致しているわけではないからです。

洪水という形が共通する理由——三つの見方

この記事の中心にある問いです。 答えは、三つの見方が並ぶという形で存在しています。

一か所から広がったとする見方

古代西アジアを中心として、そこから各地へ伝わったとする考え方です。 先ほど紹介したデウカリオン譚をメソポタミア起源とする見解も、この系列に属します。 アフリカに土着の伝承が乏しいとされてきた理由も、キリスト教やイスラム教とともに後から入ったという説明で片づけられてきました。

メソポタミアの神話体系が後の宗教に与えた影響については、メソポタミア神話の神 一覧|古代文明が生んだ神々を徹底解説でも扱っています。

起源をはるかに深くさかのぼる見方

先ほど広がりのところで触れたヴィッツェルは、また別の位置に立っています。 アフリカとオーストラリアの伝承には強い重なりがあり、それは人類がアフリカを出た時期、およそ6万年前にまでさかのぼるのだと彼は論じました。 物語の元をたどれば「アフリカのイヴ」の語りに行き着く、という立場です。

この年代観を採ると、二つの説明が同時に外れます。 氷床の融解や黒海の流入といった実際の水害を起源に置く説明は、時代が新しすぎて成り立ちません。 そして近東から広まったとする伝播説も、彼は明確に退けています。 一か所から広がったという枠組みではあるものの、その一か所はメソポタミアではなく、はるか以前のアフリカだというわけです。

それぞれの土地で生まれたとする見方

三つ目は、似た状況に置かれた人々が別々に似た話を作ったとする見方です。

この見方を支えるのが、先に見た「舟に乗らない生き残り」の存在だと考えています。 高い木や小山へ逃げるという解決法は、方舟の話を写したにしては形が違いすぎるのです。 水害を経験する土地であれば、避難のかたちはいくつも生まれうると見ることもできます。

実話起源説と、その反証

そもそも、もとになる出来事があったのではないか。 この問いは古くから立てられてきました。

『ブリタニカ国際大百科事典』は、起因をめぐる主な説を三つ挙げています。 地質時代の現象を伝えたものとするリーム、太陽や月が天界の海を渡るという観念から出たとするベクレン、そして過去に実際にあった水害がその素材になったとするラングやフレーザーです。 つまり実話由来という考え方は、比較神話学が始まった頃からある有力な一系統です。

同事典は語られ方の傾向についても、大河の流域では大雨を原因とし、島々では海水の氾濫を原因とする、と述べています。 語られる原因が土地の地理を映しているのは確かで、実話説にとっては追い風になります。

考古学からの材料も、一度は有力視されました。 ウルの発掘で初期の集落を覆う厚い堆積層が見つかり、『百科事典マイペディア』の「ウル」の項にも、初期の文明が水で洗い去られ、およそ500年後に復活したという形でこの説が残っています。 ただしその後の研究で、ウルの堆積層はおよそ前3500年と見積もられ、ジウスドラの洪水には早すぎることが分かってきました。 キシュやシュルッパクでも堆積層は見つかっていますが、年代の関係は単純ではありません。

ただし、この方向の説明を正面から退ける立場もあります。 先ほどのヴィッツェルです。 祖型がアフリカを出る前までさかのぼるなら、氷床の融解も黒海への急激な流入も、時代が新しすぎて起源にはなりえません。 彼はこの二つを名指しで除外しています。

同じ材料を見ても、実際の水害を起源に置く説と、それでは新しすぎるとする説が並びます。 ここでも決着はついていません。

決着しないこと自体が示すもの

この問いに、現時点で決着はついていません。 そしてその状態こそが、この主題のいちばん面白いところだと考えています。

出どころを一つに決められないということは、裏を返せば、同じ形が複数の場所で成立しうるということです。 天罰の表現として使える自然現象はほかにもあります。 地震も、火も、疫病も、人を滅ぼせるでしょう。

それでも水が繰り返し選ばれてきた理由を、先ほどの「混沌から秩序へ」という枠組みに戻して考えると、腑に落ちる点があります。 地震は壊すだけで、火は焼き尽くすだけです。 水だけが、押し流したあとに引いていき、洗われた地面を残します。

滅ぼす力と、新しく始めるための場所づくりを、一つの現象で表せる。 そう捉えると、あれほど離れた土地で似た形が立ち上がったことにも、無理のない説明がつきます。

日本の大洪水伝説——答えが一つに定まらない理由

ここは答えを一つに絞れない問いです。 先に答えを言うと、一語では答えられません。 参照する事典によって、日本の置き場所が変わるからです。

『日本大百科全書』は、変種の側に置く

こちらの項目は、日本を「変種あるいは類似物」に分類しています。 挙げられているのは、洪水の発生部分を欠き、原初の海に浮かぶ島へ兄妹が天降るという神話です。 伝わる範囲は日本、琉球、そして東南アジアの島々にまたがります。

構造で見ると、こうなります。

  • 世界が滅ぶ場面がない
  • 少数の男女が世界の始まりに残されるという後半だけが独立して伝わっている

滅びの場面がないので、罰としての水という要素もそのまま抜け落ちました。 この区分けに従うなら、「日本に洪水神話はない」ではなく「三段の骨格のうち後半だけがある」が正しい言い方になります。

注目したいのは、この広がりが日本だけで閉じていないことです。 琉球から東南アジアの島々へと連なる海の上に、同じ形が並んでいます。 日本の事情を日本のなかだけで説明しようとすると、この横のつながりが見えなくなるのです。

『世界大百科事典』は、神々の争いの系列に入れる

ところが同じ主題を扱うもう一方の百科は、違う置き方をしています。

宇宙の二大原理、あるいはその代表者が争う過程で水が生じる。 同事典はこの形式に名前を与えていませんが、東南アジアからオセアニアにかけて点々と分布していると述べています。 ベトナム南部のバナル族には、隣のジャライ族の二人の祭司王――火の王と水の王――が争ったという神話が伝わります。 水の王が復讐のために氾濫を起こし、人間はみな死にましたが、当の二王は太鼓に入って長く水上を漂い、助かったのだそうです。 争いの当事者が自分たちの王ではなく隣人の王だという点に、この型の性格がよく出ています。

そして同事典は、日本神話で山幸彦が潮みつ珠(潮満珠)を使って高潮を起こし、海幸彦を苦しめた話も、この系列に入るとしています。

さらに兄妹始祖型の大洪水伝説についても、東アジアではイザナキとイザナミの国生み神話に痕跡があるとされました。 この型は、中国南部から東南アジアにかけて広く分布するもので、先ほどの天降る神話とは別物です。 こちらには洪水の場面があり、生き延びた兄妹が結婚して人類や特定民族の祖になります。 朝鮮では現代でも口承の民話として、氾濫を生き延びた兄妹が山の峰でひき臼を転がして神意を占い、妹の臼が兄の臼にくっついたので結婚した、という話が伝わっています。

型の切り方で答えが変わる

ややこしいのは、この二つの項目をどちらも同じ大林太良が書いていることです。 書き手が迷っているわけではありません。 どの型を「本格的な形」と呼ぶかで、答えが変わるだけです。

切り分けると、こうなります。

  • 罰として大水が来て人類が滅ぶ形式に限れば、日本にはない
  • 争いの結果として水が生じる形式まで含めれば、山幸彦の話が該当する
  • 兄妹始祖型まで視野に入れれば、国生み神話に痕跡が指摘される

「日本に洪水神話はあるか」に短く答えられないのは、日本の資料が乏しいからではなく、問いのほうが型の範囲を決めていないからです。 自分がどの型の話をしているのかを先に決めれば、答えは出ます。

ラグナロクと大洪水伝説——骨格の一致と意味の相違

北欧神話には、水が二度出てきます。 世界の始まりと、終わりです。

始まりの水:ユミルの血

『ヴァフスルーズニルの言葉』第21節によると、大地は原初の巨人ユミルの肉から、山はその骨から、天は頭蓋から、そして海はその血から作られました。

ベルゲルミルという霜の巨人が現れるのも、同じ詩の第29節と第35節です。 第35節でヴァフスルーズニルは、大地が作られるよりはるか昔にベルゲルミルが生まれたこと、そしてその巨人が運ばれていったことを、自分の最も古い記憶として語ります。

ヘンリー・アダムズ・ベロウズの英訳は、この場面を舟で運ばれたと訳しました。 第29節に付された注では、神々がユミルを殺したときに流れ出た血で霜の巨人がことごとく溺れ、ベルゲルミルとその妻だけが舟で逃れた、と説明されています。

一般に語られる筋立てでは、血の海から夫婦だけが舟で助かり、そこから新しい種族が始まる。 形だけを見れば、滅び・生存・再生という三段の骨格をきれいに満たしているのです。

北欧の神々の全体像は【北欧神話】神々完全一覧!オーディンからロキまで徹底解説にまとめてあります。

終わりの水:海に沈み、海から立ち上がる大地

『巫女の予言』第57節で、太陽は黒ずみ、大地は海に沈みます。 熱い星が天から落ち、蒸気が荒れ狂い、炎は天そのものにまで届く。

そして第59節。 大地がふたたび緑となって波間から立ち上がり、滝が落ち、鷲が飛び、崖の下で魚を捕らえます。 第62節では、種を蒔かない畑が実り、バルドルが還ってくる。

人間の生き残りについては、この詩ではなく『ヴァフスルーズニルの言葉』第45節が語ります。 リーヴとリーヴスラシルの二人がホッドミーミルの森に隠れ、朝露を糧として生き延び、そこから人が生まれるとされています。

構造を並べてみましょう。

要素大洪水伝説ラグナロク
世界の滅亡ありあり
少数の生存者ありあり(リーヴとリーヴスラシル)
新しい世界の開始ありあり
滅びの主因戦いと炎
生存者の選ばれ方神に警告された義人隠れていた二人
神々の運命滅ぼす側として残るともに滅びる

三部構成は完全に共通しています。 大地が海に沈み、海から立ち上がるという描写がある以上、水も無関係ではありません。

決定的に違うのは、罰ではないという点です。 人間の罪への裁きとして世界が終わるのではなく、定められた運命として神々もろとも終わり、そして再び始まる。 選ばれた義人が救われるのでもなく、隠れていた二人がたまたま残ります。

似ているのは骨格であって、意味づけではありません。

原典を確かめるとわかること

ここで一点、押さえておきたいことがあります。

リーヴとリーヴスラシルは、ラグナロク後の人類の祖として広く知られています。 ただし全66節を通して読むと、この二人は『巫女の予言』には出てきません。 彼らの典拠は『ヴァフスルーズニルの言葉』第45節であり、スノッリ・ストゥルルソンの散文がそれを引用しています。

似た事情はベルゲルミルにもあります。 詩のほうは、彼が運ばれたという事実を短く述べるだけです。 血の海から夫婦で逃れて霜の巨人の祖となった、という筋立てが具体的に語られるのは、13世紀にスノッリが書いた散文のほうです。

北欧に大洪水伝説があると言うとき、私たちはかなりの部分を、原典の詩ではなく後世の再構成に頼っています。 どの典拠のどのバージョンを見ているのかを分けておくと、比較の解像度が上がります。

洪水神話が「比べるもの」になった日

各地の話を横に並べて眺めるという、この記事がやっていること自体は、実はそれほど古い習慣ではありません。 始まった時点をかなり正確に特定できます。

1853年、ニネヴェにあったアッシュールバニパルの図書館跡から、ホルムズド・ラッサムの手で大量の粘土板が運び出されました。 その山のなかの一枚を、大英博物館のジョージ・スミスが読み解きます。 刻まれていたのは、旧約聖書の洪水物語によく似た話でした。 のちに『ギルガメシュ叙事詩』第11の書板と呼ばれる部分です。

発表は1872年12月3日、聖書考古学会の席でした。 「カルデア人の洪水物語」と題されたこの報告は翌年に紀要へ収められ、さらにスミスは新聞社の出資を受けてニネヴェへ渡り、欠けていた箇所を探し当てています。

この発見が変えたのは、語られる中身ではありません。 問いの立て方のほうです。

聖書より古い粘土板に、よく似た話が刻まれている。 そうと分かった瞬間から、どちらが先なのか、なぜ似ているのか、という問いが自動的に立ち上がりました。 この記事がここまで扱ってきた伝播説も、独立発生説も、実際の氾濫を起源とする説も、すべてこの日より後に形を取ったものです。

いま洪水神話といえば、世界各地の話が当たり前のように横並びで語られます。 その当たり前は、たかだか150年ほどの歴史しか持っていません。

まとめ

洪水神話とは、世界が水で滅び、少数が生き残り、今の人類が始まる三部構成の神話です。 広く分布しますが人類普遍ではありません。 罰として水が来るものと理由を語らないものに分かれ、最古のシュメール例は動機を欠きます。 ギリシャは罰の型、インドは魚の導き、中国の禹は治水。船以外で助かる例も各地に。 一致の理由も実在説も決着はつかず、滅ぼす力と場づくりを兼ねられるのは水だけです。 日本はどの型で数えるかで答えが変わり、ラグナロクは骨格が同じでも罰ではありません。 各地を並べて比べる見方自体、1872年の解読以降のものです。

ジウスドラやマヌを読み直すと、どれが元かより、水が引いたあとに立つ人の顔つきが気になります。

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