漫画が好きな人なら一度は気になる「漫画の日」。実はこの記念日、年に1回ではなく3回もあることをご存知でしょうか。それぞれの日付には深い意味があり、漫画文化の歴史を知る上でとても興味深いものとなっています。
この記事では、3つの「漫画の日」がいつなのか、それぞれどんな由来があるのかを詳しく解説していきます。読み終える頃には、漫画にまつわる豆知識が増えているはずですよ。
漫画の日は年に3回ある
まずは3つの「漫画の日」を一覧で確認しましょう。
| 日付 | 名称 | 制定者 | 由来 |
|---|---|---|---|
| 2月9日 | 漫画の日 | まんだらけ | 手塚治虫の命日 |
| 7月17日 | 漫画の日 | 不明 | 英国「パンチ」誌の創刊日 |
| 11月3日 | まんがの日 | 日本漫画家協会・出版社5社 | 手塚治虫の誕生日&文化の日 |
面白いことに、2月9日と7月17日は漢字で「漫画の日」、11月3日だけはひらがなで「まんがの日」と表記されています。これは偶然ではなく、それぞれ別の団体が制定したことによる違いなんです。
2月9日「漫画の日」 ― 手塚治虫の命日
2月9日の「漫画の日」は、漫画専門古書店の「まんだらけ」が制定した記念日です。この日が選ばれた理由は、「マンガの神様」と呼ばれる手塚治虫が亡くなった日だから。1989年(平成元年)2月9日、手塚治虫は胃がんのため60歳でこの世を去りました。
手塚治虫の最期の言葉は「頼むから、仕事をさせてくれ」だったと伝えられています。病院のベッドでも医師や妻の制止を振り切って漫画を描き続け、昏睡状態から目覚めるたびに「鉛筆をくれ」と言っていたというエピソードは、まさに「漫画の神様」にふさわしいものといえるでしょう。
なお、この「漫画の日」は国や日本漫画家協会が正式に認めた記念日ではなく、あくまでもまんだらけが独自に制定したものです。それでも手塚治虫の功績を偲ぶ日として、漫画ファンの間では広く認知されています。
7月17日「漫画の日」 ― 世界の漫画のはじまり
7月17日の「漫画の日」は、いつ誰が制定したのかはっきりしていません。しかし、この日付には世界の漫画史において重要な意味があります。
1841年7月17日、イギリスで風刺週刊誌『パンチ(Punch, or The London Charivari)』が創刊されました。創刊者はジャーナリストのヘンリー・メイヒューと木版画家のエベネザー・ランデルズ。フランスの風刺新聞『ル・シャリヴァリ』に触発されて誕生したこの雑誌は、政治や社会をユーモラスに風刺する絵入り週刊誌でした。
『パンチ』は1992年に廃刊するまで151年間も発行され続けた長寿雑誌で、現代の漫画の原型を作ったといわれています。ちなみに「カートゥーン」という言葉が現代的な意味(ユーモラスなイラスト・漫画)で使われるようになったのも、1843年の『パンチ』誌がきっかけです。
日本の漫画文化への影響
『パンチ』の影響は日本にも及びました。1862年(文久2年)、イギリス人の画家・漫画家チャールズ・ワーグマンが横浜で『ジャパン・パンチ(The Japan Punch)』を創刊します。これが日本最初の漫画雑誌とされています。
『ジャパン・パンチ』は主に横浜の外国人居留地に住む人々に向けて発行され、居留地の日常や日本政府への批判、幕末から明治にかけての世相などを風刺漫画で描きました。1887年まで25年間にわたって発行され、200号以上が制作されました。
ポンチ絵という言葉の由来
ところで「ポンチ絵」という言葉を聞いたことはありますか。現代のビジネスシーンでは「概略図」や「簡単な下書き」という意味で使われることが多いですが、もともとは風刺漫画のことを指していました。
この「ポンチ」という言葉は『ジャパン・パンチ』に由来します。1868年(慶応4年)、福地源一郎が『江湖新聞』で『ジャパン・パンチ』の風刺画を紹介した際、「パンチ」を「ポンチ」と表記したのが最初の用例とされています。当時の日本人が英語の「Punch」を「ポンチ」と聞き取ったことから、この呼び方が定着したわけですね。
明治時代になると『ジャパン・パンチ』の影響を受けた日本人向けの風刺漫画雑誌が次々と創刊されました。『絵新聞日本地(えしんぶんにっポンチ)』(1874年創刊)や『團團珍聞(まるまるちんぶん)』(1877年創刊)などがその代表例です。
11月3日「まんがの日」 ― 手塚治虫の誕生日と文化の日
11月3日の「まんがの日」は、2002年8月に日本漫画家協会と出版社5社によって制定されました。当時の日本漫画家協会理事長だったやなせたかしを委員長とする「『まんがの日』制定委員会」が発表したものです。
この日が選ばれた理由は2つあります。
1つ目は、11月3日が国民の祝日「文化の日」であること。漫画を単なる娯楽ではなく、文化として認知してもらいたいという思いが込められています。
2つ目は、11月3日が手塚治虫の誕生日であること。1928年(昭和3年)11月3日、手塚治虫は大阪府豊中市に生まれました。「マンガの神様」の誕生日と文化の日が重なっていることから、この日こそ「まんがの日」にふさわしいと判断されたのです。
つまり、手塚治虫は誕生日(11月3日)と命日(2月9日)の両方が「漫画の日」になっているという、まさに「マンガの神様」にふさわしい存在なんですね。
ちなみに、『ゴルゴ13』の作者として知られるさいとう・たかをも11月3日生まれ。文化の日は漫画界にとって特別な日といえるかもしれません。
手塚治虫ってどんな人?
3つの「漫画の日」のうち2つが手塚治虫に関係しているので、ここで手塚治虫について少し詳しく紹介しましょう。
手塚治虫(本名:手塚治)は、1928年11月3日に大阪府で生まれ、兵庫県宝塚市で育ちました。大阪大学附属医学専門部在学中の1946年に4コマ漫画『マアチャンの日記帳』でデビューし、翌1947年には『新寶島』が大ベストセラーとなって一躍人気漫画家の仲間入りを果たします。
代表作は数えきれないほどありますが、特に有名なのは以下の作品です。
- 鉄腕アトム
- ジャングル大帝
- リボンの騎士
- 火の鳥
- ブラック・ジャック
- ブッダ
- どろろ
- 三つ目がとおる
- アドルフに告ぐ
手塚治虫は漫画だけでなく、アニメーション制作にも情熱を注ぎました。1961年に虫プロダクションを設立し、1963年には日本初の連続テレビアニメ『鉄腕アトム』を制作。日本初のカラーテレビアニメ『ジャングル大帝』も手掛けています。
存命中から「マンガの神様」と呼ばれ、戦後日本の漫画表現の基礎を築いた功績は計り知れません。1989年2月9日に亡くなるまで、第一線で作品を発表し続けました。
まとめ
漫画の日について、ポイントを整理しておきましょう。
- 2月9日の「漫画の日」:手塚治虫の命日。まんだらけが制定
- 7月17日の「漫画の日」:英国『パンチ』誌の創刊日(1841年)。世界の漫画の原型が生まれた日
- 11月3日の「まんがの日」:手塚治虫の誕生日&文化の日。日本漫画家協会と出版社5社が2002年に制定
「ポンチ絵」という言葉が『ジャパン・パンチ』に由来することや、手塚治虫の誕生日と命日の両方が漫画の日になっていることなど、知っているとちょっと自慢できる豆知識もありましたね。
漫画は今や日本を代表する文化として世界中で愛されています。次に漫画の日がやってきたら、お気に入りの作品を読み返しながら、漫画文化の歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
参考情報
この記事の作成にあたり、以下の情報源を参照しました。
一次資料・公式情報
- Wikipedia「手塚治虫」 – 手塚治虫の生没年、経歴、作品情報
- Wikipedia “Punch (magazine)” – 英国パンチ誌の創刊日、歴史
- Wikipedia「ジャパン・パンチ」 – 日本最初の漫画雑誌の歴史
- Wikipedia「チャールズ・ワーグマン」 – ワーグマンの経歴
- Wikipedia「日本漫画家協会」 – 協会の概要
- Wikipedia「ポンチ絵」 – ポンチ絵の語源と歴史
記念日情報
- 雑学ネタ帳「漫画の日(7月17日 記念日)」
- 雑学ネタ帳「まんがの日(11月3日 記念日)」
- PR TIMES MAGAZINE「漫画の日(2月9日)」
- PR TIMES MAGAZINE「まんがの日(11月3日)」
その他の参考記事

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