琉球王国建国記念の日とは?由来から尚巴志の三山統一まで徹底解説

毎年2月1日は「琉球王国建国記念の日」です。沖縄にかつて存在した独立国家・琉球王国が、国際的に認められた記念すべき日として知られています。

この記事では、琉球王国建国記念の日の由来から、王国を築いた英雄・尚巴志(しょうはし)の功績、そして約450年続いた琉球王国の歴史まで、詳しく解説していきます。

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琉球王国建国記念の日とは

琉球王国建国記念の日は、毎年2月1日に定められた記念日です。沖縄県観光事業協同組合によって制定されました。

この日が選ばれた理由は、琉球王国の外交記録書『歴代宝案(れきだいほうあん)』にあります。1425年2月1日、中国・明王朝の宣徳帝(せんとくてい)が、琉球の尚巴志を「琉球国王」として正式に認定したという記録が残っているんです。

つまり、2月1日は琉球王国が国際的に認められた日付として確認できる、最も古い記録というわけですね。

『歴代宝案』とは?琉球外交の一次資料

『歴代宝案』は、琉球王国の外交文書を集めた漢文史料です。1424年から1867年までの約444年間にわたる外交記録が収められており、琉球王国の対外関係を知るうえで欠かせない一次資料となっています。

収録されているのは、中国(明・清)との往来文書が中心ですが、朝鮮やシャム(現在のタイ)、マラッカ(現在のマレーシア)、ジャワ、ベトナムなど東南アジア諸国との文書も含まれています。

この『歴代宝案』は、琉球王国時代に2部作成され、1部は首里王府(首里城)に、もう1部は久米村(現在の那覇市久米)で保管されていました。しかし、首里王府にあったものは明治時代に東京へ移管された後、1923年の関東大震災で焼失。久米村にあったものも第二次世界大戦の沖縄戦で失われてしまいました。

現在は、戦前に作成された写本や影印本(写真複製本)をもとに校訂作業が進められ、沖縄県教育委員会が運営するデジタルアーカイブ「琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ」で公開されています。

尚巴志とは?琉球統一を成し遂げた英雄

尚巴志(しょうはし、1372年〜1439年)は、琉球王国の第一尚氏王統・第2代国王です。沖縄本島を初めて統一し、琉球王国を築いた人物として知られています。

尚巴志は、沖縄本島南部の佐敷(さしき、現在の南城市)を拠点とする按司(あじ=地方領主)の家に生まれました。

当時の沖縄本島は「三山時代」と呼ばれ、北部の「北山(ほくざん)」、中部の「中山(ちゅうざん)」、南部の「南山(なんざん)」という3つの勢力が覇権を争っていた時代でした。

尚巴志が勢力を伸ばせた要因の一つに、馬天(ばてん)や与那原(よなばる)といった良港に恵まれていたことが挙げられます。交易で経済力を高め、日本や明からの交易船から鉄を買い求めて農具や武器を作り、生産力と軍事力を向上させていったのです。

三山統一への道のり

尚巴志の三山統一は、段階を踏んで進められました。

中山の制圧(1406年)

まず1406年、尚巴志は中山王・武寧(ぶねい)を攻め滅ぼしました。武寧は酒に溺れて人心が離れていたと伝えられています。尚巴志はこの機を逃さず中山を攻略し、父・尚思紹(しょうししょう)を中山王に即位させました。

そして自らは王を補佐する立場として、統一事業を推し進めていきます。

北山の攻略(1416年)

次に1416年、尚巴志は北山王・攀安知(はんあんち)を攻め滅ぼしました。今帰仁城(なきじんじょう)を拠点としていた北山を制圧したのです。

中山王に即位(1422年)

1421年に父・尚思紹が亡くなると、1422年に尚巴志は中山王に即位しました。そして1425年、明の宣徳帝から正式に「琉球国王」として認められます。このとき「尚」という姓を授けられたとされています。

南山の征服と統一(1429年)

1429年、尚巴志は南山王・他魯毎(たるみい)を滅ぼし、ついに三山の統一を達成しました。

これにより、琉球王国が成立。尚巴志を初代とする「第一尚氏王統」が誕生したのです。

琉球王国の繁栄と大交易時代

三山を統一した尚巴志は、首里城を拡張整備し、王城にふさわしい城へと改築しました。また那覇港の整備を進め、中国(明)をはじめ日本、朝鮮、東南アジア諸国との交易を盛んに行いました。

琉球王国は、東シナ海の地の利を活かした中継貿易で大きな役割を果たしました。その交易範囲は東南アジアまで広がり、特にマラッカ王国との深い結びつきが知られています。

1458年には、第一尚氏第6代国王・尚泰久(しょうたいきゅう)の時代に「万国津梁の鐘(ばんこくしんりょうのかね)」が鋳造されました。この鐘には「琉球国は南海の勝地にして、三韓の秀を鐘め、大明を以て輔車となし、日域を以て唇歯となす。此の二つの中間にありて湧出する蓬莱の島なり。舟楫を以て万国の津梁となし、異産至宝は十方刹に充満せり」と刻まれています。

これは「琉球は船を使って万国の架け橋となり、貿易によって繁栄している」という意味で、海洋国家としての琉球の姿を象徴しています。

第二尚氏王統への移行

第一尚氏王統は7代63年間続きましたが、1469年に第7代国王・尚徳(しょうとく)が亡くなると、重臣であった金丸(かなまる)がクーデターを起こして王位を継承しました。金丸は「尚円(しょうえん)」と名乗り、第二尚氏王統が始まります。

第二尚氏王統は19代410年間にわたって続き、特に第3代国王・尚真(しょうしん)の時代は「大交易時代」と呼ばれる琉球の黄金期でした。

琉球王国のその後

1609年、薩摩藩が琉球に侵攻し、首里城を占拠しました。これ以降、琉球王国は薩摩藩の支配下に置かれながらも、中国(清)との朝貢関係は維持され、「日清両属」という独特の体制が続きました。

そして1879年(明治12年)、明治政府による「琉球処分」により、最後の国王・尚泰(しょうたい)は首里城の明け渡しを命じられ、琉球王国は約450年の歴史に幕を閉じました。

首里城と現代に伝わる琉球文化

首里城は、琉球王国の政治・外交・文化の中心として栄華を誇りました。朱塗りの建築物は中国や朝鮮の影響を色濃く受けており、琉球王国と大陸の結びつきを象徴しています。

1945年の沖縄戦で焼失した後、1992年に復元されましたが、2019年10月31日の火災により、正殿をはじめとする6棟が全焼しました。現在は2026年(令和8年)の正殿完成を目指して復元工事が進められています。

首里城では毎年11月3日(文化の日)を中心に「首里城復興祭」が開催され、国王・王妃の華やかな行列「琉球王朝絵巻行列」や、国王が五穀豊穣を祈願するために首里城下の寺を参詣する「古式行列」などが再現されています。

また、2月1日の「琉球王国建国記念の日」には、新国王が中国の冊封使(さっぽうし)から戴冠される場面を再現するセレモニー「特別道ジュネー」が実施されてきました。「道ジュネー」とはエイサーとともに行われる先祖供養の練り行列のことで、通常は旧暦7月に行われますが、2月に行われることから「特別」と名付けられています。

まとめ

琉球王国建国記念の日についてのポイントを整理しましょう。

  • 琉球王国建国記念の日は毎年2月1日で、沖縄県観光事業協同組合が制定
  • 1425年2月1日に明の宣徳帝が尚巴志を琉球国王として認定した記録が『歴代宝案』に残っている
  • 尚巴志は1429年に三山(北山・中山・南山)を統一し、琉球王国を建国した
  • 琉球王国は約450年間続き、海洋交易国家として繁栄した
  • 1879年の琉球処分により沖縄県となり、王国は消滅した

2月1日は、かつて東シナ海で繁栄を誇った琉球王国の歴史に思いを馳せる日です。沖縄の独自の文化や歴史は、この琉球王国の時代に育まれたもの。首里城の復興とともに、その歴史と文化がこれからも受け継がれていくことでしょう。

参考情報

この記事の作成にあたり、以下の情報源を参照しました。

一次資料・公式資料

学術資料・研究機関

百科事典・辞典

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