摩利支天(まりしてん)とは?武士に信仰された陽炎の護法神を徹底解説

姿が見えず、捕らえられず、傷つかない——そんな神様が、かつて日本の武将たちに熱狂的に信仰されていました。
その名は摩利支天(まりしてん)
楠木正成や前田利家が兜の中に小像を納めて出陣したという伝説を持つ、謎めいた護法神です。
この記事では、摩利支天の起源・姿・ご利益・信仰の歴史を、一次資料や学術文献をもとに徹底解説します。


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概要

摩利支天は、仏教の天部に属する護法善神です。
サンスクリット語では「マーリーチー(Mārīcī)」と呼ばれ、「陽炎」「威光」「光線」を意味します。
古代インドの暁の女神「ウシャス(Uṣas)」を起源とし、仏教に取り込まれて護身・除災・勝利の神として信仰されました。
日本には平安時代に密教とともに伝来し、中世以降は武士の守護神として特に篤い崇敬を受けました。


摩利支天とは何者か

名前の意味と由来

摩利支天という名前は、サンスクリット語の「マーリーチー(Mārīcī)」を漢字で音写したものです。
「マーリーチー」の意味は「陽炎」「光線」「日月の光」。
他にも「摩里支天」「末利支天」「摩利支尊天」などの表記があり、チベット仏教では「オゼル・チェンマ(偉大な光の女神)」とも呼ばれています。

コトバンク(精選版 日本国語大辞典)によれば、「摩利支天」の語の初出は『太平記』(14世紀後半)にまで遡るとされています。

天部における位置づけ

摩利支天は、仏教の天部(てんぶ)に属する神です。
天部とは、もともと古代インドのバラモン教やヒンドゥー教の神々が仏教に取り入れられ、護法善神となったグループです。
如来・菩薩・明王・天部という仏の階層の中では最も下位に位置しますが、私たち人間に最も身近な存在として現世利益をもたらす神として親しまれています。

摩利支天は密教において、護身・隠身のための修法「摩利支天法」の本尊として重要視されます。


摩利支天の起源

古代インドの暁の女神ウシャス

摩利支天のルーツは、古代インドの聖典『リグ・ヴェーダ(Ṛgveda)』に登場する暁の女神ウシャス(Uṣas)であると考えられています(Wikipedia「摩利支天」、コトバンク「ブリタニカ国際大百科事典」参照)。

ウシャスは太陽が昇る前の夜明けの薄明かりを神格化した存在です。
太陽神スーリヤはウシャスの後ろを追うように昇ってくるとされており、まるでスーリヤがウシャスを追いかけているようだと古代インドの人々は感じていました。
スーリヤが追いつこうとすると、ウシャスはすっと消えてしまう——そんな神秘的な性質が、のちに摩利支天の「姿が見えない」という特性へと受け継がれていきます。

学術論文「Mārīcī(摩利支天)についての一考察」(田村、智山学報第67号、JSTAGE所収)によれば、摩利支天という尊格はサンスクリット語の「マルト(marut)神群」——暴風雨を神格化した神々——とも深く結びついている可能性が指摘されています。
また同論文では、パーラ朝(8〜12世紀頃のインド)に多くの作例があることから、この時期には摩利支天の信仰がインドに広く流布していたと推測されています。

仏教への取り込みと成立時期

摩利支天が仏教の尊格として確立したのは、6〜7世紀頃のことと考えられています(sukimonodo.com の解説参照)。
この時期の密教(中期密教)において、ウシャスの性格が仏教に吸収され、摩利支天として再解釈されたと見られます。

梵天(ブラフマー)の子とされる説と、日天の妃とされる説の両方が経典に見られます(Wikipedia「摩利支天」)。
これは異なる経典が異なる起源説を採用しているためで、どちらか一方が「正解」というわけではありません。


経典に記された摩利支天

主な経典と記述内容

摩利支天については、複数の経典が存在します。
代表的なものを以下に整理します。

経典名訳者・成立内容の特徴
摩利支天経唐・不空(705〜774年)訳陽炎の実体なき性質と護身の功徳を説く
仏説大摩里支菩薩経宋・天息災(980年宋に渡来)訳三面三眼・六臂の姿、猪に乗る像容を説く
陀羅尼集経唐・阿地瞿多(あじくた)訳摩利支天の修法を説く中期密教経典

「仏説大摩里支菩薩経」の核心

建仁寺塔頭・禅居庵の解説によれば、『仏説大摩里支菩薩経』には次のような記述があります。

「天女あり。摩利支と名づく。大いなる神通自在の力をもつ。常に日月天の前を行く。日天・月天は彼を見ること能わず。彼は能く日を見る。人の見る能う無く、人の知る能う無し。人の捉える能う無く、人の縛る能う無し。人の害する能う無く…」

陽炎と同じく実体がないため、誰にも見られず、傷つけられず、縛られない——この無敵の性質こそが、後に摩利支天が武士に信仰された最大の理由です。


摩利支天の姿と像容

多彩な姿のバリエーション

摩利支天の像容は経典によって異なり、いくつかのバリエーションがあります。

天女形(穏やかな姿)
もともとは天女の姿が本来の形とされます。
左手に天扇(てんせん)を持ち、唐代の装束をまとった優美な姿で描かれます。

忿怒形(三面六臂または三面八臂)
最もよく知られた像容で、三つの顔と六本(または八本)の腕を持ちます。
三面のうち一面は菩薩の顔、一面は童女の顔、一面は猪の顔とされることもあります(建仁寺塔頭・禅居庵の記述による)。
各腕には弓・矢・針・糸・金剛杵・羂索・斧・天扇などの持物を携えます。

針と糸は特徴的な持物で、害を加えようとする者の口と目を縫い合わせて封じる意味があるとされています(禅居庵の記述による)。

猪との深い結びつき

摩利支天の最大の特徴は、猪(いのしし)に乗る姿です。

通常は七頭の猪の上に乗って走る姿で描かれます。
七という数字に注目した研究者たちは、太陽神スーリヤが七頭の馬に乗ること、大日如来が七頭の獅子に乗る作例があることを指摘しています。
七頭は秩序・完全性・全体性を象徴する数であり、太陽と関わりの深い神々に共通する聖なる数とされています(kaizenji.org の解説による)。

猪とマーリーチーの結びつきは古く、インド神話やイラン神話にまで遡るとも指摘されています。
インド神話ではヴィシュヌが猪(ヴァラーハ)に変身して大地を救い、イラン神話の英雄神ウルスラグナ(バフラーム)も猪に変身して光明神を先導したとされており、光明を司る存在と猪の間に深い関係があると見られています(kaizenji.org の解説による)。

猪は亥年(十二支)の動物であるため、摩利支天の縁日は亥の日とされています。


中国・日本への伝播

中国での変容

摩利支天は唐代に中国へ伝わりました。
「陽炎」「極光」という性質が中国の道教・北斗信仰と結びつき、北極星の化身とされる紫微大帝(しびたいてい)の妻として位置づけられました(sukimonodo.com の解説による)。
仏教の護法神が道教の神と習合するという、中国特有の宗教融合の例です。

日本への伝来と初期の信仰

摩利支天が日本に伝わったのは、平安時代のことです。
最澄(766年もしくは767年〜822年)や空海(774〜835年)らが唐から密教を請来した際に、ともに伝わったとされています(sukimonodo.com の解説による)。
当初は密教の修行者や修験道の行者たちの間で信仰されました。

天台宗・法華宗・日蓮宗では、国家や修行者を守る「三十番神」の一柱として摩利支天が数えられています。

鎌倉時代以降:禅宗と武士への広がり

鎌倉時代に禅宗が中国から伝わると、当時の中国で盛んだった摩利支天信仰も日本にもたらされました。
禅居庵の開山・清拙正澄(せいせつしょうちょう)禅師(1274〜1339年)は、もともと摩利支天への信仰を持っており、渡来の際に摩利支天像を携えてきたと伝えられています。
元弘年間(1331〜1333年)に小笠原貞宗が開基となり、清拙正澄を開山として建仁寺の塔頭として創建された禅居庵は、以来約700年にわたって摩利支天を祀り続けています。

このように禅宗と摩利支天信仰が結びついたことで、武士階層への信仰普及が加速しました。


日本における性別の変化

インドや中国では一貫して女神とされてきた摩利支天ですが、日本では男性格の神としても信仰されるようになりました。

これは日本の仏教において、戦う女神というあり方がなじみにくかったためと考えられています。
密教の女神の多くが日本に伝わった際に中性的な存在となったように、摩利支天も日本独自の変容を遂げました。

仏像の像容でも、男神として甲冑をまとった姿で作られるものと、インド由来の天女形で作られるものの両方が存在します。


摩利支天のご利益

摩利支天には、その「実体がなく傷つかない」という性質に基づく独特のご利益があるとされています。

護身除災(ごしんじょさい)
最も重要なご利益です。
陽炎のように捉えられず傷つかないという特性が、信仰者の身を守るとされます。

隠身(おんじん)
姿を隠す力です。
『仏説大摩里支菩薩経』には「若し彼の摩利支天の名を知りて常に憶い念者あれば、彼の人亦、見られるべからずして知られべからず…」と記されており、信仰することで摩利支天と同様の功徳が得られると説かれています(建仁寺塔頭・禅居庵の記述による)。

勝運・開運
戦いに際して不可視の存在となり敵に傷つけられない、という性質が転じて、勝負ごとの勝利や開運をもたらす神として信仰されました。

蓄財・福徳
江戸時代には性格が変化し、大黒天・弁財天とともに「三天」と称されて蓄財と福徳の神としても信仰されました(コトバンク「改訂新版 世界大百科事典」参照)。

密教の修法「摩利支天隠形法」では、特定の印契と真言を組み合わせることで姿を隠し、水難・火難・盗難などあらゆる危難から身を守れるとされています(Wikipedia「摩利支天」参照)。


武将たちの摩利支天信仰

摩利支天が特に注目されるのは、名だたる歴史上の人物たちが深く信仰したという伝承があることです。

楠木正成(くすのきまさしげ)

南北朝時代の武将・楠木正成は、兜の中に摩利支天の小像を納めて出陣したと伝えられています(コトバンク「改訂新版 世界大百科事典」および建仁寺塔頭・禅居庵の記述)。
護身と勝利を祈る武将の信仰として、広く知られるエピソードです。

前田利家(まえだとしいえ)

加賀藩祖・前田利家も摩利支天の熱心な信者として知られており、摩利支天の仏像を兜に入れて戦場に赴いたと伝えられています(建仁寺塔頭・禅居庵の記述)。
石川県金沢市の宝泉寺には前田利家の秘仏とされた摩利支天が祀られています。

毛利元就・立花道雪

毛利元就と立花道雪は「摩利支天の旗」を旗印として使用したと伝えられています(Wikipedia「摩利支天」参照)。
摩利支天の旗のもとに軍を進めることで、護身と勝利を求めたと見られます。

そのほかの信仰者

Wikipedia「摩利支天」の記述によれば、山本勘助・立花宗茂も摩利支天を信仰したと伝えられています。
また、「忠臣蔵」で知られる大石内蔵助も摩利支天の信者だったことで有名です(建仁寺塔頭・禅居庵の記述)。


山岳信仰との結びつき

摩利支天は暁・曙と関連する神であることから、日本の山岳信仰とも深く結びつきました。
日の出を仰ぐ山頂は、まさに摩利支天の領域と感じられたのでしょう。

現在も以下の山には摩利支天にちなむ名称が残っています(Wikipedia「摩利支天」参照)。

  • 木曽御嶽山(きそおんたけさん):摩利支天山
  • 乗鞍岳(のりくらだけ):摩利支天岳
  • 甲斐駒ヶ岳(かいこまがたけ):摩利支天峰

日本三大摩利支天

摩利支天を祀る寺院の中でも特に著名な三か所が「日本三大摩利支天」と呼ばれています。

禅居庵(けんにんじたっちゅう・ぜんきょあん)──京都

臨済宗建仁寺の塔頭として、元弘年間(1331〜1333年)に小笠原貞宗を開基、清拙正澄禅師を開山として創建されました。
開山以来約700年にわたり秘仏の摩利支天が祀られており、七頭の猪の上に座す像容で知られています。
境内には狛猪をはじめ数多くの猪の像が並び、亥年の守護神として参拝者を集めています。
毎月最初の亥の日には「ご縁日」が設けられます。

徳大寺(妙宣山徳大寺・下谷摩利支天)──東京・上野

東京都台東区上野アメ横の中にある日蓮宗の寺院で、約400年の歴史を持ちます。
安置されている「開運大摩利支尊天像」は聖徳太子が手彫りしたと伝えられています(コトバンク「改訂新版 世界大百科事典」参照)。

宝泉寺(摩利支天山宝泉寺)──石川・金沢

高野山真言宗。石川県金沢市にあり、前田利家の秘仏であった摩利支天が祀られています。
金沢城とその城下町を見守るため、山頂に置かれた寺院です。


剣術・武道との関わり

摩利支天信仰は武道・剣術の世界にも深く根を下ろしました。
タイ捨流剣術では、現在でも「タイ捨流忍心術」として摩利支天経を唱えてから稽古や演武に入る慣習が残っています(Wikipedia「摩利支天」参照)。


まとめ

  • 摩利支天はサンスクリット語「マーリーチー(Mārīcī)」(陽炎・光線)を漢字で音写した名前
  • 古代インドの暁の女神ウシャスをルーツとし、6〜7世紀頃に仏教の護法神として成立
  • 「姿が見えず、傷つかない」という陽炎の性質が護身・隠身の功徳として信仰された
  • 日本へは平安時代に密教とともに伝来し、中世以降は武士の守護神として篤く信仰された
  • 楠木正成・前田利家・毛利元就など多くの武将が信仰したことで知られる
  • 七頭の猪に乗る三面六臂(または三面八臂)の像容が代表的
  • 江戸時代には蓄財・福徳の神としても広まった
  • 日本三大摩利支天として、禅居庵(京都)・徳大寺(東京)・宝泉寺(金沢)が知られる

参考情報

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この記事で参照した情報源

一次資料(原典)

  • 『仏説大摩里支菩薩経』(宋・天息災訳、980年頃宋に渡来) – 三面三眼・六臂の像容と猪に乗る姿を説く
  • 『摩利支天経』(唐・不空訳、705〜774年) – 陽炎の性質と護身の功徳を説く
  • 『陀羅尼集経』(唐・阿地瞿多訳) – 摩利支天の修法を説く
  • 『リグ・ヴェーダ(Ṛgveda)』 – ウシャス(暁の女神)に関する記述

学術資料

信頼できる二次資料

参考になる外部サイト(公式・専門機関)

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