「アルベルト・ブルゼフスキ」という名前を聞いたことはありますか?
2024年に放送されたアニメ『チ。―地球の運動について―』で、最終章の主人公として登場したことで一躍注目を集めた人物です。
実は彼、地動説を唱えたコペルニクスの師匠として歴史に名を残す、れっきとした実在の天文学者なんですね。
この記事では、アルベルト・ブルゼフスキの生涯と業績、そしてコペルニクスに与えた影響についてわかりやすく解説していきます。
アルベルト・ブルゼフスキの基本情報
アルベルト・ブルゼフスキは、15世紀のポーランドで活躍した天文学者・数学者です。
正式名は「ヴォイチェフ・ブルゼフスキ(Wojciech Brudzewski)」。
「アルベルト」はポーランド語の「ヴォイチェフ」に対応するラテン語名で、当時の学者は学術的な場面でラテン語名を使うのが一般的でした。
彼は自分の名前に「de Brudzewo(ブルゼヴォの)」と署名することが多く、「ブルゼヴォのアルベルト」とも呼ばれています。
天文学者としてだけでなく、数学者、哲学者、そして外交官としても活躍した、まさに「万能の知識人」だったんですね。
アルベルト・ブルゼフスキの生涯
出生から大学入学まで
アルベルトは1445年頃、ポーランド王国のカリシュ近郊にあるブルゼヴォという町で生まれました。
彼の若い頃については詳しいことがわかっていません。
ただ、23歳という比較的遅い年齢でクラクフ大学(現在のヤギェウォ大学)に入学したことだけが記録に残っています。
クラクフ大学での活躍
クラクフ大学に入学したアルベルトは、1470年に学士号、1474年に修士号を取得しました。
その後、彼はほぼ一生をこの大学で過ごすことになります。
20年以上にわたって教鞭を取り、その間に学部長や学生監、さらにはハンガリー人学生寮(Bursa Hungarorum)の寮長も務めました。
アルベルトは非常に人気のある先生だったようです。
数学と天文学を主に教えていましたが、文学にも詳しく、その博識さで学生たちを魅了しました。
知的好奇心が旺盛で、40代半ばの1490年には神学の学士号まで取得しています。
「学び続けること」を生涯実践した人物だったんですね。
ヴィリニュスでの晩年
1494年から1495年頃、アルベルトはクラクフを離れ、リトアニアのヴィリニュスへ移りました。
これはフレデリック・ヤギェロン枢機卿の要請によるもので、リトアニア大公アレクサンデル・ヤギェロンの秘書として仕えることになったのです。
このアレクサンデル大公は、後にポーランド国王にも即位する人物です。
ヴィリニュスでは外交官としても活躍し、モスクワ大公国との交渉を担当したとも伝えられています。
また、『Conciliator(調停者)』という外交に関する学術論文も執筆しました(ただし原本は現在見つかっていません)。
アルベルトは1497年頃、ヴィリニュスで亡くなりました。
正確な日付は不明ですが、亡くなったとき50歳前後だったとされています。
アルベルト・ブルゼフスキの業績
月の楕円軌道を最初に指摘
アルベルトの最大の業績の一つは、月が楕円軌道を描いていることを世界で最初に指摘したことです。
当時、天体は完全な円軌道を描くと考えられていました。
しかしアルベルトは観測と計算から、月の軌道が完全な円ではなく楕円に近い形をしていることを突き止めたのです。
惑星が楕円軌道を描くことを証明したのは、後のヨハネス・ケプラー(1571〜1630年)。
アルベルトの発見は、ケプラーより100年以上も前のことでした。
また、月がつねに同じ面を地球に向けていることも指摘しています。
これは現代では「潮汐ロック」として知られる現象ですね。
プールバッハ注釈書の執筆
アルベルトは1482年、ドイツの天文学者ゲオルク・プールバッハが書いた『惑星の新理論(Theoricae novae planetarum)』への注釈書を執筆しました。
この注釈書『Commentariolum super Theoricas novas』は1495年にイタリアのミラノで出版され、ヨーロッパの大学で広く使われるようになりました。
注釈書の中でアルベルトは、プールバッハの理論を詳しく解説しつつも、天動説に対する疑問点を指摘しています。
この批判的な姿勢が、後にコペルニクスの地動説研究に影響を与えたと考えられているんですね。
アヴェロエスへの反論
アルベルトは、中世のイスラム哲学者アヴェロエス(イブン・ルシュド)の天文学理論に対しても批判を展開しました。
論争の中心は「天球の数」でした。
アヴェロエスは9番目の天球の存在を否定しましたが、アルベルトはアリストテレスの理論に基づいて反論し、天球は10以上存在すると主張したのです。
こうした学術的な議論を通じて、アルベルトは当時のヨーロッパ天文学界で影響力のある人物となっていきました。
コペルニクスへの影響
師弟関係
アルベルト・ブルゼフスキの名前が歴史に残る最大の理由は、ニコラウス・コペルニクスの師だったことです。
コペルニクスは1491年にクラクフ大学に入学し、1495年頃まで在学しました。
ちょうどアルベルトが神学に転向した後の時期で、アルベルトはアリストテレス哲学や天文学の講義を担当していました。
正規の授業だけでなく、私的にも天文学について議論していた可能性が高いとされています。
アルベルトは学生寮の寮長も務めていたため、学生と密に接する機会が多かったのです。
地動説への道を開く
アルベルトの注釈書には、天動説の問題点が詳しく分析されていました。
特に「天球の不均一な回転」という問題は、コペルニクスが地動説を構築する際の出発点になったと研究者たちは指摘しています。
つまり、アルベルトは直接「地球が動く」とは言わなかったものの、コペルニクスに「今の天文学にはおかしな点がある」という問題意識を植え付けたんですね。
コペルニクスは後に『天球の回転について』を著し、地動説を体系的に発表しました。
その土台を作ったのが、師であるアルベルト・ブルゼフスキだったというわけです。
アニメ『チ。―地球の運動について―』での描写
最終章の主人公として登場
アルベルト・ブルゼフスキが現代で広く知られるようになったきっかけは、魚豊による漫画『チ。―地球の運動について―』です。
この作品は15世紀のヨーロッパを舞台に、禁じられた地動説を命がけで研究する人々を描いたフィクション。
2022年に第26回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞し、2024年10月から2025年3月にかけてNHK総合でアニメが放送されました。
アルベルトは最終章の主人公として登場します。
パン屋で働く青年として描かれ、幼少期のある出来事がきっかけで学問から距離を置いていましたが、やがて天文学への情熱を取り戻していく姿が描かれています。
作品と史実の違い
作品では、物語の1章から3章までは架空の「P国」が舞台ですが、最終章では「ポーランド王国」と明記され、アルベルト・ブルゼフスキという実名が使われています。
これは、フィクションの世界から現実の歴史へとつながっていく構成になっているんですね。
作中で描かれる1482年に「惑星の新理論」への注釈書を書いたこと、そして1491年にコペルニクスという青年が大学に入学してくることは、実際の歴史と一致しています。
アニメ版では声優の石毛翔弥さんが青年期を、種﨑敦美さんが少年期を演じています。
アルベルト・ブルゼフスキ基本情報一覧
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | ヴォイチェフ・ブルゼフスキ(Wojciech Brudzewski) |
| ラテン語名 | アルベルトゥス・デ・ブルゼヴォ(Albertus de Brudzewo) |
| 別名 | アルベルト・ブラール、ブルゼヴォのアルベルト |
| 生年 | 1445年頃 |
| 没年 | 1497年頃 |
| 出身地 | ポーランド王国カリシュ近郊ブルゼヴォ |
| 没地 | ヴィリニュス(リトアニア) |
| 職業 | 天文学者、数学者、哲学者、外交官 |
| 所属 | クラクフ大学(ヤギェウォ大学) |
| 学位 | 学士(1470年)、修士(1474年)、神学学士(1490年) |
| 役職 | 学部長、学生監、ハンガリー人学生寮寮長 |
| 主な著作 | プールバッハ注釈書(1482年執筆、1495年出版)、Conciliator |
| 主な教え子 | ニコラウス・コペルニクス、ベルナルド・ヴァポフスキ、コンラート・ケルテス |
| 主な業績 | 月の楕円軌道の発見、天文学教育の近代化 |
まとめ
アルベルト・ブルゼフスキについて紹介してきました。
最後にポイントをまとめます。
- 15世紀のポーランドで活躍した天文学者・数学者
- クラクフ大学で20年以上教鞭を取った人気教師
- 月が楕円軌道を描くことを世界で最初に指摘
- 地動説を唱えたコペルニクスの師として知られる
- プールバッハ注釈書で天動説の問題点を指摘し、コペルニクスの研究に影響を与えた
- 晩年はリトアニア大公の秘書・外交官として活躍
- アニメ『チ。―地球の運動について―』の最終章で主人公のモデルに
コペルニクスの名前は誰もが知っていますが、その師であるアルベルト・ブルゼフスキの存在はあまり知られていませんでした。
しかし『チ。』のヒットをきっかけに、彼の功績にも光が当たるようになってきています。
歴史を動かす大発見の裏には、必ず「次の世代に知識を伝えた人」がいる。
アルベルト・ブルゼフスキは、まさにそんな存在だったのかもしれませんね。


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